HP時代に歩いたコースをもう一度シリーズ(?)、今回はH24年12月に歩いた谷峨駅→大野山→山北駅に決めた。当時は知る由も無かったYAMAPのモデルコースそのままに登山計画を提出した。
コースは下図の通りで10.4㎞、CT4:10とのこと。楽勝だ・・・とこの時点では思っていた。
前日昼頃に山行の準備を済ませた。そして、国立市役所前踏切ダイヤ撮影に出かけ、夕食後に完成させた。我ながら頑張った♪
金曜日に予報を何度もチェックしていたが、夜の時点で土曜日の15時頃から山北でも雨(雪)マークが出ており、府中も同様だった。勿論登山用のレインウェアは持っているが使わないに越したことは無い。それなら早く出発すれば降り出す前に帰ってくれば良い。H24年レポよりも早く、安い方が良い。すると、4:58国分寺→八王子→町田→新松田→松田→7:37谷峨と出た。
翌日は3:20にアラームをセットして21:20頃にベッドへ。6時間睡眠ならギリギリOKだ。
熟睡は出来なかったが、とにかくアラーム一発で起床。毎週土曜朝のお約束、プレ金ナイトを聴きながら洗濯物を干し、朝食トイレを済ませ、余裕を持って出発。概ね先週の明神ヶ岳と同じ格好だ。標高が低いのでジオラインLW上下は要らないかと思いつつ、山北町の天気予報は1桁気温なので、やはり着ていくことにした。
日の出前は勿論真っ暗で国分寺近辺もかなり寒く、ジオラインは正解だった。プレ金ナイトは道中で終わったが、バッテリーの節約の為、ヘッドホンを切り、スマホの電波もオフにした。
国分寺で乗り込んだ高尾行は殆どの乗客が寝ており、ハイカーはあまり見かけなかった。ハイカーが乗るよりも早いのかな。八王子まで20分弱で到着。八王子から横浜線に乗り換え、今度は町田到着の1分前にアラームをセットして目を瞑ったが、熟睡できなかった。JR町田駅から小田急町田駅までは一旦ビルの外に出る必要があり、移動に数分かかった。
やっとたどり着いた小田原行きホームで次の電車到着を電光掲示板を見ると10分弱ある。ベンチに腰掛けて待つことにした。その時、、ちょっとしたアクシデントがあった。
ベンチから数m離れた柱にもたれかかっていた20代男性がホームにばたっと倒れたのだ。近くで電車を待っていたサラリーマン風男性が駅員を呼びに行った。やって来た若い駅員男性は彼に声をかけ、反応が無いので背中をさすって起こし、とりあえずベンチに座らせた。倒れていたのがベンチに座っただけでそのまま寝ていたが、どうやら単なる酔っ払いだった。朝からいい迷惑だよね。
やってきた快速(?)はそこそこ混んでいた。私が乗り込んだ車両はT学園バレーボール部と書かれたスポーツバッグを持った制服姿の高校生男子が7,8人スマホを見たり、寝ていたりしていた。彼らの間に座ることが出来た。先ほどまで乗っていた横浜線よりも小田急線の方がシートが温かく、眠気を誘った。今度も新松田駅到着1分前にアラームをセットして目を瞑った。なぜか今度も熟睡できず、小田急線の車窓からの風景を見ながら過ごした。
新松田駅を降りるとハイカーが階段をダッシュしていた。乗換に余裕があるのでこちらはトイレで小用を済ませた。改札を出ると先ほどの彼らがバス停に並んでいるのが見えた。そうか、ここから西丹沢、金時山方面へも行けるのだ。私もH20年にここから矢倉岳を目指している。
新松田駅から数十m先が松田駅、ここはH22年に富士山の須走口から目指した駅だ。懐かしいな~
その他にもう一度使ったはずだが、思い出せない・・・
ここからは御殿場線でJR東海なのでスイカは使えない。谷峨駅までの切符(200円)を自販機で購入し、ホームへ。
新松田駅からもキレイな富士が見えていたが、ここからもイイね(^^♪
御殿場線の到着まで10分以上ある。ふと周りを見ると乗客の多くがハイカーだった。どこへ行くのだろう。
ベンチでパンを食べ、テルモスの紅茶で身体を温めた。さらに、屈伸やアキレス腱など直ぐに歩き出せるように体操も♪
定刻にやって来た御殿場線に乗り、ほんの数分で谷峨駅へ。思ったより多くのハイカーが降りた。谷峨駅は無人駅で車掌さんが切符を集めていた。
アニメに出て来そうな駅舎だね
ここにあった注意看板
そして観光地図
7:40 YAMAPを起動させて出発。モデルコースのCTは山頂まで2時間だ。どうせあちこちで写真を撮るのでこの通りにはいかないだろうな。
ここを道なりに下る。
道なりに進むと「大野山近道」の表示有り。それに従って階段を下り、畑の中の一本道を進んだ。この付近は日陰で寒く、ジオラインは正解だったと思っていた。 ←単純だね
色々な方のレポで皆さんが撮っていた吊り橋・・・自分も撮っていたことはすっかり忘れていた。
橋を渡り切った所で「クマ出没注意」の表示があった。ここでクマ鈴を出し、まだ舗装道だが、ついでにステッキも出した。
左側の舗装道を進み、数分後にY字路を右上へ
舗装の坂道は嫌いなのだが、これが結構続いた。
行動食のグラノラやナッツを食べていると夫婦、ソロ男性に抜かれた。
富士がキレイに見えている♪
坂を登り切ると集落に着いた。
ここから登山道だな。ようやく土の道だ♪
土止めは嫌いだが、整備された道ということか。数分で獣害防止柵。
鉄塔付近は伐採されて展望が良い。あれれ富士に雲がかかって来たぞ
道なりに進んで数分後、石階段が出てきた。
8:23 あと55分か
左側にログハウスが見え、さらに進むと舗装道へ出ると直ぐに都夫良野の頼朝桜へ着いた。
この付近でトレラン男性に会った。
数十m先がトイレ。小用を済ませたが、清掃が行き届いた感じはしなかった。(-_-;)
トイレ横にあった観光地図
8:35 舗装道を数分進み、ここから土の道へ・・・あれ、ここも55分って。どういうこと?
トイレに寄ったが10分は進んでるけどなぁ
分岐から5分で明るくなった。これがずっと続いて上まで行くと良いなぁ
数m前を歩いていた男性2人女性2人のグループが登山道の左へ。彼らの後を追ってみた。
なるほど、ここは開けている。せっかくだからデジイチを出した。
あれれ、富士に雲がかかってきた(+_+)
登山道に戻るとすぐ林道へ。野菜の無人販売の箱があったが、野菜は無かった。
直ぐ上にまた獣害防止柵があり、それを超えると気持ちのいい道へ。ようやくここでH24年の記憶と繋がってきた。
富士はシャンプー中
このフレーズは数年前に使ったもの。なぜか思い出した。
愛鷹山塊が近い
相模湾
時間は前後するが、日向は温かく、ジオラインが暑い(^_^;)
ニット帽から耳を出し、袖をまくった。小一時間前は日陰で寒いと感じていたのにね。この時期の服装は難しい。
634mベンチ。チェーンソーで作られたウサギとフクロウ。
この時点で覚えていなかったが、H24年はこの通り、フクロウは無かった。
ここでは休まずに先へ。
数分で東屋へ着いた。
ここでテルモスの紅茶を飲んで一休み。
そしてデジイチタイム。これで富士がクリアなら良いシチュエーションなんだけどなぁ。
無給電中継装置の脇を通過。
山頂はもうすぐだ。
9:40 山頂へ レポを作りながら見直すとピッタリCT通りの2時間('◇')ゞ
駅や途中で見かけたソロ男性などが休んでいた。なお、画像右側のトイレは閉鎖中。300m東側を使うように書かれていた。
シャッターをお願いするには距離がある。ポケット三脚でセルフタイマー自撮り
大野山なので大!
富士はシャンプー中だが、もう一度。先ほどの東屋の方が絵的には良いなぁ。
こういう撮り方で遊んでみた。
テーブルも使えたので、ベンチに荷物を置いた。
汗冷えが気になり、ネックウォーマーをもう一度付けた。代わりになってないが、十分だった。
ザックにはレジャーシートやクッションそしてダウンが入っていたが、必要なかった。荷物は少ない方がイイのだが、ついつい入れちゃうんだよね。
10時前だが4時頃に朝食なのでハラが減った。カップ麺タイム♪
先週明神ヶ岳では強風で苦労したが、今日は直ぐに沸いた。
食事中に多くのハイカーが山頂に到着し、記念撮影をしていた。
食後、荷物をまとめて向こうに見える山座同定盤まで行ってみることにした。
これは地元の工業高校の生徒が作成したものらしい。コンデジで撮っても写らなかったが、PLを付けたデジイチで撮るとこの通り。
北側。丹沢湖の奥、デカいのが大室山
丹沢湖ズーム
北東側。左端のデカいのが蛭ヶ岳、右の雲がかかっているのが塔ノ岳か。
見慣れている(?)南アルプスと違い、丹沢はイマイチ分からない。
昼食を楽しむハイカー。イイ天気に好展望でヤマメシも美味しいだろうな
山北駅まで2時間と表示有り。
10:30 下山開始
そうそうH30年はあのデカい駐車場の左側の駐車場でタント泊し、パール富士を狙ったんだ。
公衆トイレで小用を済ませリスタート。
マフラーをまいたクマ(^^♪ 前に来た時は気づかなかった。
10:41 山北駅まで1時間50分。下りなのに遠いなぁ
この先が長~~~~~い階段下り(^_^;)
途中で登ってくるソロ男性に出会った。彼は「イイ天気ですね」と笑顔で話しかけてくれ、「ホントそうですね」と返答したが、一方でこの長い階段を登っているのに笑顔はスゴイなと思った。
その後は普通の登山道で快適だった。トレラン男性4人組と出会った以外はこのコースで登ってくる人と会わなかった。ここは下りに使う方が一般的なのか。
この付近でネックウォーマーを外した。ジオライン効果で暑かったが、袖をまくる位しかできなかった。
んん、お地蔵さんがあるの?
寄ってみることにした。シルエットが写っている。
ここには2体 ←「地蔵 数え方」で検索したが、これで正しい
向かい側に3体
そういえば先ほど地蔵岩コースと書かれていた。岩がどこにあるのか分からなかったけど。
リスタートして3分。舗装道に出た。(11:26)
ここには小さいイノシシ♪
ステッキをしまい、リスタート
誰も居ない林道をクマ鈴を鳴らしながら黙々と進んだ。
左側に材木置き場(店)をみつけた。丸太に座りパンを食べ、テルモスの紅茶を飲みながらまったりしていると、夫婦ハイカーが通過していった。このルートで初めてだ。
リスタートして数分、集落に出た。上画像の2人が出て来たのを見て、公衆トイレに気付いた。
ここで小用を済ませ、クマ鈴をしまった。
トイレの数十m先が町立共和小学校。ググってみると2011年3月に閉校と出てきた。つまりH24年のレポに「町立共和小学校 ここの子どもたちはのんびりしているだろうな~」と書いた時点で閉校していたわけだ。(+_+)
上画像の反対側に置かれた指導標。
時々YAMAPで確かめながら集落の中を進んだ。
これがYAMAPのレポに出ていた丹沢姉妹か!
丹沢クリステル(姉)のお顔をズーム! 右は妹のキャサリン
反対側にガチャポンが置かれていた。
缶バッジ100円。こういうのに弱いんだよな~
丹沢姉妹から数十m先、ここを進めば良いね
簡易舗装の急下り
12:03 下りが終わると正面が工場の分岐へ着いた。
これは振り返って撮影している。降りて来たのは右上の道。
その後はこのような歩道をひたすら歩いた。交通量はそれ程多くなく、静かだった。
車の音が聞こえてきた。数分後に分かったが、見えているのは246
12:17 YAMAPにおススメと出ていたカフェにあった時刻表。
次の上りは12:53で山北駅まで20分と出ていた。どこで電波オフを切れば良いか分からないまま、ここまで来ていたので、これで駅までの時間が分かった。カフェに寄る時間は無い。休まずに行こう!
小さなトンネルを通過。
246の樋口橋交差点を斜め左へ
県道76の谷峨方面(?)は混んでいたが、この通り山北駅方面は空いていた。
御殿場線に架かる橋を超えたところで駅方面への道を見つけた。数秒後にYAMAPも確かめたがこのルートで正解だった。
昭和のままって感じの理髪店
駅近くは昭和にタイムスリップしたかのようなレトロな商店街、ゆっくり見たかったが何しろ電車時刻が迫っている。
12:37 山北駅
H24年は駅近くのさくらの湯に寄ったことは覚えていたが、今日はそもそも15時頃からの雨(雪)マークが気になっていたので、着替えすら持ってきていない。
待合室には小一時間前に見かけた夫婦ハイカーが居た。
それにしても舗装道歩きが長かった。11:26に「舗装道に出た」と書いたので70分間ず~っと舗装道歩きだった訳だ。帰宅してからレポのタイトルはこれを入れようと決めた。大野山への登りが2時間、帰路もほぼ2時間ってなかなか無いよね。
駅員に松田駅までと伝え、190円を支払った。う~ん、このレトロ感♪
※JR東海のTOICAを持っていればピピッとできます。
最後のパンを食べ、今日の成果をYAMAPで確かようとしたところ
( ゚Д゚)
最初は何のことかわからなかった。恐らく谷峨駅でスタートさせたつもりだったが、うまくいかなかったようだ。それなら記録が残らない筈だが、コンデジの時間と比較すると工場付近から記録が始まっている。う~ん、さっぱり分からない。 ※スクショは電車内でやりました
radikoを起動させ、13時からの田村淳ニュースクラブはリアルタイムで聴くことが出来た。まぁワイヤレス骨伝導は外の音がうるさい時は聴きにくいのだが(-_-;)
定刻にやって来た御殿場線は結構混んでいたが、辛うじて座ることが出来た。まぁ松田駅までは数分で到着だったが。
新松田で10分弱の待ち時間、やって来た新宿行きもそこそこ混んでいたが十分座ることが出来た。今度も町田到着にアラームをセットしたが、不思議と眠気はやってこなかった。小田急町田から横浜線に乗り換えるために一旦屋外に出ると、薄っすら霧雨が降っていた。周りを見ても傘を差す人は居ない程度だったが、天気予報の通りだったということか。
もっとも、霧雨を感じたのは町田付近だけで、その後は曇り空のままだった。その後は八王子経由で国分寺へ。急ぎ足で帰宅したのは15時少し前。レインウェアを使わずに済んだ。その後聴いていた親父・熱愛で浜松町は小雪が降ったと伝えていたので、予報は当たったと言えるだろう。
こちらもご覧ください。