介護の仕事をしていて中越地震を体験しました。地震の後に向かった職場はまるで変わっていて廊下や会議室、いつも体操をしていたフリースペースが隣の病院にいた患者様の病室となっていました。
職員は余震の続く中で不安になりながらも何とか乗りきろうと必死で、その時は看病とか介護よりも状況把握や生きるための最低限の事しかなされていませんでした。
そんな環境の激変の中で向かえた朝に、忙しそうに動いていた私の視界に映ったのは他の病院からヘルプに来た師匠(私が勝手に思っていました)Y田さんが廊下にあるベッドにいた高齢者の女性の方と一緒に行っていたいつものリハビリでした。
ベッドから起こし、足を床につけられる高さにベッドの高さを調整してゆっくり話し始めました。
患「みんな騒がしいねぇ…何かあったの?」
Y「そうですねぇ。どうしたのでしょうねぇ。いつもと違う感じがしますか?であれば何かあったのでしょうねぇ。」
と地震が起きる前の病棟で見るいつもの光景がそこだけにはあったのです。
いそいそと動いていた私は一瞬呆気にとられましたが、直ぐにY田さんの真似を始めました。いつもの利用者様が「ありがとう」と言ってくれる事をやり始めました。
トイレへ声かけとお手伝い。髭剃り。笑顔で挨拶。
地震の不安何て患者様やご利用者様は求めていないと思ったからです。
当たり前の事ってそれが出来たり、やれること自体が幸せの中にいるということだったのです。
当たり前の空気こそ幸せ作りの基礎、ヒントではないかなと感じることが出来ました。
例えば介護をしていて相手がそわそわしていたり、落ち着かない時はきっと関わっている私たちがそんな作った空気を感じとられているのではないか。
不安や恐怖、怒りのある人であれば目の前の私たちの動きや持っている空気がそうさせているのではないか?
と思ったのです。
それから私は自分がワクワクしたり、落ち着いたり、気持ちの良い事を仕事に取り入れ、一緒に働く人や過ごしていただくご利用者様に伝わると良いなと思いながら仕事をしています。
新しいステージに進む前の今この時にWebで見た後輩の話を聞いて思い出しました。
今日も読んでいただきありがとうございます。