今日も雨・・もう、うんざりです~~~
29~30日、一泊で熊本に行ってきました。
今回は、工場の見学が主でした。
①広島=福岡(工場2か所見学)=大牟田泊
②大牟田=荒尾で工場見学=熊本城=広島
観光は熊本城だけです。
4月の熊本・大分大地震以来、初めて熊本城にいきました。
震災の被害は、度々テレビで見ているけど、どうなっているんだろう?
見学できるのかな?って!すごく気になっていました。
杞憂でした・・・
九州復興割引の影響か、
熊本城の駐車場は観光バスでいっぱい。
最近、観光地は外国の人が多いけど、ここは、余り見当たらない!
熊本城はボランティア・ガイドさんが案内して下さった。
何時もの観光ルートは、立ち入り禁止で、反対方向から見ます。
いつも見ていた方向からの、眺め。
左から,宇土櫓・小天守閣・大天守閣
宇土櫓は熊本城の中で一番古く、400年前の建物で、国の重文
後の大・小天守閣は、明治10年に焼けて、
S35(1960年)に、鉄筋コンクリート造りで復元されたもの。
加藤清正時代の建物 宇土櫓には、殆ど被害が無かったと言う。
屋根瓦も落ちていない・・凄いねぇ~~~
清正が、築城の名人って事が,証明された?
下のガードレールのように見えるものは
白黒の特徴があった、長塀ですが、内側に倒れている。
樹齢400年の楠
戌亥櫓 テレビで良く見ました。
それにしても、想像以上の被害でした。
石垣の中はこんなに、小さな丸い石と土がはいっています。
今回の地震で分かったことだそうです。
熊本城には120の井戸があります。朝鮮出兵の時、水に困ったとか。
籠城作戦のために、沢山の井戸を清正が造った。
宇土櫓
加藤神社
ここから、天守閣が本当に綺麗にみえました。
これまで、見た事のない位置から、お城が眺められて
再発見でした。
右側が大天守閣
大天守閣↑
小天守閣↑
復興に20年・90億円掛かると言われているようですが
気の遠くなるような話ですが、一日でも早い復興を・・願っています。
加藤神社の境内にありました。
清正が植えた、銀杏の木だそうです。
加藤清正は、城内に沢山の銀杏の木を植えたので
熊本城は、別名 銀杏城と呼ばれています。
銀杏の実は、籠城作戦の時、非常食になるから・・だそうです。
見つけたぁ~~~行くたびに探していました。
朝鮮出兵の時、清正が肥後名護屋城で用いた,旗立台
こんな所にあったんだ~~どおりで見つからないはずだ。
加藤神社は初めて足を運んだものね。
こんなものもあったよ。↑
熊本は真夏日で、本当に暑かった
凄い日差して、観光客皆さん、汗ダラダラ~~
でも、雨に合わなくて良かったですよ(帰りは雨だっだから)
歴史の1ページ。
今だから、見に来てほしい!
ボランティア・ガイドさんが、言われていました。
がんばろう~くまもと!
お天気でよかったね、暑さはこっちも蒸し暑かったですよ。
それにしても・・・あの立派なお城が、大変なことになってますね。
私が行った時は、あまりの大きさにビックリしました。
広島城は可愛らしい大きさだから。
本当にひどい被害ですが、地震によって分かったこともあったんだね。
加藤清正は、とっても用心深い人だったようで、念には念を入れて築城したとか。
知らないところまで説明してもらって良かったです。
ありがとうございました~
実際に見て、復興は本当に大変だと実感しました。
それにしても、400年前の建物が壊れなくて
昭和の鉄筋の建物が壊れるとは・・これいかに~ですね・
一説には,瓦が落ちて、建物を守るとか??
違い場所からの眺め、良かったですし
ボランティアガイドの勉強にもなったし
信さんも久しぶりに本気で勉強しました。
観光だといつも同じ場所からの見学になるけど・・・
違う場所から・・・いいね~
でも近くを見ると・・・ヤッパリ 大変ダ~~
だけど 発見もあって
加藤清正さん、 スゴイねー
何度も行っている信さんの
再発見の旅でもあったねー
今回は、まさに再発見の旅でした。
天守閣の近くには行けなかったけど、
遠くから、とても素晴らしいお城が見られましたから、
良かったです。
これから、完全に修復されるのは、大変だろうけど
次世代に残していかなければね。