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10/03(土)、久しぶりの好天に恵まれ、急に思い立ち近場に出かけてきました。
場所は、この夏思わぬアクシデントで海にも行くことができなかったので、海の景色を楽しむこととし、博多湾の北入口に浮かぶ歴史の島、志賀島にしました。
周囲およそ12kmを時計回りに一周することにして、金印公園、蒙古塚(蒙古首切塚)、下馬ケ浜海水浴場、志賀海神社・沖津宮、仲津宮と巡り、島の東海岸の岩場の景観を楽しみ帰路につきました。
沖津宮(おきつぐう)
【鎮座地】〒811-0323福岡県福岡市東区志賀島勝馬 旧筑前国 糟屋郡
【御祭神】表津綿津見神 天御中主神
【例祭】
【旧社格等】旧官幣小社(現別表神社)志賀海神社・摂社
福岡縣神社誌には無格社、沖波神社(志賀島村勝間字瀬脇)とありますが、当社かな?
【御由緒】
志賀海神社略記
古事記上巻に「此三柱綿津見神者阿曇連等之祖神以伊都久神也阿曇連者其綿津見神子宇都志日金拆命之子孫也」旧事記に「底津少童命・仲津少童命・表津少童命(綿津見神の別号)此三神者阿曇連等所祭筑紫斯香神也」
即ち神代の昔伊弉奈岐大神筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊祓ひ給ひ身心の清浄に帰り給ひし時生れ給ひし御神にして海神の総本社として鴻大無辺の神護を垂れ給ひ諸々の海の幸を知食し給ふ故に神功皇后御征韓に際しては神裔阿曇連磯良丸命をして舟師を導かしめ給ひ又元寇の役その他国家非常に際し赫々たる御神威を顕はし給へり、さればしばしば勅使の奉幣あり延喜の御代には名神大社に列せられ或は封戸奉り神階を賜ふ等上下の尊崇深厚を極め神領等も頗る多く、中津宮、沖津宮と共に三社別々に鎮祭せられ結構壮麗を極めたりしが
其後久しく兵乱打続き神領等も次第に失せびて漸次衰微するに到れり然るに豊臣秀吉九州出陣に際し朱印地の寄進ありたる外、大内義隆、小早川隆景、小早川秀秋、黒田長政等諸将相についで社殿の造営神領の寄進等ありて凡そ面目を改めるも尚到底昔日の比にあらず、明治五年僅かに村社に指定せられたる状態なりしが大正十五年官幣小社に昇格仰出されたり。
(平成祭データ)
島の北端に位置する沖津島遠景
志賀島国民休暇村前の海岸から沖津宮の鎮座する沖津島の遠景です。
右の小山には、仲津宮の鎮座しています。
海岸は下馬ケ浜海水浴場になっていて、散策を楽しむ男女、釣りをしている人、サーフィンに興じる若者等でけっこう賑わっていました。
下馬ケ浜海水浴場から沖津島
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沖津宮の鳥居
ほぼ正面から
万葉歌碑から沖津島
下馬ケ浜海水浴場を過ぎて海岸沿いに進むと右(山側)に万葉歌碑・10号碑があります。
万葉歌碑・10号碑
「志賀の海人は 藻刈り塩焼き いとまなみ 髪梳の小櫛 取りも見なくに」(巻3・278)
万葉歌碑(志賀島10号碑)
志賀の海人は海藻を刈ったり塩を焼いたりして暇がないので、髪をすく櫛を手にとっても見ないことよ。
毎日はげしい生業にたずさわって働き暮らす志賀の海人のなりふりを構う暇もない身の上を思いやった歌で、作者は石川少郎(君子)である。
綿津見の神への信仰をよりどころとして、古代に生きた島人の姿はこのような歌に詠まれたが、特に志賀というこの島の名を詠み入れた歌は二十首をこえており、まさに志賀島は「万葉の島」というにふさわしいところである。なお、碑後のタブの木の茂みにおおわれた森は志賀海神社の中津宮であり、浅瀬の向こうの小島の上の社は沖津宮である。
2003年3月 福岡市教育委員会
(案内板より)
沖津島
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島に向かって石が積まれて桟橋のようになっています。周囲はテトラポット?で保護されています。
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大潮の干潮時には島に渡れるようですが、想像していたより距離も深さもあるように感じました。
沖津宮の鳥居
仲津宮の鎮座する小山
この小山には中津塚古墳があります。
舞能の浜側からの景観
玄海島
平成17年3月の福岡県西方沖地震で甚大な被害を蒙り、先頃、全面的に復旧しました。
下馬ケ浜海水浴場から
志賀島国民休暇村
場所は、この夏思わぬアクシデントで海にも行くことができなかったので、海の景色を楽しむこととし、博多湾の北入口に浮かぶ歴史の島、志賀島にしました。
周囲およそ12kmを時計回りに一周することにして、金印公園、蒙古塚(蒙古首切塚)、下馬ケ浜海水浴場、志賀海神社・沖津宮、仲津宮と巡り、島の東海岸の岩場の景観を楽しみ帰路につきました。
沖津宮(おきつぐう)
【鎮座地】〒811-0323福岡県福岡市東区志賀島勝馬 旧筑前国 糟屋郡
【御祭神】表津綿津見神 天御中主神
【例祭】
【旧社格等】旧官幣小社(現別表神社)志賀海神社・摂社
福岡縣神社誌には無格社、沖波神社(志賀島村勝間字瀬脇)とありますが、当社かな?
【御由緒】
志賀海神社略記
古事記上巻に「此三柱綿津見神者阿曇連等之祖神以伊都久神也阿曇連者其綿津見神子宇都志日金拆命之子孫也」旧事記に「底津少童命・仲津少童命・表津少童命(綿津見神の別号)此三神者阿曇連等所祭筑紫斯香神也」
即ち神代の昔伊弉奈岐大神筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊祓ひ給ひ身心の清浄に帰り給ひし時生れ給ひし御神にして海神の総本社として鴻大無辺の神護を垂れ給ひ諸々の海の幸を知食し給ふ故に神功皇后御征韓に際しては神裔阿曇連磯良丸命をして舟師を導かしめ給ひ又元寇の役その他国家非常に際し赫々たる御神威を顕はし給へり、さればしばしば勅使の奉幣あり延喜の御代には名神大社に列せられ或は封戸奉り神階を賜ふ等上下の尊崇深厚を極め神領等も頗る多く、中津宮、沖津宮と共に三社別々に鎮祭せられ結構壮麗を極めたりしが
其後久しく兵乱打続き神領等も次第に失せびて漸次衰微するに到れり然るに豊臣秀吉九州出陣に際し朱印地の寄進ありたる外、大内義隆、小早川隆景、小早川秀秋、黒田長政等諸将相についで社殿の造営神領の寄進等ありて凡そ面目を改めるも尚到底昔日の比にあらず、明治五年僅かに村社に指定せられたる状態なりしが大正十五年官幣小社に昇格仰出されたり。
(平成祭データ)
島の北端に位置する沖津島遠景
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志賀島国民休暇村前の海岸から沖津宮の鎮座する沖津島の遠景です。
右の小山には、仲津宮の鎮座しています。
海岸は下馬ケ浜海水浴場になっていて、散策を楽しむ男女、釣りをしている人、サーフィンに興じる若者等でけっこう賑わっていました。
下馬ケ浜海水浴場から沖津島
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沖津宮の鳥居
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万葉歌碑から沖津島
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下馬ケ浜海水浴場を過ぎて海岸沿いに進むと右(山側)に万葉歌碑・10号碑があります。
万葉歌碑・10号碑
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「志賀の海人は 藻刈り塩焼き いとまなみ 髪梳の小櫛 取りも見なくに」(巻3・278)
万葉歌碑(志賀島10号碑)
志賀の海人は海藻を刈ったり塩を焼いたりして暇がないので、髪をすく櫛を手にとっても見ないことよ。
毎日はげしい生業にたずさわって働き暮らす志賀の海人のなりふりを構う暇もない身の上を思いやった歌で、作者は石川少郎(君子)である。
綿津見の神への信仰をよりどころとして、古代に生きた島人の姿はこのような歌に詠まれたが、特に志賀というこの島の名を詠み入れた歌は二十首をこえており、まさに志賀島は「万葉の島」というにふさわしいところである。なお、碑後のタブの木の茂みにおおわれた森は志賀海神社の中津宮であり、浅瀬の向こうの小島の上の社は沖津宮である。
2003年3月 福岡市教育委員会
(案内板より)
沖津島
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島に向かって石が積まれて桟橋のようになっています。周囲はテトラポット?で保護されています。
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大潮の干潮時には島に渡れるようですが、想像していたより距離も深さもあるように感じました。
沖津宮の鳥居
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仲津宮の鎮座する小山
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この小山には中津塚古墳があります。
舞能の浜側からの景観
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玄海島
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下馬ケ浜海水浴場から
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どこのサイトよりキレイな絵です
(写真の腕がうらやましい。。。
土日の強行軍なのですが、ゆっくりそぞろ歩き
してみたい海岸です。
自分が伺うのは、丁度 大潮なので(その日に合わせました)、
天候に問題なければ渡って参拝してみようと思います。
もちろん中津宮を合わせて。
これからも、ちょくちょくお邪魔させて頂きますので、よろしくお願いします。
神社パンフレットに摂社、末社等の所在地を掲載した島全体の地図があり、この仲津宮の近く(東側)に本社の元宮にあたる表津宮跡とあります。今回は事前準備なしで参拝しましたので見逃しましたが、次回じっくりと島内を探訪したいと思います。
時間が許せば是非訪ねてください。
好天に恵まれますようお祈りいたします。
つい忘れがちだった、故郷の美しさを
改めて心に感じさせて頂きました。
今から志賀海神社のおくだり様の準備に出かけます。
美しい志賀島の写真を見て、嬉しかったです。
コメントありがとうございます。
最近、ダム工事の中止など話題になっていますが、ふるさとの自然の景色などいつまでも残したいものです。
この島は、護岸工事、山間の遊歩道なども自然と調和してみごとに整備されていて素晴らしいと思います。
今回は急用ができて駆け足で巡りましたが、潮見展望台からの眺望も是非見たいと思っています。