読んでいたのは、「宮沢賢治の彼方へ」という天沢退二郎さんが書いた評論なんです。
宮沢賢治の作品には、一箇所物語がうすく彼方へ突き抜けていってしまう・・ところがあるというのが天沢さんの説で、それがすごくおもしろいのでした。
その彼方へというのが、賢治も不安に思っていて、初期の作品では、そこまで行かないうちに賢治は不安になり引き返してる、と天沢さんが物語を引用しながら書いているのですが、きっとすごい作品を創る人はふっと突き抜けて、彼方へいってしまう瞬間があるのだろうなあ、と妙に感心したのでした。
でもたぶんそれは、ものすごく怖いものでもある、と天沢さんは書いてましたが。
それはきっと詩でも音楽でも写真でも絵でも・・・突き抜けないと、彼方までいけないとだめかもしれない。
きのうは大黒柱であるお父さんの誕生日をすっかり忘れてました。
忙しかったので、買い物もせず、家の冷蔵庫のあり合わせ献立でした・・・
誕生日
より、命日
の方が近未来になってきた年齢?です。
お父さんは「おれは一体何歳になったんだっけ?」と聞くので、「知らない・・・」と答えたら(ほんとに自分の歳でさえ定かではないというか記憶の彼方なので)、2009年から生まれた西暦を引き算して、真面目に計算してました。
そして「うそっー!」と自分でびっくりして、「あといいとこ10年だな」とつぶやきました。
きっと日々忙しく仕事に追われているので、気がついたらおじいさん・・・みたいな浦島太郎にでもなったような気分だったのでしょう・・・・
宮沢賢治の作品には、一箇所物語がうすく彼方へ突き抜けていってしまう・・ところがあるというのが天沢さんの説で、それがすごくおもしろいのでした。
その彼方へというのが、賢治も不安に思っていて、初期の作品では、そこまで行かないうちに賢治は不安になり引き返してる、と天沢さんが物語を引用しながら書いているのですが、きっとすごい作品を創る人はふっと突き抜けて、彼方へいってしまう瞬間があるのだろうなあ、と妙に感心したのでした。
でもたぶんそれは、ものすごく怖いものでもある、と天沢さんは書いてましたが。
それはきっと詩でも音楽でも写真でも絵でも・・・突き抜けないと、彼方までいけないとだめかもしれない。
きのうは大黒柱であるお父さんの誕生日をすっかり忘れてました。
忙しかったので、買い物もせず、家の冷蔵庫のあり合わせ献立でした・・・
誕生日



お父さんは「おれは一体何歳になったんだっけ?」と聞くので、「知らない・・・」と答えたら(ほんとに自分の歳でさえ定かではないというか記憶の彼方なので)、2009年から生まれた西暦を引き算して、真面目に計算してました。

そして「うそっー!」と自分でびっくりして、「あといいとこ10年だな」とつぶやきました。

きっと日々忙しく仕事に追われているので、気がついたらおじいさん・・・みたいな浦島太郎にでもなったような気分だったのでしょう・・・・
