第十話を書いてからだいぶ日にちが経ってしまいました。
布農族(ブヌン族)の村での2日間があまりにも濃かったので、私の中でなかなか消化できずにいたのでした。
台湾に行く前、布農族(ブヌン族)の情報を得ようと必死だったのですが、言葉の壁と自分のキャパシティと時間の無さで、あまり情報が無いまま台湾に来たのでした。
とにかく台湾に行けば何かしら情報を得られるに違いないと思ったのですが、来てみてわかったのは、平地の人と山の人ははっきりと住み分けされているということでした。なので、お互いの情報をほとんど知らないし、関心も無いようでした。
それから、日本統治時代、台湾原住民は皆「高砂族」と呼ばれていたのかと思っていましたが、どうやら山に住む人々だけが「高砂族」と呼ばれていたようです。前日まで居た邵族(サオ族)の村は、私から見たら充分山間部の村のように思うのですが、彼らの意識は違うようで、「自分たちと山の人とは違う」と思っているようでした。
邵族(サオ族)の村のお土産屋で、とても品のある80歳のおばあちゃまと日本語で話をしたのですが、布農族(ブヌン族)の人たちの工芸品を手に取り、「山の人たちはこういうのが上手いのよ。でも生活も考え方も私たちとは合わないの。」と言っていました。それから映画セデック・バレ関連の物を私が手に取った時、彼女は「セデック族の人たちはあんな事件(霧社事件)を起こしちゃってねえ」(「まったく困った人たちよね」というニュアンス)と言っていたのが印象的でした。
9月25日(水)の続き。
さてさて、約束どおり、邵族(サオ族)の宿に迎えに来てくれたのは、布農族(ブヌン族)の宿のオーナーLovi(ロビ)さんとお友達のIvi(イビ)さん。
向かって右がLovi(ロビ)さん、左がIvi(イビ)さん。
2人とも肌が浅黒く、Loviさんは布農族(ブヌン族)の帽子をかぶっており、いかにもたった今、「山(という別世界)から下界へ降りて来ました」という雰囲気。ここからは彼らの車で山へ。
布農族(ブヌン族)は日本統治時代、最後まで抵抗した人々だと言われているので、ものすごい反日思想の持ち主だったらどうしようと緊張していました。彼らはとても誇り高い民族なので、文化を尊重するようにと観光用パンフレットにも書いてあったほどです。
それで私は、布農族(ブヌン族)の八部合唱をYouTubeで見て感動したことを一生懸命伝えたのでした。そして、映画「セデック・バレ」を見て、台湾の原住民文化に興味を持ったことも。
それでだんだん雰囲気がほぐれてきて、Loviさんが布農族(ブヌン族)の言葉を教えてくれました。
「ありがとう=ミンコウ ミンシャ」
「私は食べる=マ ウン カイシ」
だそうです。
Loviさんの宿はこんなところでした。原住民の雰囲気です。
HPはここだよん。
↓↓↓↓↓
雙龍客棧
Loviさんは池が好きなようで、自宅に2つ、宿に2つありました。
そして九族文化村でも見た薄っぺらい石。
この村は全く観光化されておらず、本当に何もないところでした。
で、夕飯はこんなに大量に。3人分くらいありそうです。頑張ったけど完食できず。
でもとても美味しかったです。自分の畑で作っている野菜と川で取れる香魚です。
この後、何度もLoviさんの奥さんの料理を食べるのですが、何を食べても本当に美味しかったです。
夕飯が終わると、「カラオケやる?」と訊かれました。え?ここで?なぜ?だってここ壁無いじゃん。それに隣近所に迷惑では?と思いましたが、9時半までなら大丈夫ということでやることに。
日本語の歌もあるのですが、なぜこんなマイナーな歌ばかり?というほど知らない歌ばかり。
都はるみなら、細川たかしなら、もっと他に有名な歌があるでしょ?と言いたくなりました。
もちろんビールもたくさん飲まされて(笑)
Loviさんとは片言の日本語と英語、そして中国語の筆談で話をしました。
彼が、「毎年ここに泊まりに来るとても素敵な日本人女性がいて、私は自分の娘のように思っている。」と言います。そして「今から電話するね」と。
その女性は台湾人の親族がいて、中国語を話せるようでした。電話を変わってもらって話をすると、「台湾原住民族との交流会という団体があるので、良かったら入りませんか」と紹介されました。彼女は研究者で、毎年この村に来てお年寄りに聞き取り調査をされているとのことでした。
私はまさかこんなところまで来る日本人はいないだろうと思っていたのですが、いたのですね。しかも毎年。そして「台湾原住民族との交流会」などという団体の情報までいただいてしまいました。私がここまで来るのは本当に大変で、苦しみながら一つ一つ情報を集めた先にやっとたどり着いた場所だったのですが、何だか一挙に視界が開けた感じです。
勿論、帰国後、私は「台湾原住民族との交流会」に入会しました。
そしてたくさんの資料が送られてきて、突然多くの情報が入ってきたので嬉しい悲鳴を上げているところです。これからゆっくりそれらを読んでいくつもりです。
そうそう、夕飯の後、Loviさんの奥さんからドラゴンフルーツをもらったのですが、さて、これをどうやって食べたらよいのでしょう。
では今日はここまで。
布農族(ブヌン族)の村での2日間があまりにも濃かったので、私の中でなかなか消化できずにいたのでした。
台湾に行く前、布農族(ブヌン族)の情報を得ようと必死だったのですが、言葉の壁と自分のキャパシティと時間の無さで、あまり情報が無いまま台湾に来たのでした。
とにかく台湾に行けば何かしら情報を得られるに違いないと思ったのですが、来てみてわかったのは、平地の人と山の人ははっきりと住み分けされているということでした。なので、お互いの情報をほとんど知らないし、関心も無いようでした。
それから、日本統治時代、台湾原住民は皆「高砂族」と呼ばれていたのかと思っていましたが、どうやら山に住む人々だけが「高砂族」と呼ばれていたようです。前日まで居た邵族(サオ族)の村は、私から見たら充分山間部の村のように思うのですが、彼らの意識は違うようで、「自分たちと山の人とは違う」と思っているようでした。
邵族(サオ族)の村のお土産屋で、とても品のある80歳のおばあちゃまと日本語で話をしたのですが、布農族(ブヌン族)の人たちの工芸品を手に取り、「山の人たちはこういうのが上手いのよ。でも生活も考え方も私たちとは合わないの。」と言っていました。それから映画セデック・バレ関連の物を私が手に取った時、彼女は「セデック族の人たちはあんな事件(霧社事件)を起こしちゃってねえ」(「まったく困った人たちよね」というニュアンス)と言っていたのが印象的でした。
9月25日(水)の続き。
さてさて、約束どおり、邵族(サオ族)の宿に迎えに来てくれたのは、布農族(ブヌン族)の宿のオーナーLovi(ロビ)さんとお友達のIvi(イビ)さん。
向かって右がLovi(ロビ)さん、左がIvi(イビ)さん。
2人とも肌が浅黒く、Loviさんは布農族(ブヌン族)の帽子をかぶっており、いかにもたった今、「山(という別世界)から下界へ降りて来ました」という雰囲気。ここからは彼らの車で山へ。
布農族(ブヌン族)は日本統治時代、最後まで抵抗した人々だと言われているので、ものすごい反日思想の持ち主だったらどうしようと緊張していました。彼らはとても誇り高い民族なので、文化を尊重するようにと観光用パンフレットにも書いてあったほどです。
それで私は、布農族(ブヌン族)の八部合唱をYouTubeで見て感動したことを一生懸命伝えたのでした。そして、映画「セデック・バレ」を見て、台湾の原住民文化に興味を持ったことも。
それでだんだん雰囲気がほぐれてきて、Loviさんが布農族(ブヌン族)の言葉を教えてくれました。
「ありがとう=ミンコウ ミンシャ」
「私は食べる=マ ウン カイシ」
だそうです。
Loviさんの宿はこんなところでした。原住民の雰囲気です。
HPはここだよん。
↓↓↓↓↓
雙龍客棧
Loviさんは池が好きなようで、自宅に2つ、宿に2つありました。
そして九族文化村でも見た薄っぺらい石。
この村は全く観光化されておらず、本当に何もないところでした。
で、夕飯はこんなに大量に。3人分くらいありそうです。頑張ったけど完食できず。
でもとても美味しかったです。自分の畑で作っている野菜と川で取れる香魚です。
この後、何度もLoviさんの奥さんの料理を食べるのですが、何を食べても本当に美味しかったです。
夕飯が終わると、「カラオケやる?」と訊かれました。え?ここで?なぜ?だってここ壁無いじゃん。それに隣近所に迷惑では?と思いましたが、9時半までなら大丈夫ということでやることに。
日本語の歌もあるのですが、なぜこんなマイナーな歌ばかり?というほど知らない歌ばかり。
都はるみなら、細川たかしなら、もっと他に有名な歌があるでしょ?と言いたくなりました。
もちろんビールもたくさん飲まされて(笑)
Loviさんとは片言の日本語と英語、そして中国語の筆談で話をしました。
彼が、「毎年ここに泊まりに来るとても素敵な日本人女性がいて、私は自分の娘のように思っている。」と言います。そして「今から電話するね」と。
その女性は台湾人の親族がいて、中国語を話せるようでした。電話を変わってもらって話をすると、「台湾原住民族との交流会という団体があるので、良かったら入りませんか」と紹介されました。彼女は研究者で、毎年この村に来てお年寄りに聞き取り調査をされているとのことでした。
私はまさかこんなところまで来る日本人はいないだろうと思っていたのですが、いたのですね。しかも毎年。そして「台湾原住民族との交流会」などという団体の情報までいただいてしまいました。私がここまで来るのは本当に大変で、苦しみながら一つ一つ情報を集めた先にやっとたどり着いた場所だったのですが、何だか一挙に視界が開けた感じです。
勿論、帰国後、私は「台湾原住民族との交流会」に入会しました。
そしてたくさんの資料が送られてきて、突然多くの情報が入ってきたので嬉しい悲鳴を上げているところです。これからゆっくりそれらを読んでいくつもりです。
そうそう、夕飯の後、Loviさんの奥さんからドラゴンフルーツをもらったのですが、さて、これをどうやって食べたらよいのでしょう。
では今日はここまで。
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