5/26(水)27(木)、かねてより念願の一年に一日しか上陸出来ない、沖津宮現地大祭に参拝してきました。
ところが思わぬ顛末が待っていようとは、、、。
沖津宮の鎮座する沖ノ島は北九州市と福岡市のほぼ中間に位置する、宗像本土からおよそ60kmの玄界灘沖に浮かぶ周囲4kmの絶海の孤島です。島全体が神域とされ、一般の者がこの島に上陸できるのは、年に一日だけ、毎年5月27日、沖津宮で行われる現地大祭に参拝するしかありません。このお祭りに参拝できるのは、事前に申し込み、宗像大社から許可の出たおよそ200人、70歳以上の渡島も、原則禁止されています。宗像市では世界遺産登録に向けて活動中で、平成21年1月5日、世界遺産暫定リストに記載されています。
この現地大祭の行われる5月27日は、戦前までは1905年(明治38年)日本海海戦を記念して制定された海軍記念日でした。日本海海戦の戦勝記念と英霊の鎮魂が発端であったことからこの日に行われることになったとのことです。
日本海海戦は、東郷平八郎元帥率いる日本艦隊とロシアのバルチック艦隊とが沖ノ島沖で交戦し、日本軍がわずか数時間でバルチック艦隊を壊滅させ、日露戦争の勝利となった、歴史的な海戦です。
以前古本屋で入手していた、昭和3年7月1日、官幣大社宗像神社社務所発行の「官幣大社宗像神社蔵版 沖津宮」には当日の日誌が掲載されていて(44~47頁)当時の緊迫した臨場感が切々と伝わってきます。
当日までの経緯
1.3月25日 当ブログ等にコメントを頂く御津垣さんより、九州神社紀行・ご記帳所掲示板に申し込み受付中の書き込みを頂き当日、電話にて申し込み書類の郵送手続きをする。
2.3月26日 申込書の到着を待たず、辺津宮社務所で直接手続き完了。
3.4月21日 参拝許可証を受領
4.4月22日 旅館を手配、民宿「つわせ」に予約完了。
この現地大祭の行程は前日の5月26日、午後6時までに筑前大島に渡り、中津宮にて受付をすませ、宵宮祭に参列、説明会に出席、大島に宿泊、翌朝06時30分までに港に集合、07時00分大島港出港、09時00分沖ノ島到着、海水で禊をすませ、10時00分からの祭典に参列、13時00分沖ノ島離島、15時00分大島港到着、現地解散となっています。
5月26日(水)、辺津宮に立ち寄り、参拝と御朱印を頂く為、早めに自宅を出発。
13:38 宗像大社・辺津宮、到着。改めてじっくりと境内を散策しました。
14:30 御朱印をいただき、神湊漁港に向かいました。この時点で空は雲が立ち込めどんよりとしています。
14:40 神湊港に到着、海は荒れていて白波が立っていました。
天気予報では、参拝当日の27日は曇り後晴れ、天気の回復を祈るばかりです。
大島に渡る旅客船「しおかぜ」79トン、
大島へはフェリー「おおしま」と2隻で、一日8往復就航しています。
15:30 定刻に出港
15:40 ほどなく、船体が前後に激しく揺れ、船体が波に当たるガタンと言う音に恐怖感に襲われました。窓にも激しく波がぶつかります。
15:54 15分ほど辛抱して、なんとか大島に上陸
港には今夜お世話になる、民宿「つわせ」のマイクロバスが出迎えてくれていて、同宿の5名の方とまずはチェックインとしました。
16:08 民宿「つわせ」着、夕日の絶景が楽しめる西向きに建てられています。
海岸にはこちらも大きな波が打ち寄せていました。
明日目指す沖ノ島はこの写真の右端はるか沖合いにあります。
17:15 受付と宵宮祭に参列のため中津宮に到着
沖津宮奉賛会費二万円をお納めし、記念品と班別に割り振られた乗船券を頂きました。船は游漁船でなく大島に渡ったときと同じ、旅客船「しまかぜ」にちょっぴり安心しました。
17:40 大分参列の方々が集まってきました。
18:00 渡島の安全祈願祭「宵宮祭」の開始です。
18:20 最後に、宮司の挨拶、翌日は天候次第で渡島中止もあるとのお話に皆さん神妙にお聞きしていました。
この後、班毎の説明会があり、解散となりました。
また、出迎えの民宿のマイクロバスで民宿に帰還、一番風呂に男数人とくっつきあって入浴、刺身数種、さざえ、魚の煮つけなど当日御主人が漁をしてきた、新鮮な魚介類にいつものとおりビール、焼酎がすすみ、同宿の方と談笑、楽しいひと時を過ごし、早目に床につきました。
渡島当日の模様は、続く、、、
ところが思わぬ顛末が待っていようとは、、、。
沖津宮の鎮座する沖ノ島は北九州市と福岡市のほぼ中間に位置する、宗像本土からおよそ60kmの玄界灘沖に浮かぶ周囲4kmの絶海の孤島です。島全体が神域とされ、一般の者がこの島に上陸できるのは、年に一日だけ、毎年5月27日、沖津宮で行われる現地大祭に参拝するしかありません。このお祭りに参拝できるのは、事前に申し込み、宗像大社から許可の出たおよそ200人、70歳以上の渡島も、原則禁止されています。宗像市では世界遺産登録に向けて活動中で、平成21年1月5日、世界遺産暫定リストに記載されています。
この現地大祭の行われる5月27日は、戦前までは1905年(明治38年)日本海海戦を記念して制定された海軍記念日でした。日本海海戦の戦勝記念と英霊の鎮魂が発端であったことからこの日に行われることになったとのことです。
日本海海戦は、東郷平八郎元帥率いる日本艦隊とロシアのバルチック艦隊とが沖ノ島沖で交戦し、日本軍がわずか数時間でバルチック艦隊を壊滅させ、日露戦争の勝利となった、歴史的な海戦です。
以前古本屋で入手していた、昭和3年7月1日、官幣大社宗像神社社務所発行の「官幣大社宗像神社蔵版 沖津宮」には当日の日誌が掲載されていて(44~47頁)当時の緊迫した臨場感が切々と伝わってきます。
当日までの経緯
1.3月25日 当ブログ等にコメントを頂く御津垣さんより、九州神社紀行・ご記帳所掲示板に申し込み受付中の書き込みを頂き当日、電話にて申し込み書類の郵送手続きをする。
2.3月26日 申込書の到着を待たず、辺津宮社務所で直接手続き完了。
3.4月21日 参拝許可証を受領
4.4月22日 旅館を手配、民宿「つわせ」に予約完了。
この現地大祭の行程は前日の5月26日、午後6時までに筑前大島に渡り、中津宮にて受付をすませ、宵宮祭に参列、説明会に出席、大島に宿泊、翌朝06時30分までに港に集合、07時00分大島港出港、09時00分沖ノ島到着、海水で禊をすませ、10時00分からの祭典に参列、13時00分沖ノ島離島、15時00分大島港到着、現地解散となっています。
5月26日(水)、辺津宮に立ち寄り、参拝と御朱印を頂く為、早めに自宅を出発。
13:38 宗像大社・辺津宮、到着。改めてじっくりと境内を散策しました。
14:30 御朱印をいただき、神湊漁港に向かいました。この時点で空は雲が立ち込めどんよりとしています。
14:40 神湊港に到着、海は荒れていて白波が立っていました。
天気予報では、参拝当日の27日は曇り後晴れ、天気の回復を祈るばかりです。
大島に渡る旅客船「しおかぜ」79トン、
大島へはフェリー「おおしま」と2隻で、一日8往復就航しています。
15:30 定刻に出港
15:40 ほどなく、船体が前後に激しく揺れ、船体が波に当たるガタンと言う音に恐怖感に襲われました。窓にも激しく波がぶつかります。
15:54 15分ほど辛抱して、なんとか大島に上陸
港には今夜お世話になる、民宿「つわせ」のマイクロバスが出迎えてくれていて、同宿の5名の方とまずはチェックインとしました。
16:08 民宿「つわせ」着、夕日の絶景が楽しめる西向きに建てられています。
海岸にはこちらも大きな波が打ち寄せていました。
明日目指す沖ノ島はこの写真の右端はるか沖合いにあります。
17:15 受付と宵宮祭に参列のため中津宮に到着
沖津宮奉賛会費二万円をお納めし、記念品と班別に割り振られた乗船券を頂きました。船は游漁船でなく大島に渡ったときと同じ、旅客船「しまかぜ」にちょっぴり安心しました。
17:40 大分参列の方々が集まってきました。
18:00 渡島の安全祈願祭「宵宮祭」の開始です。
18:20 最後に、宮司の挨拶、翌日は天候次第で渡島中止もあるとのお話に皆さん神妙にお聞きしていました。
この後、班毎の説明会があり、解散となりました。
また、出迎えの民宿のマイクロバスで民宿に帰還、一番風呂に男数人とくっつきあって入浴、刺身数種、さざえ、魚の煮つけなど当日御主人が漁をしてきた、新鮮な魚介類にいつものとおりビール、焼酎がすすみ、同宿の方と談笑、楽しいひと時を過ごし、早目に床につきました。
渡島当日の模様は、続く、、、
(今日の仕事は、体力的に少々辛かった。。。)
さて、この度はいろいろお世話になりました。
また、お会いできるのを楽しみにしております。
ちなみに次回は、天気予報をあてにせず、山仕様の格好で伺うつもりです。カメラの腕も磨いておきます。
そうそう、ご連絡頂きました東郷神社で、三笠の砲身等見てまいりました。
ちょっと感動ものでした。
では、皆様 当日どうなったかをお楽しみに。
失礼致しました。
3月25日貴重な情報をいただき、無事に参拝でき、感謝いたしております。沖ノ島への渡島中止は12年ぶりとのことで、これも貴重な体験と思っています。島の皆さんの暖かいおもてなしに感謝感激いたしました。
東郷神社では社前の山にある戦艦三笠の艦橋を模した日本海海戦記念碑はご覧にならなかったのでしょうか、説明不足で申し訳ありませんでした。
昨日、今日とやぼ用が重なり、先ほどやっとPart2の掲載ができました。
今後とも何卒宜しくお願いいたします。
また、お会いできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。