前日にスプリットへ到着していたので、ホテルを出発して、世界遺産のスプリット観光。
スプリットの街は、3世紀末~4世紀初頭のローマ皇帝ディオクレティアヌスは、退位後の隠居用に宮殿を沿岸部に建て、晩年をその宮殿で過ごしました。
彼の死後は廃墟と化していった宮殿ですが、数百年の年月を経てそこへ移り住んだ異民族が、宮殿の基礎のみを残し、その上に建物を増築していったのです。
宮殿の地下部分は埋もれていたため非常に保存状態がよく、当時のままの姿を見ることができます。
宮殿の地下
スプリット聖堂の鐘楼
日本のお城でも甲冑姿の侍たちがいますが、同様に観光客と写真を撮っていました。
宮殿の裏庭?のグルグール・ニンスキー像
宮殿の中庭(ペリスティル)
スプリット聖堂の鐘楼へ登りました。
鐘楼へ登るのは体力がいるので、自由観光の時間に、登りたい人は登り、買い物をしたい人は買い物を、というような選択ができました。私は買い物はほとんどしないので、このツアー中、登れる鐘楼へは全部登りました。
最上階から見た眺め
銀の門:城壁に囲まれた宮殿は東西南北に主な門があるとのことでした。
中庭の近くにドーム状の建物がありました。
天井に開けられた穴から、鐘楼が見えました。
中ではライブが行われていて、CDを販売中!
この旅行中、城壁に囲まれた古い街を沢山訪れたので、疲れている上、記憶が定かではなくなってきて、上記の写真はスプリットのどの辺りを撮ったのか・・・?と思っていたら、ブログを見て下さった方から、コメントを頂き、ナロドニ広場と分かりました。
ランチ
ツアーでは食事は付いているのですが、飲み物は各自で購入・支払いです。
野菜サラダ
ダルマチア風ビーフ煮込み
デザート
ランチの後、ペリェシャツ半島のオレビッチェまで250km走りました。
クロアチアは飛び地を持っていて、スプリットは本土側にあり、ドブロヴニクやペリェシャツ半島は飛び地側にあったように思います。2017年にはまだペリェシャツ橋が完成していなかったので、バスはボスニア‐ヘルツェゴビナ共和国を15km通り抜けて飛び地側へ行ったと思います。
フェリーで20分のコルチュラ島へ渡りました。
***オリンピックのテレビ観戦ばかりしています。同じ場面だと分かっているのに、何度も別の番組で見てしまいます。
昨日、王将戦第三局の一日目が終わり、勝敗の行方が気になります。
ご訪問、ありがとうございました。
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