最近、自由なんとか協会とやらのジャーナリストらしからぬ言動が問題になっていて、それについて思うことはいろいろあるけれど、今日は上記タイトルの内容を書いてみたいと思います。
チベットのことに関わっている日本人の中には、恐らく私のような経験をした人がたくさんいるのではないかと思うので、そういう人にとっては特にめずらしい話ではないと思いますが。
何年か前、日本国内数ヶ所で行われた「聖地チベット展」。(←これについてはいろいろありますが)
私はたまたま東京でこれを見て、チベットの仏像の美しさに心惹かれました。(いや、本当は官能的過ぎて少々面食らいました。)
多くの仏像やタンカの中に、ぽつんと1つ展示されていた植物の絵が描かれているタンカが目に留まりました。
これはいったい何を表しているのだろうと気になり、どうしても知りたくなりました。
そんな折、長野県の小諸市での「チベット医学絵解き講座」の情報を見つけ、行ってみることにしました。
講師は日本人で唯一人のチベット医、小川康さん。
彼はチベット亡命政府のあるインドのダラムサラでメンツィカン(チベット医学暦法学大学)に通っていた頃の話をたくさんして下さったのですが、それが面白くて面白くて・・・。
あまりに面白いので、私もダラムサラに行ってみたくなりました。
ちなみに私以外にも、彼の影響でダラムサラに行った人は何人もいるようです。
それで昨年の3月に行くことになりました。
それはあの大震災のあった直後のことだったので、直前まで本当に渡航できるのかどうか心配でしたが、どうにか日本を発つことができました。
デリー空港のイミグレーションでパスポートを提示すると、職員の方が、
「your family,safe?」
と聞いてきました。私はすぐには意味がわからずぽかんとしていたら、
「tsunami」
と言われ、日本人のことを心配してくれてる様子に嬉しくなりました。
ダラムサラにはデリーからバスが出ていますが、なんと12時間かかります。
もちろん日本のような快適な高速バスと違うことを予想はしていましたが、あまりにも揺れが酷く、もう本当に死ぬかと思いました。私は靴を脱いで足を上げていたのですが、休憩時に外に出ようとすると靴が見つかりません。まさか靴が盗まれた?と思いましたが、よくよく探したら、私の席は中央付近だったのに一番後ろまで移動していました。それほど揺れがすごかったのです。
ダラムサラに着いた時には、もうこんな所には二度と来るまい、と思いました。
チベット医の小川さんと会う約束をしていたので、まっすぐルンタという日本食レストランへ向かいました。
ここはチベット難民救済のNGOで、レストランでチベット人が働いていたり、職業訓練を受けていたりします。
小川さんのことを聞くと、今はメンツィカンにいるとのこと。
ちょうどこれから中原さんという方が小川さんに会いに行く予定だから、一緒にということになった。
私は何もわからないまま、初対面の中原さんのバイクの後ろに乗ってメンツィカンへ。
後で小川さんに聞いたら、彼は中原一博(@tonbani)さんといってルンタプロジェクトの創設者だとのこと。
そして創設の際、多額の寄付をしたのが、ミュージシャンであり中原さんの広島時代の友人でもある浜田省吾さんだったとのこと。難民の宿舎には“Shogo Home”と名付けられていることなども、後で知りました。
中原さんのブログはこちら。
メンツィカンは50周年ということで、こんなふうに派手な飾り付けが。
ダライラマ法王の写真が真ん中に。
たくさんの医学タンカ。
医学タンカはこんなものも描かれています。(これはピンボケぐらいがちょうどいいでしょ)
これは何だろう。
美しい砂曼荼羅。
ひとまずこのへんで。
つづく。
チベットのことに関わっている日本人の中には、恐らく私のような経験をした人がたくさんいるのではないかと思うので、そういう人にとっては特にめずらしい話ではないと思いますが。
何年か前、日本国内数ヶ所で行われた「聖地チベット展」。(←これについてはいろいろありますが)
私はたまたま東京でこれを見て、チベットの仏像の美しさに心惹かれました。(いや、本当は官能的過ぎて少々面食らいました。)
多くの仏像やタンカの中に、ぽつんと1つ展示されていた植物の絵が描かれているタンカが目に留まりました。
これはいったい何を表しているのだろうと気になり、どうしても知りたくなりました。
そんな折、長野県の小諸市での「チベット医学絵解き講座」の情報を見つけ、行ってみることにしました。
講師は日本人で唯一人のチベット医、小川康さん。
彼はチベット亡命政府のあるインドのダラムサラでメンツィカン(チベット医学暦法学大学)に通っていた頃の話をたくさんして下さったのですが、それが面白くて面白くて・・・。
あまりに面白いので、私もダラムサラに行ってみたくなりました。
ちなみに私以外にも、彼の影響でダラムサラに行った人は何人もいるようです。
それで昨年の3月に行くことになりました。
それはあの大震災のあった直後のことだったので、直前まで本当に渡航できるのかどうか心配でしたが、どうにか日本を発つことができました。
デリー空港のイミグレーションでパスポートを提示すると、職員の方が、
「your family,safe?」
と聞いてきました。私はすぐには意味がわからずぽかんとしていたら、
「tsunami」
と言われ、日本人のことを心配してくれてる様子に嬉しくなりました。
ダラムサラにはデリーからバスが出ていますが、なんと12時間かかります。
もちろん日本のような快適な高速バスと違うことを予想はしていましたが、あまりにも揺れが酷く、もう本当に死ぬかと思いました。私は靴を脱いで足を上げていたのですが、休憩時に外に出ようとすると靴が見つかりません。まさか靴が盗まれた?と思いましたが、よくよく探したら、私の席は中央付近だったのに一番後ろまで移動していました。それほど揺れがすごかったのです。
ダラムサラに着いた時には、もうこんな所には二度と来るまい、と思いました。
チベット医の小川さんと会う約束をしていたので、まっすぐルンタという日本食レストランへ向かいました。
ここはチベット難民救済のNGOで、レストランでチベット人が働いていたり、職業訓練を受けていたりします。
小川さんのことを聞くと、今はメンツィカンにいるとのこと。
ちょうどこれから中原さんという方が小川さんに会いに行く予定だから、一緒にということになった。
私は何もわからないまま、初対面の中原さんのバイクの後ろに乗ってメンツィカンへ。
後で小川さんに聞いたら、彼は中原一博(@tonbani)さんといってルンタプロジェクトの創設者だとのこと。
そして創設の際、多額の寄付をしたのが、ミュージシャンであり中原さんの広島時代の友人でもある浜田省吾さんだったとのこと。難民の宿舎には“Shogo Home”と名付けられていることなども、後で知りました。
中原さんのブログはこちら。
メンツィカンは50周年ということで、こんなふうに派手な飾り付けが。
ダライラマ法王の写真が真ん中に。
たくさんの医学タンカ。
医学タンカはこんなものも描かれています。(これはピンボケぐらいがちょうどいいでしょ)
これは何だろう。
美しい砂曼荼羅。
ひとまずこのへんで。
つづく。
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