のんこ昔ばなし

隠れ家的な。

2021/10/12

2021-10-12 11:00:38 | 昔話
歳をとると、だんだん、自分が世の中に要らなくなってきたのを肌で感じるようになる。
自分が居なければ回らなかった家計、育児、介護。職場では、わたしのかわりはいくらでもいるという感覚はいつでもあったが、家の中では、他に担うものがいないという責任感が自分を支えていたのだろう。よくもまあ踏ん張れてきたものだと、あとからその過酷を振り返ってあきれたりする。だが、それを評価してくれる存在はとうに鬼籍に入っていて。誰一人、おまえは頑張ったと覚えていてくれるものはない。そして、担うものがなくなった今、わたしは、まだここにいてよいのだろうかと、こころもとない。
長年すれ違っていた夫婦が晩年になり、ふたたびむつまじく暮らすようになるきっかけは、案外そんな、物寂しさをふと共感しあう瞬間からかもしれない。
自分に関わる過去を語り合える相手がいない荒涼と、わたしと同じ立場の人はどう向き合っているのだろう。

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2 コメント

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Unknown (yo-サン)
2021-10-12 13:24:36
お久でした。
のんこ先生、まだまだ必要とされていますよ。
文面、半分は「そうだな」って思います。共感&同感です。
でも、私はまだすることがある(実際キリがないくらいに)ので、
「今を生きる」って思いで過ごしています。

寡黙のときが長かったので、講演等の声が出にくくなりました。
今月からちらほら講演や講義があり、ちょっとお悩み中です。
それではまた。ごきげんよう。
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Unknown (nonco2525)
2021-10-12 13:54:05
yo-サン。ご無沙汰しました。コロナ寡黙を経て、お仕事はこのところ一気にあわただしくなりましたが、どうにも気持ちがついていかないようです。ありがたいことと思わねばいけないのですが、むなしく思えたりして。やることがある、という明確な使命感が湧かないのを、年のせいにしてはいけませんねぇ。ご活躍がまぶしいです。
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