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8/01、本サイト(九州神社紀行)を更新しました。
神武東征の日向の船出から、大和の橿原の宮での即位まで順路を追って、ゆかりの神社を順次掲載します。
表紙の神社を難波に上陸後、長髄彦の軍との合戦で負傷し、紀伊国竈山にて崩御した、神武天皇の長兄彦五瀬命を奉斎する竈山神社から神倉神社に変更しました。
神倉神社は、熊野速玉大社の元宮で神武一行が、熊野神邑(くまのみわのむら)に到着後、ただちに向かった「天磐盾」(あめのいわたて)は当社の「磐座」通称ことびき岩とされています。
神倉神社(かみくらじんじゃ)
【鎮座地】〒647-0081 和歌山県新宮市磐盾 旧紀伊国 牟婁郡
【御祭神】高倉下命 (配祀)天照大神
【例祭】 2月6日 お燈祭
【旧社格等】熊野速玉大社摂社
【御由緒】
神倉神社
御祭神
高倉下命(たかくらじのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
例祭 二月六日夜
御灯祭りと言う古儀の特殊神事として名高い。
白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけて急坂(源頼朝公御寄進の鎌倉式石段)を馳下る壮観な火祭りである。
御由緒
熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。
熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地、熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
御祭神高倉下命は建国の功臣、熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業漁業の守護神として御神徳が高い。
(社頭由緒掲示板より)
参拝月日 04/03/2009
神倉神社
和歌山県新宮市磐盾。熊野速玉大社の摂社。文正六年(?)、 神倉山上に小社を造営。 大正二年(一九一三) 二月五日遷座。
祭神高倉下命は、神武東征 に韴霊神剣を天神の命により持ち下った。 社殿裏に接してゴトビキ岩という巨岩があ り、『書紀』の天磐盾をこれに充てる説も ある。
『紀南響導記』に神倉山は魔所なので申の刻以後は参らないと伝う。六月一八日扇立祭、二月六日御燈祭という松明をともして急坂の参道を駆けおりる行事がある。
(菅居)
(神社辞典・東京堂出版より)
天磐盾顕彰碑 参道入口にあります。
「神武天皇紀 至熊野神邑 旦登天磐盾 鈴木江邨謹書」とあります。平成2年の建国記念の日に建立されています。
社殿全景
天磐盾(あめのいわたて)
神武天皇紀(日本書紀)には戌午年(ぼごのとし)(紀元前三年)六月(みなづき)に狭野(佐野)を越えて「熊野神邑(くまのみわのむら)に到り、旦(すなわち)天磐盾に登りて」と記しています。
紀元二千六百五十年(平成二年)を奉祝して神武天皇聖蹟である熊野神邑(新宮の古称)の天磐盾(神倉山)の顕彰碑を神倉神社奉賛会が奉献し、文字は鈴木江邨氏が謹書されています。
平成二年二月十一日 建国記念の日
熊野速玉大社摂社 神倉神社
(案内板より)
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