上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道69次を歩く (大湫宿~御嶽宿)まだまだ続く十三峠

2024年03月31日 | 街道を歩く




【19日目 美濃國 岐阜県】 令和6年(2024)3月16日(土)晴
 宿場距離:大湫宿~御嶽宿 31.4km 
 歩行距離:深萱バス停~御嶽駅 27.0km(累計453.4km) (日本橋・御嶽 2割増453.4/376.4=1.20)
 行  程:宿6:50---7:20深萱立場跡---8:45権現山一里塚---9:39大湫宿---10:32八瀬沢一里塚---11:40奥野田一里塚--12:00細久手宿---13:15鴨の巣一里塚---14:51謡坂一里塚---15:57栢森一里塚---16:00御嶽宿--16:25名鉄御嶽駅16:34==(300円)==16:46新可児駅--ホテルシンセリティ可児泊(朝食突き4800円)


朝食を早めてもらい武並駅前の宿を6時50分出立
十三峠を9超えてきましたが、「十三峠おまけの七つ」と言われており
実際は倍以上の西行坂から寺坂まで26ある
本日最初の坂は西坂、道中食堂・コンビニなどは無くお昼は持参
今日は解説版の下の武並駅から来て、中ほどトイレマークのある深萱立場跡から出立



バス停の奥に藤村高札場跡、道路を横断し細い道へ入る



山形屋 深萱立場茶屋跡






「ちんちん石」名前にひかれ是非見なければと探がした
民地のお墓なので入るのに躊躇したがそっと入らせてもらい
墓石の前の小石で上の横長の石をたたくと確かに「チンチン」と音がする
他人の墓を騒がせてしまったので手を合わせ非礼を詫びた



西坂


三城(みちじろ)坂



「みちじろ峠」と「ばばが茶屋跡」


茶屋坂



茶屋坂を下りきると舗装路に出る、昭和62年建設の中山道碑が恵那市と瑞浪市の境



大久後の茶屋跡を過ぎるとまた坂が始まる


観音坂



観音坂の馬頭様 赤い帽子に涎掛けはお地蔵様の様だが馬頭観音?


ここから地図中ほどの「寺坂の石仏様」まで未だ坂は
権現坂・鞍骨坂・吾郎坂・巡礼水坂・びやいと坂・曽根松坂・地蔵坂・しゃれこ坂・山之神坂・童子ヶ根・寺坂と11もある



左の標柱が灰くべ餅の出茶屋跡
灰に直接くべて焼いた餅、信州の名物「おやき」の様なものだろうか
群馬県片品村あたりではやはり灰に直接くべて食べる「おやき」を「ぶち」と言った



大久後の観音堂と弘法様(標柱)
弘法様はあるが観音堂は無い



権現坂 


鞍骨坂



炭焼き立場跡 右に解説版
解説版には「十三峠の中では特に眺望に恵まれ旅人に親しまれていた」と書いてある
その昔はね・・




なだらかな五郎坂 近くにトイレがある



樫木坂の石畳



権現山(樫木坂)の一里塚  (8:45 武並駅から5.2km)



巡礼水の坂



坂を登と左右にゴルフ場のカート道を横断




巡礼水と馬頭様
道脇に水が湧く巡礼水、右斜面上に馬頭観音(暦七年(1757)建立)



びあいと坂
「びあいと」は、「枇杷葉湯(びわようとう)」が転化したものと思われ、枇杷の葉に肉桂や甘茶などを加えて煎じた飲み物で、江戸時代には夏の暑気払に盛んに飲まれていた。




三十三所観音石窟 天保十一年(1840)建立
石窟内には道中安全を祈る、三十三体の馬頭観音が安置されている
石窟前の石柱には定飛脚嶋屋、京屋、甲州屋を始め奥州、越後の飛脚才領、松本や伊那の中馬連中が出資者として名を連ね中山道の往時を偲ばせる



尻冷やしの地蔵尊
お地蔵さんの後ろから清水が湧き、まるで尻を冷やしているように見える



地蔵坂を下り切った所で車道を横断
豚熱ウイルスに感染したイノシシが見つかったので入口に消毒用の石灰が撒かれていた



八丁坂(しゃれこ坂) 西行坂から数えて23番目の坂
奥に観音碑がある



山之神坂



竜子ケ根 
大湫宿の案内所でもらった地図には大湫宿側から寺坂に次ぐ2番目の坂(西行坂から25番目)に数えられている



寺坂の石仏群 最後の坂


>
47番目 大湫宿着 9:39 武並駅から7.3km 】


正面に「中山道 大湫宿 右 京へ四十三里半 左 江戸へ九十里半」
側面に「これより東 十三峠 道中安全」



大湫宿解説



石碑の隣が臨済宗妙心寺派 金城山宗昌寺



境内からは大湫宿が一望できる
左手奥の方にひと際高く御堂が見える
「大湫に過ぎたるもの二つあり、神明社の大杉と観音堂」の観音堂に違いない



桝形
右が旧旅籠三浦屋跡 江戸末期の建築で、国登録有形文化財
横にあった自販機で飲み物を買い十三峠に向かうドイツ人夫妻が居
これから大変だと声をかけたが通じなかった様だ




問屋丸森跡(森川家)国登録有形文化財
大湫宿の休憩所になっている




大湫本陣跡
市役所職員が作成した皇女和宮降嫁をイメージした陶製人形がある



梅が咲く脇本陣跡 立ち入り禁止




神明神社は慶長十三年(1608)の再建
御神木の大杉は樹高60m、幹回り11m、直径3.2mの大樹で昭和31年岐阜県天然記念物指定されていたが、平成16年に落雷に会い、平成24年に総事業費780万円で保存事業を行ったが令和2年の豪雨で根元から倒れてしまい、令和3年にモニュメントとして今の姿になった
県の指定時には推定樹齢1,300年であったが、今は670年とされている




弘化四年(1847)に再建された観音堂
天井絵は瑞浪市指定文化財だがガラス越しで見えにくい



復元された高札場



紅葉洞の石橋跡
1メートル余りの橋で舗装に隠れて見逃してしまいそう



小坂の馬頭様 左馬頭観音像は1869年(明治2)、右の文字塔は1895年(明治28)



大湫宿 西口
解説版には「大久手宿」とある、宿の名前は「大久手」町の名前は「大湫」だったようだ


中山道二つ岩 烏帽子岩



中山道琵琶峠東上り口

琵琶峠を中心とする1kmは開発から免れ当時の姿を保っている



琵琶峠 宝暦十三年(1763)建立の琵琶峠頂上の馬頭様
和宮歌碑「住み馴れし 都路出でて けふいくひ いそぐもつらき 東路のたび」1979年(昭和54)建立
(徳川家茂へ降嫁の際に詠んだ京都との惜別の歌)
峠というには見通しは悪く狭い道、近くに展望台がありそこからの眺めは良さそうだが通り過ぎた




八瀬沢の一里塚(琵琶峠の一里塚)両塚共現存 標高558m
江戸日本橋より数えて九十一里目、京へ四十三里 (10:32 武並駅から9.3km)
急坂の石畳の両側にあり左右がずれている
解説版の地図は北が下になっていて京都から江戸に向かう方向で書かれていて見慣れないと左右逆に見える




石畳の急坂を下ると、琵琶峠西登り口碑がある


北野坂の廻国塔(六十六部碑)  安永六年(1777)建立
全国六十六ケ国を巡礼達成記念か途中で亡くなった人の供養塔か??


道路沿いに街道にあった場所を示す杭が建っている

一つ屋茶屋跡 (表示杭だけ)


天神辻の地蔵尊 享保十三年(1728)造立


焼坂の馬頭様


天神坂
十三峠とおまけが七つをクリアしても未だ峠は続く





弁財天池(弁天池)
天保七年(1386)建立の石祠に、天文五年(1740)建立の弁財天(八臂の天女立像)が祀られている



奥野田の一里塚 江戸日本橋より九十二里目、京へ四十二里 (11:40 武並駅から13.8km)




三国見晴し台と馬頭様 元治元年(1864)建立
説明版に英語で建立年が書かれている
馬頭観音の手に赤い布のがかかっているがこのあたりの馬頭観音はお地蔵さんのように赤い布を付けるのだろうか?



【48番目 細久手宿着 12:00 武並駅から15.0km】




細久手宿高札場跡 細久手宿の江戸(東)口
奥に庚申堂がある



細久手公民館
閉館していたがトイレを借り、庭先で持ってきた昼食をいただく
やはりここまでコンビニや食堂は無かった




旅館大黒屋(国登録有形文化財) 安政六年(1859)建築 現在も営業中




細久手宿本陣跡
手書きの解説版がうれしいが、長寿クラブにメンテナンスまでは望めない?



バス停手前の空き地が脇本陣跡



日吉愛宕神社参道 細久手宿の京(西)口




細久手坂の穴観音 馬頭観音像で寛政十三年(1801)建立
縁日にお参りすると九万九千回分の御利益があるといわれ、九万九千日観音とも呼ばれている



津島神社
木曽路では火除けの秋葉神社が多かったがここにきて厄除け津島神社が増えてきた




馬水池
当時シベリア大陸単騎横断はすごいが、馬に水を飲ませただけで記念碑が建つとは





秋葉坂の三尊石窟
石窟は1768年(明和5)に造られ、三面六臂の馬頭観音立像、中央は一面六臂の観音座像、左は風化が進んで解らない石仏、石灯籠には1840年(天保11)の銘



鴨の巣辻(日吉辻)
石柱道標には「右旧鎌倉街道迠約一里余」、道標奥に道祖神



山道を行く





鴨之巣の一里塚 江戸日本橋より九十三里目、京へ四十一里 (13:15 武並駅より17.9km)
地形上の制約から両塚の位置が16mズレている(市指定史跡)



山内嘉助屋敷跡 酒造業を営み、中山道を通行する諸大名の休憩場所となっていた
下に解説版と思ったら、救急の場合の連絡方法が書かれていた、長い山道には安心材料
「救急の場合は119番 ここは中山道 御嵩町 津橋公民館から東へ500m地点」



天満宮常夜燈 享和元年(1801)建立
山道を過ぎ津橋の集落に出た



ツバシ橋?





観音堂入口には電気柵 立ち入り禁止?



馬の水飲み場 十三峠を控え馬に充分水を飲ませた





和宮の休息所が建てられた場所
恵那山や御嶽山が見えると書いてあるが木々に育ち見えない



唄清水 飲用不可の掲示あり
清水の傍らに句碑「馬子唄の 響きの波立つ 清水かな」




一呑の清水 中に一呑清水碑と地蔵尊
皇女和宮降嫁の際、野点に使われた清水
「岐阜県名水50選 この水は生水での飲用はしないで下さい」と注意書
「名水も 生で飲めなきゃ まよい水」noyama



馬頭観音像 天保十六年(1840)
このあたり石窟に安置されているものが多い




十本木立場跡



地蔵尊と清水




謡坂(うとうざか)十本木の一里塚 江戸日本橋より九十四里目 (14:51 武並駅から22.0km) 
明治41年(1908)、二円五十銭で民間に払い下げられその後取り壊された、昭和48年(1973)地元有志の手によりかつての一里塚近くに復元された




十本木茶屋跡 
広重の「木曽街道六十九次 御嵩宿」の絵のモデルともいわれる場所
今は、中山道を盛り上げる会の「いろは茶屋」
疲れたし、話のタネに寄りたかったが時間がないので通り過ぎることに




謡坂の石畳 平成9年から3年間で修復整備、平成の初めまでは行政にも金があった?




ここにも石窟内の馬頭観音
牛馬ばかりで無く行き倒れの旅人も葬った塚の様だ




耳神社 耳の病気に御利益があり、願掛けに錐(キリ)を奉納する
水戸天狗勢は耳神社の幟を敵の旗指物と思い、抜刀し臨戦態勢をとって進んだ



百八十八ケ所順拝納経塚
西国、四国、板東、秩父の霊場巡拝記念碑、自分も達成しているので記念碑が必要かな?



寒念仏供養塔
寒念仏は一年で最も寒さの厳しい小寒から節分迄の三十日間に渡る苦行
日光道中にもあり各地で行われたのだろうか?




牛の鼻欠(はなか)け坂
荷物を背に登ってくる牛の鼻がすれて欠けてしまうほどの急な登り坂
この坂を境に江戸方面は坂が続き、京方面はなだらかになる



最後の下り坂か?



馬頭観音像 文化十三年(1816) 
本日最後の坂であることをお願いする




山間の坂道も終わり、濃尾平野に出た様だ




いづみ式部廟所碑 御嵩町文化財
和泉式部は東山道をたどる途中御嶽の辺りで病に倒れ、鬼岩温泉で湯治したものの、寛仁三年(1019)ついにこの地で亡くなったといわれている
和泉式部の墓所は全国にいくつかある



郷社八幡神社社標

社殿は田圃の向こうに



栢森一里塚跡 江戸日本橋より95里 (16:00 武並駅から25.8km)
道標の下に一里塚跡を示す標柱がある




【49番目 御嶽宿着 16:00 武並駅から25.8km】


栢森の一里塚跡と同じ場所



御嶽町のマンホールは町章の御嶽山とアカマツのデザイン



弘法堂? 中に白い像が居るが民家の様で入らなかった



用心井戸
宿場の防火の役目を担い、 井戸の前には正一位秋葉神社と刻まれた石柱がある



商家竹屋と御嶽宿街並み




本陣跡


脇本陣跡




願興寺 2017年より10年かけて本堂解体修理中
815年(弘仁6)最澄により創建
可児薬師と呼ばれ薬師如来像ほか23体及び本堂が国指定の重要文化財に、鐘楼門が県指定文化財になっている



16:25 名鉄御嶽駅到着 (武並駅から)


御嶽駅16:34発、新可児駅16:46着(運賃330円)
新可児駅前のホテルに宿泊


夕飯は近くの「まる勝」という店で餃子&ラーメン





武並駅からは大湫の夫婦らしいドイツ人以外
外国人を含め街道歩きの人にはめったに出会わなかった
それにしても「十三峠おまけの七つ」を過ぎても美濃路は坂道ばかり
御嶽宿でようやく平坦な地に出た
皇女和宮の降嫁は総勢約2万人で行列は4隊に分かれ77kmにも及んだという
これだけの峠の数を越えるのにはどれだけの人手がかかったか
駆り出された人足が逃亡しり、苦役に耐えられなくなった人足が役人を殺して逃亡する事件もおきたそうです
今でもそのようなことが行われている国もあるようですが
そんな時代に生まれてこなくて良かったと思う今日この頃です


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 地図


これまでの記録はこちら

*参考
十三峠におまけが七つ
(江戸方)西行坂、七本松坂、槇ヶ根坂、乱れ坂、お継原坂、かくれ神坂、平六坂、紅坂、黒すくも坂、西坂、三城峠、茶屋坂、新道坂、観音坂、権現坂、鞍骨坂、吾郎坂、巡礼水坂、びやいと坂、曽根松坂、地蔵坂、しゃれこ坂、山之神坂、童子ヶ根、寺坂(京方)


参考1:「ちゃんと歩ける中山道69次」 八木牧夫著 山と渓谷社
参考2:五街道ウオーク:上記本の著者八木牧夫さんのホームページ
参考3:電子足跡:GPSログがとても参考になります
参考4:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
参考5:ウイキペディア
参考6:「長野県:歴史・観光・見所」
参考7:日本の街道を歩く旅


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