8:08頃 鶴岡八幡宮を出て鎌倉宮を目指す。
畠山重忠の字を見た瞬間に中川大志さんの顔が浮かぶんだよな~
スマホに入れた地図を見るまでもなく、あちこちに表示がある。
10分少々で鎌倉宮へ
境内では骨董市が開催され、マニア(多分)の皆さんで賑わっていた。
定刻に食うかいさんと合流した。挨拶もそこそこに移動開始。
永福寺(ようふくじ)跡へ。H30年にも通っているが、その時はなんの関心も無かった。
今回は下の案内看板から、頼朝が建立した幅が130mもある寺院と考えるとそれはたいしたものだと思わされた。ちょっと待てよ。「奥州平泉を攻めた後、奥州藤原氏や源義経など亡くなった数万の将兵の鎮魂の為に創建した寺院」とある。ドラマを見ていなければスルーなのだが、もう野心はなく、農作業をしていた義経を攻めた頼朝のことを考えると・・・う~ん
永福寺跡から10分程で亀ヶ淵。獅子舞谷入口へ
ぬかるんだ道を進む。前回はスパッツを持ってきたが、今日は忘れてしまった。まぁ登山ズボンだから少々汚れても大丈夫だ。洗濯機に入れる前にちょっと洗えば良いのだ。
ここまで11月下旬に下見に来たという食うかいさん、前回はこの倒木はなかったとのこと。
ステッキを置いてきたことに気付いた。いつものザックを置いてくると色々忘れちゃうね。ちょっとした登り下りでもステッキが無いと違和感があるのだが、仕方ない。
「あれ、前来た時はこんなところありましたか?」「あったと思うよ」「H30年のレポに載っていないと思い出せないものですね」
「あ、向こう! 真っ赤ですよ」
食うかいさんもほぼ同じタイミングで気づいていた。
すっごーい♪
先客は3,4人(だったかな)、その後一組、また一組と徐々にハイカーが増えてきた。皆スマホやデジイチ撮影に夢中だった。
スマホ
食うかいさんが足元にカメラを向けている・・・なぁるほどぉ!
HDR♪ ちょっと派手過ぎかな(^_^;)
HDRもう一発♪
イチョウの黄色も
ナポリタンの赤と紅葉の赤を比較してみた・・・ちょっと無理か(^_^;)
獅子岩、4年前よりも地味になった?
獅子舞出口付近に赤を発見。
今回も食うかいPHOTOをKPで記す。
H30年、私たちは天園ハイキングコースから下りてきたが、今回は逆方向。上からこの獅子舞の紅葉を楽しみに降りてくるハイカーたちは皆、歓声を上げていた。
獅子舞を出て、天園ハイキングコースへ
「ほら、聞こえるかい?」「え?」「リスの鳴き声だよ」なんてやり取りがあった。
また、今日は今泉台分岐から覚園寺へ下るつもりと教えてもらった。
天園ハイキングコースを歩くほとんどの方は時計回りのようだ。私たちと同方向に歩いている人はあまりいなかった。
公衆トイレ手前の紅葉。この透過光がイイね。
KP
ここの公衆トイレで小用を済ませ、リスタート
鎌倉カントリークラブの施設脇の広場へ
ここは横浜市の最高地点・ランドマークタワーも見える。
反対側は相模湾など
ちょっとだけ登る
賑わう山頂。といっても標高159.2m
KP
ここからの下りがやや急坂、これで先ほどの所が山頂なのだと分かる。
道なりに進む。多くのハイカー、トレランさんと出会った。
地層では子供たちがはしゃいでいた。
今泉台分岐、覚園寺方面へ。
マナーの悪いランナーやMTBライダーが居たってことかな。
※青線は後から入れました。
このルートは一気に人が居なくなった。※調べるとここは覚園寺切通し
「ほら、見てみなよ」登山道のやや上側に何かがある。
「よく気づきましたね~」
せっかくだから、ちょこっと登って中を覗いてみた。
古道を進む
舗装道へ。そこにあった案内表示
次は覚園寺へ
覚園寺(かくおんじ)HP
1218(建保6)年、第2代執権北条義時が十二神将の戌神将のお告げを受けて建立した大倉薬師堂を前身とする寺院です。
境内のベンチで昼食。SVで買ってきた小さめのお弁当は正直物足りなかったが仕方ない。
KP ちょっと控えめに鐘を鳴らしてみた
ついついこういう撮り方をしちゃうんだなぁ
このポスターの義時は若い時のもの。今のブラック義時は別人になっちゃったなぁ
食うかいさんから聞いていたが、ここは
祈りをささげる空間として護持してきているため、拝観料おさめた先 境内の写真動画撮影、写生、飲食はできません。
とのこと。
拝観料500円を支払い、中へ。見事な紅葉にカメラを出したい衝動にかられたが、ルールは守らないといけない。中には案内係の方が待ち構え、それぞれの見どころを話してくれた。以前は拝観ツアーが開催されていたそうだが、コロナ以降はそれを止めて、今の形式になったとのこと。
本尊は薬師如来坐像で鎌倉時代の様式です。
その両脇に日光菩薩坐像・月光菩薩坐像が安置され、左右には十二神将立像がまつられています。すべて国の重要文化財となっています。
十二神将は薬師如来およびその信者を守護する12体の武神で、子・丑・寅など十二支の象徴が頭上に飾られています。
登山を趣味にしてから仏像をじっくり見る機会はほとんどなく、久しぶりだった。食うかいさんのお陰で貴重な時間を持てたかな。
拝観料を払った所を過ぎたところで、食うかいさんが被写体を見つけた。ここでも真似してみた。
※食うかいさんがここで写真を撮ってよいか、係員に確認してくれた。
スマホ
デジイチ
私たちが撮影していることに他の方々も気づき、次々にカメラ、スマホで撮っていた。( ̄▽ ̄)
創建当時の大倉薬師堂には仏師・運慶が造立した十二神将像が安置されていたと伝わっており、そのうちの一体、戌神像(じゅっしんぞう)にはこんな逸話がある。
1219年2月、鎌倉幕府3代将軍・源実朝が右大臣に任命され、その拝賀式が鶴岡八幡宮で行われた際のこと。実朝に従って行列に加わっていた義時は、楼門のそばにいた白い犬を見ると急に気分が悪くなり、役目を源仲章にゆずって屋敷に戻った。すると実朝は甥の公暁に暗殺され、義時の代役を務めた仲章も殺害されてしまう。
実は白い犬は十二神将像の戌神像が姿を変えたもので、義時に危険を知らせるために現れた、というものだ。
覚園寺を出てすぐ、サンタ帽を被ったトレランさんのグループに遭遇した。
今朝の北鎌倉駅、先ほどの天園ハイキングコースもそうだったが、このエリアは走っている人がホントに多い。まるで高尾のようだ。
次は荏柄天神へ。
KP な~るほど、こうやって撮ると大きさが分かるね('◇')ゞ
ここのイチョウは樹齢900年、高さ25m、胴回り10mとのこと。
HDR♪
中へ。観光客で賑わっていた。
スマホ
次はここへ
16m程度の石段を上がった先にある770平方メートル程度の平場。2005年の発掘調査で、この平場の地下から墳墓堂(法華堂)の遺構が発見されました。発見された遺構の位置が、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に記載された頼朝墓からの方位と地形と一致したことから、遺構は北条義時が祀られていた北条義時法華堂の跡であると推定されています。
遺構は現在の地表より下にあるため、保護するために調査後は埋め戻しを行い、草地として維持管理しています。遺構の真上には、調査でみつかった(柱の位置関係から割り出した推定も含む)法華堂の礎石や柱の跡、雨落ち溝の跡の実際の位置を木杭や石で地表に示しています。※素材は現代の一般的な庭園用素材です
「大江広元のお墓はあの上ですね。多分去年まではわざわざ訪れる人は居なかったんじゃないですか」
また、階段か~(*_*)
やっとこさ登りついたのは島津忠久の墓。
島津忠久(生年不明~1227年没)は、鎌倉幕府の御家人で、代々薩摩藩主となる島津氏の祖にあたる人物です。忠久の祖母が将軍源頼朝の乳母だった縁から頼朝に重用され、平家追討などで活躍し、恩賞の一つとして南九州の島津荘(しまづのしょう)の惣地頭(そうじとう)に任ぜられました。島津家には、忠久が頼朝の庶子であったという説が伝わっており、安永8年(西暦1779年)に、時の薩摩藩主島津重豪が頼朝墓に近いこの地に忠久の墓を造営しました。
しまった~大江広元の墓は隣だった(´;ω;`)
頼朝の右腕として活躍し、幕府制度の基盤整備や京男たちが渦巻く朝廷との交渉などに活躍しました。頼朝没後も北条氏を中心とする数多くの政変を巧みに避け、1148年に生まれ1225年に没するまで77歳という長寿を全うしました。
「大江広元の方がお供えが沢山ありますね。これは絶対ドラマの影響ですよ」
階段を下りて、数秒で三浦氏が供養されているやぐら
鎌倉幕府の有力御家人であった三浦氏が討たれ、北条家の得宗に権力が集中する機会となった宝治元年(1247年)の宝治合戦において、北条時頼に攻められた三浦泰村以下一族276人は、源頼朝法華堂にこもり、自害したと伝えられています。
源頼朝法華堂があったとされる地とは60mほど離れていますが、ここは自害した三浦氏一族の供養が行われているやぐらです。
12:27 鎌倉駅
仕事があるという食うかいさんと別れた。
食うかいさん、短くても、その分濃い時間でした。ありがとうございました。
まだ13時前なので他のポイントへ行く時間もあったが、早朝から歩いてさすがに疲れていたことと、どこへ行っても大混雑が予想される。これで帰ることにした。
色々あって往路を戻るのではなく、帰りは藤沢から小田急線で登戸経由にしたところ、これが正解。殆ど座ることが出来た。
15時過ぎに帰宅。直ぐにレポを作りたいのが本音だが、土曜に末ノルマをやっていない。台所やトイレ、掃除機をかけるなどを行った。
17時半過ぎからレポ作成開始。食うかいさんが登場する前に切り上げ、その1をアップした。翌日月曜日は色々あってパソコンに向かえず、今日ようやく最後までたどり着いた。
こちらもご覧ください。
先に自分のレポをまとめてから拝見したら、同じように歩かれていて面白かったです。
覚園寺は見逃しました、残念。
今回はご一緒出来なくて残念でした。
いつもながらありがとうございました。
今回は少しアカデミックに歴史散歩を楽しませていただきました。
次回は伊豆かな?
江間もなかなかですよ。
また一緒に歩く機会を持ちたいですね。
覚園寺で写真を撮らずにじっくり仏像を見たのも貴重な体験でした。
ホントにありがとうございました。