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射水神社(富山県高岡市)を掲載しました。
射水神社(いみずじんじゃ)
【鎮座地】〒933-0044 富山県高岡市古城1-1 旧越中国 射水郡
【御祭神】瓊瓊杵尊
【例祭】 4月23日 例祭
【旧社格等】国幣中社(現別表神社)
越中國一の宮
式内社 越中國射水郡 射水神社 名神大
【御由緒】
由 緒
祭神 二上神 例祭日四月二十三日
北西五粁の二上山にこの神の降臨は悠久の古代に属し詳らかでないが天武天皇の三年(皇紀一三三五 西紀六七五)正月奉幣に與られた傳承を以て鎮座の年と定めた 次いで慶雲三年初めて祈年奉幣の例に入り宝亀十一年從五位下の神階に叙せられ延喜の神名帳には越中唯一の名神大社に挙げられた
やがて戦国の世屡 兵火に罹り頽廃したが前田利家利長の保護により輪奐を改め明治四年國幣中社に列した
維新の神佛分離規則に從い且つは広く県民の崇敬に迎えられ寺坊所管の二上を離れて明治八年九月現在地に遷座せられた
境外摂末社
日吉社 大山咋神 四月十八日
悪王子社 地主神 五月十三日
院内社 菊理媛神 五月三日
諏訪社 建御名方神 八月二十七日
高岡市護国神社 殉國諸神 十月一日
(社頭由緒掲示板)
射水神社参拝のしをり
創始は太古のことで、年代は詳かではないが、延喜式内名神大社であり、越中文化発祥にゆかり深い大守護神として崇敬せられている。
伝によれば、養老年間、僧行基二上山麓に養老寺を建て、この神を祀り、二上権現と称した。当時の領域は、二上荘六十七カ村、社寺は二上全山に亘り二十二万余坪に達したと云〓われ、越中全土の各戸より毎年初穂米一升奉納の制があり、盛大を極めた。その後、承平ら、天正の両度兵火により悉く烏有に帰し、一時衰頽したが、慶長年間、前田利家卿社殿再建の上、社領および一山を付し、国内に命じて初穂米奉納の制を復活し、明治維新まで続いた。
明治四年、国幣中社に列格し、同八年、高岡城本丸跡の現在地に遷座され、同三十三年六月、高岡大火の折類焼、同三十五年復活。特に昭和の御代、五十年四月には「日本書紀」に天武天皇三年(紀元千三百三十五年)正月、奉幣に与ったことが見えることより起算して鎮座千三百年式年大祭を斎行。畏きあたりより奉幣の栄に浴した。又、昭和五十九年には新たに「参集殿」が竣工、輪奐に一層の光彩を加えた。
幾歳の春風秋雨ありと云え、我が日本の神々は、徒に腕力や智力を以て秘と嚇し掠める逆賊を懲らし、朝夕に忠実な國民を援け、まごころ篭めて働く人々を庇い、而して、邪心無き老若男女や、寄る辺無き遺族に啓示垂れ給うなど、皇室を尊崇し、公私を違えず、最も大義名分を明らかにする處に光被し給うのであります。
(平成祭データ)
富山県の北西部に位置する高岡市にあります。市の中心部、JR高岡駅の北東およそ1kmにある高岡古城公園の内濠の中、本丸広場南東側に隣接して鎮座しています。
この公園の外濠を一周する道路は一方通行になっており、神社への入口まで辿り着くのに大変手間取り苦労しました。
社号標
鳥居の手前左にあります。
表「國幣中社 射水神社」、側面に「明治四拾四年 九月 敬神講」と刻まれています。奥に由緒掲示板が並んでいます。
手水舎
鳥居をくぐって直ぐ、参道左にあります。
手水鉢(石)は明治8年9月の日付がありますので、二上山麓から当地に遷座された時のものと思われます。
参道から拝殿
参道左に進むと本丸広場、右は平成10年秋に完成した新参集殿です。正面に拝殿から本殿です。拝殿左に授与所があり、御朱印はここでいただけます。
拝殿
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当社の北4kmに位置し、万葉集にも詠まれている標高273mの二上山を神奈備とし、その山麓に二上神一座を祀ったのが創始です。二上神は伊弥頭国造の祖神であると言われ、古くから越中国総鎮守ともされています。
社伝では養老年間(714~723年)に僧・行基が二上山麓に養老寺を建て、この神を二上権現と称して祀ったとされています
拝殿の扁額
扁額には「射」の字に独特の書体で「射水神社とあります。
社殿全景
現在の神明造りの社殿は明治8年当地に遷座された後、明治33年の大火で類焼したため同35年9月に再建されたものです
本殿
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御祭神、瓊瓊杵尊は創建時の二上神と同一神とされています。
本殿は鬱蒼とした樹木に覆われ全容は見られません。神明造り、銅板葺屋根に内削ぎの千木、鰹木6本の堂々とした風格です。
ただ、伊勢神宮では内削ぎの千木、偶数の鰹木は女神とされており、これには習っていません。
拝殿から参道
当高岡古城公園は、高岡市役所の南西およそ1kmと近く、当社参道入口の両側にある高岡市民会館、市立博物館の他、動物園、市民体育館など公共施設が集中してあります。また樹木が茂り市民の憩いの場となっているようです。
高岡大仏
当社の南西500mほど坂下町通りにあります。
高岡は梵鐘・銅像などの銅器製品の産地です。この銅器製造技術の粋を集め、1907年(明治40年)から26年の歳月をかけて1933年(昭和8年)に完成しました。総高15.85m、重量 65トンあり、日本三大仏(奈良、鎌倉、三番目が高岡大仏)に数えられています。
写真は雨天で、信号待ちの車のフロントガラス越しで良くありません。
射水神社(いみずじんじゃ)
【鎮座地】〒933-0044 富山県高岡市古城1-1 旧越中国 射水郡
【御祭神】瓊瓊杵尊
【例祭】 4月23日 例祭
【旧社格等】国幣中社(現別表神社)
越中國一の宮
式内社 越中國射水郡 射水神社 名神大
【御由緒】
由 緒
祭神 二上神 例祭日四月二十三日
北西五粁の二上山にこの神の降臨は悠久の古代に属し詳らかでないが天武天皇の三年(皇紀一三三五 西紀六七五)正月奉幣に與られた傳承を以て鎮座の年と定めた 次いで慶雲三年初めて祈年奉幣の例に入り宝亀十一年從五位下の神階に叙せられ延喜の神名帳には越中唯一の名神大社に挙げられた
やがて戦国の世屡 兵火に罹り頽廃したが前田利家利長の保護により輪奐を改め明治四年國幣中社に列した
維新の神佛分離規則に從い且つは広く県民の崇敬に迎えられ寺坊所管の二上を離れて明治八年九月現在地に遷座せられた
境外摂末社
日吉社 大山咋神 四月十八日
悪王子社 地主神 五月十三日
院内社 菊理媛神 五月三日
諏訪社 建御名方神 八月二十七日
高岡市護国神社 殉國諸神 十月一日
(社頭由緒掲示板)
射水神社参拝のしをり
創始は太古のことで、年代は詳かではないが、延喜式内名神大社であり、越中文化発祥にゆかり深い大守護神として崇敬せられている。
伝によれば、養老年間、僧行基二上山麓に養老寺を建て、この神を祀り、二上権現と称した。当時の領域は、二上荘六十七カ村、社寺は二上全山に亘り二十二万余坪に達したと云〓われ、越中全土の各戸より毎年初穂米一升奉納の制があり、盛大を極めた。その後、承平ら、天正の両度兵火により悉く烏有に帰し、一時衰頽したが、慶長年間、前田利家卿社殿再建の上、社領および一山を付し、国内に命じて初穂米奉納の制を復活し、明治維新まで続いた。
明治四年、国幣中社に列格し、同八年、高岡城本丸跡の現在地に遷座され、同三十三年六月、高岡大火の折類焼、同三十五年復活。特に昭和の御代、五十年四月には「日本書紀」に天武天皇三年(紀元千三百三十五年)正月、奉幣に与ったことが見えることより起算して鎮座千三百年式年大祭を斎行。畏きあたりより奉幣の栄に浴した。又、昭和五十九年には新たに「参集殿」が竣工、輪奐に一層の光彩を加えた。
幾歳の春風秋雨ありと云え、我が日本の神々は、徒に腕力や智力を以て秘と嚇し掠める逆賊を懲らし、朝夕に忠実な國民を援け、まごころ篭めて働く人々を庇い、而して、邪心無き老若男女や、寄る辺無き遺族に啓示垂れ給うなど、皇室を尊崇し、公私を違えず、最も大義名分を明らかにする處に光被し給うのであります。
(平成祭データ)
富山県の北西部に位置する高岡市にあります。市の中心部、JR高岡駅の北東およそ1kmにある高岡古城公園の内濠の中、本丸広場南東側に隣接して鎮座しています。
この公園の外濠を一周する道路は一方通行になっており、神社への入口まで辿り着くのに大変手間取り苦労しました。
社号標
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表「國幣中社 射水神社」、側面に「明治四拾四年 九月 敬神講」と刻まれています。奥に由緒掲示板が並んでいます。
手水舎
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手水鉢(石)は明治8年9月の日付がありますので、二上山麓から当地に遷座された時のものと思われます。
参道から拝殿
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参道左に進むと本丸広場、右は平成10年秋に完成した新参集殿です。正面に拝殿から本殿です。拝殿左に授与所があり、御朱印はここでいただけます。
拝殿
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当社の北4kmに位置し、万葉集にも詠まれている標高273mの二上山を神奈備とし、その山麓に二上神一座を祀ったのが創始です。二上神は伊弥頭国造の祖神であると言われ、古くから越中国総鎮守ともされています。
社伝では養老年間(714~723年)に僧・行基が二上山麓に養老寺を建て、この神を二上権現と称して祀ったとされています
拝殿の扁額
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扁額には「射」の字に独特の書体で「射水神社とあります。
社殿全景
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現在の神明造りの社殿は明治8年当地に遷座された後、明治33年の大火で類焼したため同35年9月に再建されたものです
本殿
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御祭神、瓊瓊杵尊は創建時の二上神と同一神とされています。
本殿は鬱蒼とした樹木に覆われ全容は見られません。神明造り、銅板葺屋根に内削ぎの千木、鰹木6本の堂々とした風格です。
ただ、伊勢神宮では内削ぎの千木、偶数の鰹木は女神とされており、これには習っていません。
拝殿から参道
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当高岡古城公園は、高岡市役所の南西およそ1kmと近く、当社参道入口の両側にある高岡市民会館、市立博物館の他、動物園、市民体育館など公共施設が集中してあります。また樹木が茂り市民の憩いの場となっているようです。
高岡大仏
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高岡は梵鐘・銅像などの銅器製品の産地です。この銅器製造技術の粋を集め、1907年(明治40年)から26年の歳月をかけて1933年(昭和8年)に完成しました。総高15.85m、重量 65トンあり、日本三大仏(奈良、鎌倉、三番目が高岡大仏)に数えられています。
写真は雨天で、信号待ちの車のフロントガラス越しで良くありません。
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