自走式移動胃袋 ~ The nomadic stomach ~

遍路物語 2006 (その1)

<<ちょっと「昔の旅の記憶」です>>

ちょっと古い話で恐縮ですが、2006年の5月8日から25日までの18日間で、四国 百八ヶ寺(八十八+二十/後述)、東寺、高野山と巡った旅の記録をブログなぞ始める前に書いていたのだが、年末年始に見直して全6回にて記事をアップすることにした。
昔から国内旅行ではカメラを持つことがないので写真がほとんどなく、チョロっと送った携帯の写真でごまかしてます。
美味しいものを探しにご来訪くださった皆様には肩すかしをくわせますがご容赦くださいませ。

さてさて、四国遍路を思い立ったのは2006年の年明けあたりだったのだが、さすがに真冬に出かける気にはならず、また花粉の季節が終わってからなど言い訳めいたことをつぶやきながら結局は連休明けのスタートとなった。
一口に「遍路」と言っても、歩き遍路やバスツアー、豪華タクシーなどなど様々なまわり方をされているようですが、ワシはいつもの国内一人旅と同じバイクで回ることに♪

歩き遍路(全行程1400キロを歩く)にしようかとも考えたのだが、師匠と仰ぐお坊様が「あの合理的なお大師さまが現代に生きていたら歩いたと思うかい? それよりどんな修行にするかが大事だよ。」の一言で心構えができました。 
確かに歩くことそのものも修行になるし、歩き遍路はお大師さんに会えるとも伝えられてもいるのだが、今回は百八ヶ寺を最後までお参りすることを我が修行の目的として愛車と共にまわりたいと思う。

遍路の目的は人間修行、供養、スタンプラリーなどなど様々だし、巡り方も人それぞれ、お参りの仕方も人それぞれだし、細かいことにこだわらないことが素直に遍路ワールドに入っていける近道だろう。

今回の遍路ではいわゆる八十八ヶ寺に加え、弘法大師さんとゆかりのある別格(昔は番外)と称される二十ヶ寺を加えた百八ヶ寺を巡り、最後は高野山にお参りをするという大枠のみを決めての出発にした。
会社勤めから離れて日程に余裕もあるので、日割りの細かい計画は決めずに基本的に「行き当たりばったり」の旅とした。
自家用車で八十八ヶ寺回れば早くて10日という目安があるのでまあ2週間前後で回れるかとの心づもりを持っての出発ではある。

今回はいつも長旅の相棒の独式一号機ではなく、小回りの効く伊式二号機との同道である。 
二号機は雷神仕様(チタン直管)なので他の巡礼者には少々迷惑かもしれないが長い時間でもないしお許しいただくこととしよう。


2006年5月8日(月)
夕刻。 そろそろ頃合いかと、荷物をまとめ、いざ出立しようとドアを開けたら雨が降っているではないか。
天気予報に裏切られるのはこの旅の常となることはこの時点では知る由もなく、「ワシは一部で噂されているような雨男じゃなくて、出歩いている日数が多いので自然と雨に会う回数も多くなるだけさ!」などと恨めしく空を見上げるもが止む気配はない。
さほど強い雨ではないのであきらめて小止みを狙って出発するが、春の雨は予想外に冷たくて、引きかけの風邪が悪化しそうで少し憂鬱になる。

迷いつつも雨具は着ないままに首都高を走り抜け、お台場のフェリー乗り場に到着しての乗船待ちになるのだが、連休明けということもあり閑散とした待合室では気分は盛り上がらず寒々としている。
それほど多くないバイクの一団は運良く乗用車に先行して乗船させてもらえたので、2等船室に自分の寝場所を確保してそそくさと風呂場に向かう。 
展望風呂ではあるが窓から見えるのは雨に濡れる東京港の波止場の景色というのがわびしい。
どうにか人心地を取り戻し出航前から港を眺めつつビールを飲み始め、船内レストランで夕食も兼ねたのんびりとした時間を過ごす。

東京発19時10分、徳島着は明日13時30分の予定でフェリーは定刻に出発する。
雑魚寝の二等ではあるが乗客も少なく場所を広くとっても気遣わずにすむのが楽だ。
この航路では1日交代で2等寝台と雑魚寝部屋タイプが入れ替わるのだが、これだけ乗客が少なければ雑魚寝タイプでも問題なしだ。
前月に乗った小笠原航路に比べれば子供だましのような揺れの中、夜半から風邪引きの熱が出たようで風邪薬と大量の水を飲み毛布を被ってひたすら眠る。

つづく…)

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