S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

素手で凶暴な熊と闘うような・・・・

2008-05-23 16:29:58 | Weblog
弁護士さんのところに行った。

控訴審というものの現実を知ると、控訴審は地裁の一審よりまだ難しく、苦しい戦いになるということを弁護士さんから聞いた。
高裁はたくさんの事案を抱えているから地裁で審議したものを、またくわしく審議することはしない。
息子はメールした・・・という事実だけはあるから・・・・
まったく何もしていないというのとは違うからだ。

限りなく白に近いグレーというようなものだろうか?
ただこのメールが犯罪になってしまうということには、どうしても納得はできない。

日本の司法の今の状況もいろんなことを聞くと、呆然としてしまう。


長野でも、昨年、ひき逃げ事件があり、酔って道に寝ていた警察官がひかれて死亡した。犯人として逮捕された人は息子と同じ年齢の青年だった。

彼は一審で無罪を主張した。タイヤについていた繊維のあとも、亡くなった人のものとは一致しなかった。わたしは裁判を傍聴していないので、最初に新聞で読んでおかしいな、と感じたぐらいだった。

国民救援会の新聞をネットでみて、この人は冤罪なんじゃないかと思った。

彼の控訴審は1審と同じ有罪判決だった。
そして彼は上告している。

科学的にも証明されたことに対して、地裁も高裁もそれをまったく考えない判決をだしたということ、こういう裁判が今の裁判のほとんどだということを弁護士さんは正直に話してくれた。

公訴してお金もエネルギーも時間も浪費して、何も変らず、ただ傷口だけがひろがっていくようなリスクを抱えて、私たち家族は迷っている。

そして結論を出す息子も・・・

植草さんの控訴審も控訴棄却で、1回で終わってしまった。
植草さんは上告している。
そして、たぶん上告するのなら、もっとたくさんのお金と、そして何より、強靭な精神力がなければできない。

無罪を勝ち取ることは、それほど困難な道なのだ。
それでもまったく白の人に有罪は絶対あってはいけないことだ。

たぶん裁判とかこういうことが現実に自分の身に降りかかってこなければ、わたしたち家族もまったくわからずにいただろうと思う。

けれど日本の今の司法の現実は、無罪を出すことは裁判官にとって、すごいリスクを抱えることなのだ。もちろんそういう裁判官は出世とは縁遠くなるということも弁護士さんから聞いた。(そんなのおかしいと誰も思う)

まるで素手で熊と格闘するような困難な闘いをしている人たちはものすごくたくさんいる。

息子は「もうこんなばかなことを早く忘れて、前向いて生きること考えた方が合理的かもしれない、これからやりたいこともいっぱいあるしなあ・・・」と呟いた。


1年前と何も変っていない現実に力がぬけていくような悲しい気持ちがした。