田島神社(佐賀県唐津市)を掲載しました。
田島神社(たしまじんじゃ)
【鎮座地】〒847-0305 佐賀県唐津市呼子町加部島3956 旧肥前国 松浦郡
【御祭神】田心姫尊 市杵嶋姫尊 湍津姫尊 (配祀)大山祇神 (合祀)稚武王尊
【例祭】7月最終土・日曜日夏季大祭 9月16日例祭
【旧社格等】旧国幣中社 現別表神社
式内社 肥前國松浦郡 田嶋坐神社 名神大
【御由緒】
田島神社
御祭神
当田島神社は田心姫尊、市杵島姫尊、湍津姫尊の田島三神を祭神とし、相殿に大山祇神、稚武王尊を配祀します。
御由緒
田島三神は遠い神代の昔に天照大御神が素盞嗚尊と剣玉の御誓にて御気吹の中よりお生れなさいました三柱の姫神で御出現になりました。
当社の御鎮座の年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古い神社の一つとして知られています。当社への朝廷の御崇敬は特に篤く、奈良時代天平十年には、大伴古麻呂に詔命があって田島大明神の御神号をお贈りなされた。
大同元年には神封十六戸を充てられ、正四位に列せられ中世以降は諸武将の崇敬も厚く、江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となり、明治四年國幣中社に列格され、毎年勅使を派遣されていたが、戦後宗教法人となり別表神社に編入された。
御神徳
田島大神は、海陸交通安全、航海安全船舶守護、大漁満船、海運漁業者の崇敬が極めて厚く五穀豊穣、商売繁盛の祈願所となり、古来より大陸の要衝でもあり、遣唐使は航海安全を祈願し、古社として崇敬され現在に至っています。
(社前案内板より)
参道入口の社号標
平成17年1月1日、唐津市に合併された旧東松浦郡呼子町の北に浮かぶ加部島にあります。呼子大橋を渡り、東へおよそ1kmほどの加部島漁港を望む高台に鎮座。
参道の鳥居
鳥居をくぐると右手に手水舎、左に社務所があります。
頼光(らいこう)鳥居
佐賀県最古の肥前鳥居で、円融天皇 天元3年(980年)大江山の鬼退治で有名な源頼光が肥前守として都より下向の際に寄進したものです。
船着場の鳥居
漁港に突き出た船着場に向かって建てられています。
鳥居をくぐると階段の参道が続き、上りきると立派な神門があります。
拝殿
神門を抜けると左手に朱塗りの佐與姫神社、正面一段高い位置に拝殿、その奥に本殿があります。
佐與姫神社
末 社 佐與姫神社(さよひめじんじゃ)
御祭神 松浦佐與姫尊 (まつうらさよひめのみこと)
御神徳 縁結び 夫婦円満
由 緒 羽衣、浦島と並ぶ日本三大伝説の松浦佐與姫を祀る。
伝説によると佐與姫は田島神社の神前に詣でて夫の安泰を祈りながら泣き続け息
絶えて神石(望夫石・ぽうふせき)になったとされている。その望夫石は現在当
神社の本殿床下に祀ってある。
文禄二年、豊臣秀吉は名護屋城在陣の折、姫島(加部島)の内百石の社領を朱印状でもって寄進している。この社領は徳川政権以降も寄進され続けた。
力石
豊臣秀吉が名護屋在陣の折、その配下武将等が田島神社参拝に際し、海岸より一抱えもある円石を社前に運び上げ此を両手で頭上高く何回棒げ得るかに依って、互に力量を競い合ったもので、現在は一個しか残っていない。
御崎神社
末 社 御崎神社(みさきじんじゃ)
御祭神 級長津彦神(しなつひこのかみ) 級長津姫神(しなつひめのかみ)
猿田彦神(さるたひこのかみ)
御神徳 海上安全 旅行安全
由 緒
文禄時代、豊臣秀吉の帆船「小鷹丸」で七度の朝鮮へ航海往復を為し得たことから、船霊の守護神として祀られている。その後小鷹丸は当神社へ奉納され、解体された後、船材の一部は現在社庫に保管されている。
神門
神門から漁港の景観
社殿全景
田島神社(たしまじんじゃ)
【鎮座地】〒847-0305 佐賀県唐津市呼子町加部島3956 旧肥前国 松浦郡
【御祭神】田心姫尊 市杵嶋姫尊 湍津姫尊 (配祀)大山祇神 (合祀)稚武王尊
【例祭】7月最終土・日曜日夏季大祭 9月16日例祭
【旧社格等】旧国幣中社 現別表神社
式内社 肥前國松浦郡 田嶋坐神社 名神大
【御由緒】
田島神社
御祭神
当田島神社は田心姫尊、市杵島姫尊、湍津姫尊の田島三神を祭神とし、相殿に大山祇神、稚武王尊を配祀します。
御由緒
田島三神は遠い神代の昔に天照大御神が素盞嗚尊と剣玉の御誓にて御気吹の中よりお生れなさいました三柱の姫神で御出現になりました。
当社の御鎮座の年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古い神社の一つとして知られています。当社への朝廷の御崇敬は特に篤く、奈良時代天平十年には、大伴古麻呂に詔命があって田島大明神の御神号をお贈りなされた。
大同元年には神封十六戸を充てられ、正四位に列せられ中世以降は諸武将の崇敬も厚く、江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となり、明治四年國幣中社に列格され、毎年勅使を派遣されていたが、戦後宗教法人となり別表神社に編入された。
御神徳
田島大神は、海陸交通安全、航海安全船舶守護、大漁満船、海運漁業者の崇敬が極めて厚く五穀豊穣、商売繁盛の祈願所となり、古来より大陸の要衝でもあり、遣唐使は航海安全を祈願し、古社として崇敬され現在に至っています。
(社前案内板より)
参道入口の社号標
平成17年1月1日、唐津市に合併された旧東松浦郡呼子町の北に浮かぶ加部島にあります。呼子大橋を渡り、東へおよそ1kmほどの加部島漁港を望む高台に鎮座。
参道の鳥居
鳥居をくぐると右手に手水舎、左に社務所があります。
頼光(らいこう)鳥居
佐賀県最古の肥前鳥居で、円融天皇 天元3年(980年)大江山の鬼退治で有名な源頼光が肥前守として都より下向の際に寄進したものです。
船着場の鳥居
漁港に突き出た船着場に向かって建てられています。
鳥居をくぐると階段の参道が続き、上りきると立派な神門があります。
拝殿
神門を抜けると左手に朱塗りの佐與姫神社、正面一段高い位置に拝殿、その奥に本殿があります。
佐與姫神社
末 社 佐與姫神社(さよひめじんじゃ)
御祭神 松浦佐與姫尊 (まつうらさよひめのみこと)
御神徳 縁結び 夫婦円満
由 緒 羽衣、浦島と並ぶ日本三大伝説の松浦佐與姫を祀る。
伝説によると佐與姫は田島神社の神前に詣でて夫の安泰を祈りながら泣き続け息
絶えて神石(望夫石・ぽうふせき)になったとされている。その望夫石は現在当
神社の本殿床下に祀ってある。
文禄二年、豊臣秀吉は名護屋城在陣の折、姫島(加部島)の内百石の社領を朱印状でもって寄進している。この社領は徳川政権以降も寄進され続けた。
力石
豊臣秀吉が名護屋在陣の折、その配下武将等が田島神社参拝に際し、海岸より一抱えもある円石を社前に運び上げ此を両手で頭上高く何回棒げ得るかに依って、互に力量を競い合ったもので、現在は一個しか残っていない。
御崎神社
末 社 御崎神社(みさきじんじゃ)
御祭神 級長津彦神(しなつひこのかみ) 級長津姫神(しなつひめのかみ)
猿田彦神(さるたひこのかみ)
御神徳 海上安全 旅行安全
由 緒
文禄時代、豊臣秀吉の帆船「小鷹丸」で七度の朝鮮へ航海往復を為し得たことから、船霊の守護神として祀られている。その後小鷹丸は当神社へ奉納され、解体された後、船材の一部は現在社庫に保管されている。
神門
神門から漁港の景観
社殿全景
拙ブログにご来訪ありがとうございます。
”縁結びの神として佐用姫神社、田島神社を広く知らせたいのですが”とのことですが
どのようなメディアにお使いですかお知らせください。
縁結びの神として佐用姫神社、田島神社を広く知らせたいのですが、良い写真が撮れずに困っていました。
素敵な写真を使わせていただくことはできますか?条件がございますか?
縁結びの神として佐用姫神社、田島神社を広く知らせたいのですが、良い写真が撮れずに困っていました。
素敵な写真を使わせていただくことはできますか?条件がございますか?
ご指摘のとおり、7月最終土・日曜日に訂正いたしました。
YouTube拝見しました。大変コンパクトに纏められていて、境内のレイアウト等、分り良く出来ていて素晴らしいです。
いつも境内社の配置など詳細を記録してなく各社の記事作製に苦労していましたが、今後コンパクトカメラの動画機能を活用して試したいと思います。
今後とも宜しくおねがいいたします。
狛犬中心のものですが、御覧いただければ幸いです。