黒澤 丈夫(くろさわ たけお)1913(大正2)年12月23日生まれ
群馬県立富岡中学校、海軍兵学校63期卒業後。零戦搭乗員
戦争が終わると故郷の上野村で農業に従事、1965(昭和40年)
~2005(平成17年)92歳まで連続10期40年間村長。1995年
から4年間、全国町村会長を務める。 1985(昭和60年)8月の
日航ジャンボ機墜落事故では陣頭指揮をとり慰霊事業を実施。
私が機会に恵まれ黒澤村長から始めてお話を伺ったのは平成
12年のことだった。既に全国町村会長などを務め群馬県では知
らぬ人は居ないと思えるほど有力な政治家であった。
恐る恐る挨拶をすると柔和な笑顔で迎えてくれたのを覚えてい
る。この時村長9期目87歳であったが弁舌さわやかで国の予算
や山村振興事業の細目等皆覚えているのには驚かされた。
見たことは無いが古武士の風格とはこういうものかと思った。
300席ある会場は満席
96歳になる今、耳はかなり遠くなったようだが、話はしっかり
している。政治家は長くやると大体が金に纏わる話が出てくる
のが常の様だが黒澤元村長にはそういった話は聞かない。
その姿勢は海軍航空隊隊長として最初の特攻隊員との出会
いが影響していると言われている。
黒澤元村長は講演で必ず『陰徳を積んで陽報を求めず』と言う
これは若いころ体験した広島県佛通寺の藤井虎山先生のおしえで
あるという。この寺では、皆が何時も人のために奉仕する。この
ため知らずに衣類を脱ぎっぱなししておくと誰かが洗濯してくれ
ている。トイレが汚れているなんてことは決して無い。
戦争体験と「陰徳を積む」ことの実践が清貧で古武士の風格
を生んでいるに違いない。
今日の講演では村長として「栄光ある上野村」「村民が誇りを
持てる村づくり」をするため、村民の健康・道徳・知識・経済の
水準を上げるための施策に取り組んできた話をした。
・健康水準の高い村づくり
成人病という言葉が一般的で無い時代に減塩運動を実施し、
屋外にあった便所や風呂を屋内に移すことに補助金を出した。
村民の高血圧が改善され世間で話題になることで村民に自信
が湧いてきた。
・道徳水準の高い村づくり
「豊かに生きる心の柱」という本を全戸配布し、親は子供に
読み聞かせるようにした。実は親にこそ読んでもらいたかった
本だった。良い日本、良い群馬、良い上野村を作るためには
住民自身が良くならなければならない。
・知識水準の高い村づくり
村の費用で数学の先生を雇用したり、村づくりを学ばせるた
めスイスに若者を派遣したり、カナダから英語の先生を雇用し
子供たちを留学させた。田舎に住んでいても知的水準は高く
なければならない。
・経済的に豊かな村づくり
村を通る道を国道に昇格させ、救急車が総合病院へ70分
以上かかったのを40分に短縮させたトンネルの開設。
(山の資源を生かすため、全国初の村営国民宿舎を開設、
木工品の開発、イノブタの飼育等様々な取り組みもしてきた)
施策を板書する黒澤元村長
40年間のイヤ96年間の生涯を1時間半の講演ではとても
語りつくせぬのだが、最後に「どうか上野村を応援していただ
きたい」と来場者に呼びかけ結んだ。最後まで村長として村を
心配しているのだ。
全員の拍手に送られ、しっかりとした足取りで退場する
トップは永く続くと裸の王様になってしまう
本人にはそのつもりはなくても周りがそうしてしまう
悪いことは耳に入れない、虎の威を借りるものが出てくる
黒澤村政にも少なからずあったろう
しかし私心の無い政治家黒澤丈夫は素敵な人物である
送る人は皆 氏を未だ村長と呼ぶ
この方が上野村を日本のスイスでと言われたんですね。92歳まで現役だったとは(゜o゜)
政治にはお金が絡むものと思いがちですが黒澤村長はただ、ただ村を愛しておられたんでしょうね。
あったことはありませんが・・・この村長さんのことどこかで聞いた記憶があります。
いいお話ですね
機会があればオイラもどこかで拝聴したいものです。
黒澤元村長さん・・・元気で長生きしていてほしいですね。
そうです群馬のチベットと揶揄されたた上野村を日本のスイスにしようと言われたのが黒澤元村長です
上野村に日航機が落ちたり東京電力のダムができたころから近隣の町村との軋轢も生まれたようですが
上野村のことが大好きだったんだと思います
村長時代には実践を重ねた実力から国会議員より中央に顔が利く存在だった様です
NHKのラジオ深夜便にも何回か登場していると聞きました
元気で居て欲しいものです
観察会で御挨拶をいただきお話したことを
思い出しました。
村益主義に徹して私益は追わない姿は
本当に感じるものがありました。
仕事でも多少縁があり懐かしい気持ちです。
御無沙汰しております
黒澤元村長とは3年程お付き合いさせていただきましたが 本当に人物を感じさせられる存在でした
冬には野鳥観察にお邪魔したいと思っております
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した
一方、救助に奔走したのは米国のみであった
なお、米国機関で改めて調査を行ったところ、生存者の一部は、伊豆の達磨山の地下にヘリで連れていかれ、少なくとも十数年は生存していたことが新たに判明した