5/10、本サイト(九州神社紀行)を更新しました。
神武東征の日向の船出から、大和の橿原の宮での即位まで順路を追って、ゆかりの神社を順次掲載します。
表紙の神社を神武東征の途次、菟狭国造の祖である菟狭津彦と菟狭津媛から一柱騰宮で饗応された宇佐神宮から神武天皇社に変更しました。
神武天皇社は、神武天皇一行が宇佐から、北九州(筑紫国)の遠賀川河口の岡水門に至り、一年滞在された岡田宮の地とされています。
境内入り口には、昭和15年(1940年)紀元2600年の奉祝事業として建立された、「神武天皇聖蹟崗水門(おかのみなと)顕彰碑」があり、
裏に「神武天皇申寅年十一月舟帥ヲ率ヰテ筑紫國崗水門二至リ給ヘリ聖蹟ハ此ノ地附近ナルベシ」 とあります。
神武天皇社(じんむてんのうしゃ)
<通称>神武さん(じんむさん)
【鎮座地】〒807-0112 福岡県遠賀郡芦屋町正門町14-15 旧筑前国 遠賀郡
【御祭神】・神武天皇
・仲哀天皇
・神功皇后
【例祭】 4月3日 神武天皇祭 9月17日 放生会大祭
【旧社格等】 県社
【御由緒】
神武天皇社(じんむてんのうしゃ)
福岡県遠賀郡芦屋町。
旧県社。
祭神は神武天皇。
『古事記』 神武天皇東征の条に「筑紫の岡田宮に一年 坐しき」、『日本書紀』同条には「天皇、筑紫国の岡水門に至りたまふ」とあり、万葉歌碑「天霧らひ日方吹くらし水茎の岡の水門に波立ち渡る」の置かれたこの芦屋が岡田宮、岡水門の地であり、また、神武天皇 東征時の軍船を集め給いし行宮の霊跡とも 伝え、遠賀川河口の古代要港であったことがうなずけ、これらの神武天皇伝承が創祀と深く結びついている。国主黒田氏の治政下でも崇敬篤く社地、社殿改築用材の寄進が行われていた。
例祭四月三日、九月一七日。
大正一〇年(一九二一) 県社に列格。
昭和二〇年六月、空襲爆撃のため社殿焼失 目下鎮座の地芦屋の氏神様であり岡水門の鎮護神としての「岡湊おかみなと神社」に仮合祀されている。
(1997年 東京堂出版 神社辞典)
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