父と母、祖父や祖母が眠るお墓のある菩提寺の施餓鬼依に行った。
施餓鬼依というのは、先祖の霊が三界(餓鬼、畜生、あとなんだっけ?)に落ちてしまった霊を救うという意味で、1年に1度、お寺にいって供養する会です。
餓鬼道に落ちると、食べ物がみんな火になってしまって、食べることができないので、いつもおなかをすかせているのだそうです。
そんなおなかをすかせた先祖の霊を救うために供養するのだそうです。
この生きている世界もそんなかもしれない・・・・
わたしは信心深い方ではないし、日常無宗教なので、それでも1年に1度ぐらいはこうしてお寺にやってくる。
どちらかというと義理ですが・・・・・
檀家の人たちがたくさん集まる。
他のお寺の住職が10人も来て、本道でお経をあげるんだけど、それはお葬式の時のお経とは少し違っていて、なんだか歌をきいているように、住職がいっせいにみんなで歌う?と不思議な空間がうまれる。
いろんな宗教の死後の世界があるけれど、こういうお経をきいていると、死んでしまった世界に届けるには一番似合っているのが、こんな声かなあ・・・と思えてくる。
静けさにしみる声
遠くのまだ見ない世界に届けられる声
どこかへ繋がる声
わたしはふわりと眠くなってしまいました。
住職はみんなでお経を唱えながら本堂の仏像のまわりを回りながら、いろんな色の紙でできた小さなお札をまきます。
終わるとそのお札をもらって帰るのです。(お守りになるって)
お昼をいただいて帰ってきました。ちょっと日常からふっと抜け出したような時間です。
施餓鬼依というのは、先祖の霊が三界(餓鬼、畜生、あとなんだっけ?)に落ちてしまった霊を救うという意味で、1年に1度、お寺にいって供養する会です。
餓鬼道に落ちると、食べ物がみんな火になってしまって、食べることができないので、いつもおなかをすかせているのだそうです。
そんなおなかをすかせた先祖の霊を救うために供養するのだそうです。
この生きている世界もそんなかもしれない・・・・
わたしは信心深い方ではないし、日常無宗教なので、それでも1年に1度ぐらいはこうしてお寺にやってくる。
どちらかというと義理ですが・・・・・
檀家の人たちがたくさん集まる。
他のお寺の住職が10人も来て、本道でお経をあげるんだけど、それはお葬式の時のお経とは少し違っていて、なんだか歌をきいているように、住職がいっせいにみんなで歌う?と不思議な空間がうまれる。
いろんな宗教の死後の世界があるけれど、こういうお経をきいていると、死んでしまった世界に届けるには一番似合っているのが、こんな声かなあ・・・と思えてくる。
静けさにしみる声
遠くのまだ見ない世界に届けられる声
どこかへ繋がる声
わたしはふわりと眠くなってしまいました。

住職はみんなでお経を唱えながら本堂の仏像のまわりを回りながら、いろんな色の紙でできた小さなお札をまきます。
終わるとそのお札をもらって帰るのです。(お守りになるって)
お昼をいただいて帰ってきました。ちょっと日常からふっと抜け出したような時間です。
