のんこ昔ばなし

隠れ家的な。

2021/10/12

2021-10-12 11:00:38 | 昔話
歳をとると、だんだん、自分が世の中に要らなくなってきたのを肌で感じるようになる。
自分が居なければ回らなかった家計、育児、介護。職場では、わたしのかわりはいくらでもいるという感覚はいつでもあったが、家の中では、他に担うものがいないという責任感が自分を支えていたのだろう。よくもまあ踏ん張れてきたものだと、あとからその過酷を振り返ってあきれたりする。だが、それを評価してくれる存在はとうに鬼籍に入っていて。誰一人、おまえは頑張ったと覚えていてくれるものはない。そして、担うものがなくなった今、わたしは、まだここにいてよいのだろうかと、こころもとない。
長年すれ違っていた夫婦が晩年になり、ふたたびむつまじく暮らすようになるきっかけは、案外そんな、物寂しさをふと共感しあう瞬間からかもしれない。
自分に関わる過去を語り合える相手がいない荒涼と、わたしと同じ立場の人はどう向き合っているのだろう。

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桔梗ヶ原ものがたり 4

2015-09-12 17:59:43 | 昔話

 

前編はこちらから。
2015/09/08
桔梗ヶ原ものがたり3
前編はこちら。2015/08/30桔梗ヶ原ものがたり2前編はこちら2015/08/28桔梗ヶ原ものがたり 1かつて戦場であった桔梗ヶ原。幾多の開拓計画がとん挫したあと、その大地は、その地についえた命の数を超えて人々の命を救う薬草の原となり哀れなる魂を浄化していきました。葡萄畑への開墾がかなったのはそののちのこと。。。…




        ************************************

さて、不毛の地、無用の長物と思っていたこの土地が開墾が進み生産のかなう土地となりますと、人の気持ちは複雑です。

桔梗ヶ原がひとつの区として独立する前では、この地は平出と床尾に分散されておりました。

いきおい平出と床尾の衆は、なにかとライバル意識が働いて、小競り合いがおおございました。

それをおさめたのが、桔梗ヶ原神社でございます。

桔梗ヶ原神社は大正15年に建立されましたが、それ以前には玄蕃稲荷の小さな祠がぽつんと芝草の上にあるだけでした。

この祠は当時平出の地籍でありましたので平出の衆が祭典を行っていました。

あるとき、親睦をはかることを目的としてこの祭りに平出、床尾の衆が双方寄り集まって酒宴を張りましたところ、酔いが進むにつれ日頃のうっぷんがわき出でて。

とうとう乱闘騒ぎになる始末。以来床尾の衆はこの祭りにいっさい足を運ばなくなる事態に。

子どもらは、境を関係なくまつわって遊んだものでございますが、喉が乾けばにごり水といえど井戸の水に手を伸ばします。

それを「床尾の水を飲むじゃねえ!」 と大人にまくられたこともあったわね、との思い出話も御年配よりお聞きしました。

入植者はその境界によって平出、床尾に分散されておりましたので、

内心は「困ったねぇ」「一緒に頑張って開墾した仲間なのにねぇ」とその争いを憂いておりました。

そうしたこともあってか、大正12年、分断されていた桔梗ヶ原は、平出、床尾からそれぞれに離脱し、単体で桔梗ヶ原区とあいなりました。

がしかし、わだかまりはまだくすぶり、対立意識は残っておりました。

それを一掃したのが、桔梗ヶ原神社の建立でございます。

当時の資料には、その対立を緩和するためにも神社の建立が不可欠との、顔役たちの想いが強く書かれております。

果樹生産地として、作神が必要と篤志が建立に尽力を図ったことにより、

この農村地帯を一体とする神様をまつる神社となり、こまかな地籍を関係なく自然とみながお参りするようになり、ともに祭典を行うようになりました。

そして、神社建立は平出の衆が、深層井戸の掘削は床尾の衆が受け持ち、桔梗ヶ原として独立した移住の民を隣人として改めて受け入れてくれたのでございます。

その後は、もともとは移住者の集まり、土着の古いしきたりやしがらみのない開拓民のまちとなった桔梗ヶ原は、その開拓魂ととともにさらなる発展を遂げてまいりました。

前例びいきをもたぬ開拓者ならではの冒険心、やってみてダメならこだわらずに次!そのこだわりのなさが功を奏したわけでございます。

     ***************************************************

桔梗が原神社には、生産の神とともに、今も玄蕃の丞の祠がちゃんとおいでなさいます。

一昨年には、駅前に設置されておりました玄蕃狐の石像も寄贈され、名実ともに、「桔梗ヶ原の玄蕃の丞」の神社としてこの地を見守ってくださっております。

お参りの際は、本社、向かって左に進みますれば、この鳥居。

この先に玄蕃稲荷がございますれば、ぜひ、お参りのほどを。



<終>
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桔梗ヶ原ものがたり 3

2015-09-08 22:37:51 | 昔話


土壌は乗鞍ゆらいの酸性土。地下水は深く潜りなかなかに掘りだせない、

苦労して掘っても鉄くさい、ガスは出る。川はない.

この最も自然環境の悪かったこの土地を果樹地帯として作りあげていくには、並大抵の苦労ではなかったはず。


全国における果樹栽培地の成功例をみますと、どの土地もなにかひとつよい条件を持っていることが分かります。

一つも条件がそろわぬ桔梗ヶ原の地に果樹栽培が成功したのは異例中の異例、と

昭和29年に調査に入った名古屋大学大学院の教授がその調査論文を書かれております。

とはいえ、いまのように初めから一面ブドウ畑だったわけではございません。

(明治39年)には諏訪から入植したものが、養蚕業を広めたことでクワ畑が一時急増したが、

1920年(大正9年)の不況で衰退してしまいました。

また、大正にはいりまして鉄道が引かれたり、道が良くなってまいりますと、さまざまな野菜を栽培し

特にキャベツは貨物列車で県外にも出荷するほどでございました。

またヤギを多く飼い、その乳を塩尻、松本に配達販売をしていた人もあったそうです。

そうして試行錯誤をしながら、徐々に技術の進歩とともに土壌の改良がかない、

今の繁栄を手に入れていったのでございます。

とくに水の確保が一番の課題でした。

井戸はいくつも掘りましたが、なかなかに良い水が出ず、枯渇も多かったので使い勝手が悪く。

そのうちに、1人が始めてみて、おお、これはいいと、雨水をためるタンクを各家々が持つようになり。

もっぱら井戸水よりも雨水の利用が主流を占めるようになりました。

また開花時や結実時期の遅霜も天敵で。

夜を徹して、畑のそこここに焚き火をし、霜を防いできたとのこと。

車が普及した頃には、もらいうけた古タイヤが程よくくすぶって有効だと、タイヤ火を使う農家が増え。

旧塩尻から、桔梗ヶ原を見降ろすと、その上の空が黒々と大きな柱がたつように黒煙が包んで見えたそうです。

今なら環境問題で大騒ぎになりそうおはなしです。

当時農家の子どもだった方々のなかには

「窓を閉めて寝ているのに、朝、鼻をかむと、黒い鼻水がでたものだ」と述懐なさっていました。


さて、不毛の地、無用の長物と思っていたこの土地が開墾が進み生産のかなう土地となりますと、人の気持ちは複雑です。

いろいろと小競り合いも出てまいります。

その収拾に一役買ったのが、「桔梗ヶ原神社」の存在。

以下、つぎのおはなしに。

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税所敦子物語(1)ー関白亭主に仕えるー

2013-08-21 10:13:01 | 昔話

※この伝記は、古書、屋代熊太郎編「税所敦子刀自」と、平井秋子著 「楓内侍」のニュアンスが異なるエピソードを摺合せ、ほかの伝聞、資料を加味し現代風にアレンジしたものです。

賢女としてのエピソードには事欠かない税所敦子女史ですが、完璧すぎることに物足りなさがあり、もっと人間臭い敦子女史に出逢いたく、文章化を試みました。

****************

税所敦子物語 (1) ーあつこ、関白亭主に仕えるー

あつこは、京都、錦織で生まれた。

生家は宮家付きの武士の家。

うまれつき、利発で、心根が特別優しい娘であったが、体が弱くその分両親の慈しみはことさらだった。

また、あつこは、虚弱なぶん、思考が大人びており、知的好奇心が旺盛でほかの子供たちとは一風変わっていた。

6歳の時、父が友達と歌会を催した、そばに居た娘、あつこ、見よう見まねで歌を作ってみせた。

その出来栄えのよさにおとな一堂びっくり。お父さん内心大いに鼻が高かったが、そこは女の子。

当時女子がおりこうぶるのは、疎まれたので、あからさまには褒めてはあげられなかった。

11歳の時、いきなりの行方不明、親が青くなって探しまわるが、見つからない。

3日2晩のちに見つかったのは、虚空蔵様のお堂の中。眼をつむり正座したまま飲まず食わずで顔は青ざめ。

やれやれなにはともあれ生きててよかったと連れ帰ろうとした両親に「お願いですからこのままに。」と懇願。

「いったいどうしたんだ」 すわ乱心かと心配した親が恐る恐るたずねると、

「このお堂で17日間断食祈願すると、智慧と学問を授けてくださると聴いたの。お願い、17日ここで祈願させてください。」との答え。

この時代、女子に学問は必要なしの風潮、いかにあつこが聡明であっても男子のように学問の道は与えられず、あつこはそのことが歯がゆくてならなかったのだ。

さてそのいきさつが評判となり、当時、歌聖と謳われていた千種有功卿の耳に入り。

「わたしが歌や学問を教えてあげようではないか。」とお声掛け。

あつこ、舞い上がって喜び、両親も喜んで卿のもとへ、あつこを通わせることとした。

学びを得たあつこは、乾土に水がしみるがごとく、どんどん知識を吸収、卿と交友のある他の師の元にも通いめきめきと実力をつけ

門下生の中でも秀才と誉を受けるまでに。

数年後、18の歳にいつくしんでくれた父が亡くなる。

悲嘆にくれたあつこであったが、その2年後20歳のおり、税所篤之氏のもとに嫁ぐこととなる。

篤之は、前妻とは死別のバツイチ子持ち。

娘二人の父であったが、その子らを、九州の実家母に預け、京に単身赴任していた。

仕事もできるがなかなかの洒落男。

書も、画も、歌もたしなみ、あつこの師である千種卿のところにも出入りしていたので、あつことは面識はあった。

ときにきまぐれにあつこに手ほどきもしたことだろう。

大好きな父を亡くしたあつこの眼には、かなり年上で才能ある篤之が理想の人に見えた。

「ああいう人のお嫁さんになりたいなぁ」とつぶやいたことがきっかけで

婚儀話はトントンと進み、晴れて夫婦に。

ところが、他人として接するのと、夫婦となった男女とでは対する態度は大違い。

元来が男尊女卑気質の激しい薩摩の男。

門下でも秀才と誉を受けていたあつこに対して、まぁ、厳しい、厳しい。

「世間知らずめ」「こんなこともできんのか」「おそいおそい」と叱咤が続き。

時に手を上げることもあった。


しかも、女買いも独身時代と変わらず続けやがる。

心配した親友、そっとあつこを訪ねることにする。きっとストレスたまっているはず、愚痴の一つも聴いてあげなきゃ。

で、あつこに尋ねる。

「わたしたちのあこがれである才女のあなたがなんでこんな仕打ちを受けなきゃいけないの、ひどいわご主人。つらいでしょう。」

あつこは、答える。

「私の大事な旦那さまを悪く言わないで。そりゃ、私は少しばかり学問をかじったけど、まだまだ未熟だし、大事に育ててもらった分世間知らずでどうしようもないのよ。旦那様はわたしが愛おしい気持ちが強くてつい声を荒げるの、手もでるの、わたしが可愛い反動なのよ。

それに、うぶなままなわたしでは大人の旦那様は物足りないのも仕方がないのよ。だから玄人の女の人に行く。
色恋ではない相手よ、
それは旦那様の誠意だわ。殿方なんだから仕方がないじゃない。
それを焼きもちなんか焼いたら、罰が当たるわ。辛抱して、お気に召すよう努め続ければきっと旦那様は私をあわれに思って改心してくださるに違いないのだから、ほっといて。」


でました!あつこの性善説思考と超ポジティブシンキング。

てっきり、よよと泣き崩れて嘆くであろうあつこを、しかと抱きしめ慰めようと心してきた親友、あんぐり拍子抜け。

「あなたって人はまぁ。。。」と苦笑するやら、感嘆するやら。

その言葉どおり、あつこの一念は、篤之の心を懐柔し、3年後には、模範亭主に様変わり。

あつこを愛でて、彼女一筋となり、数年後ようやく娘も授かった。 ーつづくー

                          

 

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父の昔話 青春篇

2013-02-09 18:17:22 | 昔話

母の古い写真をアップして父の昔話を思い出した。

あと半年戦争が長引いていたら学徒出陣に引っかかって戦地だったはずの父。

だから軍服姿の写真がないことが嬉しい。

大学は出たものの、戦後の混乱期で就職した貿易会社は半年でつぶれ、海外赴任の話もパー。

横浜の歯ブラシ工場でアルバイトをした。回収されてきた古歯ブラシを洗浄漂泊して毛先を整え箱詰めをする。

今じゃ考えられない衛生観念(笑)

治安が悪く、懐には皆、護身用のナイフを持ち歩いていたそうだ。

その道の男たちはチャカ(ピストル)を当たり前に持ち歩いていたそうで。

危険と混沌と、そしてエキサイティングがないまぜな港町で

数年そうやって日銭稼ぎと遊びと、ふらふらした後、地元に帰り地方官吏になった。


後年の、公務員気質ばりばりだった父からは想像できない昔話に、

ほえ~、ふ~んと聴き入ったのは、亡くなる数か月前の病床で。

あの頃は日が暮れるまでよく話した。


話せてよかった。

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