高校生の娘は文系を受験予定だけど、英語はまあまあがんばっているが、受験科目の国語があまりよくない。
春休み明けのテストも国語はひどかった・・・・
現代国語だけは、母は自信があったから、ちょっくら教えてあげられるだろうか?と思って娘の現代国語の問題をわたしもやってみた。
そしたら、漢字は書けないし、評論文の問題もまったくもってだめでした。
「全然たいしたことないじゃん、教えてもらうなんて無理」とばっさり斬られた。
ショック!こんなに自分ができないの?っていうより、問題が難しいのだ。現代国語だけは・・という自信はもろくも崩れ去った・・・・・・
これが、ながーいあいだ、現場から遠ざかったという現実なのでしょうか。
今まで、娘の点数をバカにして「そんなにできないの?困るじゃん」っと言ってたわたしは、「けっこうできていますね。(丁寧語)」」というせりふに変わるだろうと思う。
ねえ、だけどこんな問題誰が作ってるの?そういえば詩人の谷川俊太郎さんが、自分の詩が国語のテスト問題になっていて、それをみたら、むずかしくて自分でもわからなかった・・・って言ってたことを思い出した。作者でさえわからない問題っていったい・・・・・何を問うているの?
高校生の頃は勉強しなくたって現代国語だけは、かなり点数とっていたという過去の栄光は、なにも残ってはいなかった。
数学も物理も日本史もだめだったから、いったいわたしの義務教育プラス、高校教育の6・3・3年は何だったのでしょうか?せつないよ。
必死に受験勉強をした冬の夜の、オールナイトニッポンのテーマ音楽だけが、頭によみがえってきた。
がんばった!という事実はそれでも尊く、今の自分の礎になってるのかいな?
早弁と、よだれを教科書にたらして居眠りしていた、なつかしい高校時代。楽しかったよなあと、しばし思い出の世界にもどってしまった。
あ、いけない、いけない。とにかく受験失敗しないように、ふんばっておくれよ。
母は何もしてあげられないんだから。長男の時も、長女の時もふたりとも母の眠っているときしか、勉強してなかったから、勉強してるところを母は見たことがない。
やっぱりおいしいご飯をつくることしか、母のできることはないのだ。
春休み明けのテストも国語はひどかった・・・・
現代国語だけは、母は自信があったから、ちょっくら教えてあげられるだろうか?と思って娘の現代国語の問題をわたしもやってみた。
そしたら、漢字は書けないし、評論文の問題もまったくもってだめでした。
「全然たいしたことないじゃん、教えてもらうなんて無理」とばっさり斬られた。
ショック!こんなに自分ができないの?っていうより、問題が難しいのだ。現代国語だけは・・という自信はもろくも崩れ去った・・・・・・
これが、ながーいあいだ、現場から遠ざかったという現実なのでしょうか。
今まで、娘の点数をバカにして「そんなにできないの?困るじゃん」っと言ってたわたしは、「けっこうできていますね。(丁寧語)」」というせりふに変わるだろうと思う。
ねえ、だけどこんな問題誰が作ってるの?そういえば詩人の谷川俊太郎さんが、自分の詩が国語のテスト問題になっていて、それをみたら、むずかしくて自分でもわからなかった・・・って言ってたことを思い出した。作者でさえわからない問題っていったい・・・・・何を問うているの?
高校生の頃は勉強しなくたって現代国語だけは、かなり点数とっていたという過去の栄光は、なにも残ってはいなかった。
数学も物理も日本史もだめだったから、いったいわたしの義務教育プラス、高校教育の6・3・3年は何だったのでしょうか?せつないよ。
必死に受験勉強をした冬の夜の、オールナイトニッポンのテーマ音楽だけが、頭によみがえってきた。
がんばった!という事実はそれでも尊く、今の自分の礎になってるのかいな?
早弁と、よだれを教科書にたらして居眠りしていた、なつかしい高校時代。楽しかったよなあと、しばし思い出の世界にもどってしまった。
あ、いけない、いけない。とにかく受験失敗しないように、ふんばっておくれよ。
母は何もしてあげられないんだから。長男の時も、長女の時もふたりとも母の眠っているときしか、勉強してなかったから、勉強してるところを母は見たことがない。
やっぱりおいしいご飯をつくることしか、母のできることはないのだ。