なんだかもんやりしたお天気です。
本業が忙しくて月曜までの締め切りのを大小合わせて
5つ抱えてるんですが、
どうにも気が乗らなくて、パソコンに向かってはいるものの
関係ないサイトとかばかり見てしまう。
まずい。まずいわ。と思いながらも
気がのらないと全然進まないし、
まあ、切羽詰まれば集中できるでしょう。と
イラスト素材をダウンロードしたりしながら
会津のカフェ情報を巡ったり。
なんか、猪苗代のカフェ情報を見るとどこのサイトでも
TARO CAFEさんがトップで出てくるのねぇ。
画像見るとなんだか懐かしい。
あの席で、私たちも…って。
胸に迫るものがあります。
むか〜し、娘が不登校だった頃、
校舎に入れなくて車の中で丸まって泣いてる娘を
家に連れ帰れなくて(ばあちゃんが不機嫌になるからね)、
毎日のようにドライブして回ってた。
いろんなところまであてもなくドライブする日々。
ちょっと気持ちが落ち着いてきた娘と
無言だったりぽつぽつ話をしたり。
そんな中で時たまTARO CAFEさんにも寄ってたんだぁ。
美味しいケーキと飲み物いただいたり
お昼時だとホットサンド頼んだり。
学校のジャージ着たまま、平日の昼下がりに立ち寄る
変な親子連れ。
わりと若い男性のスタッフさんが、
いい感じにほったらかしておいてくれて
居心地が実によかった。
美味しいもの食べて飲んで、娘もいつの間にか笑顔になってたよ。
娘の不登校で毎日が戸惑いと悲しみと怒りと焦りと・・・
そんなものでいっぱいだったのに
無理して笑ってた自分にも癒しだった気がする。
あの頃はねぇ、TARO CAFEさん、本当にお客さんがいなくて
貸切状態だったので入りやすかったんだよねぇ。
嘘みたいだねぇ。
なんとなく
『立派になったねぇ』と妙に成長した子供を見守るような気持ちで
あの道を通るたびに、ついつい目をやってしまう。
そして、『ああ、今日も混んでるねぇ。繁盛するようになってよかったねぇ』と、
一抹の寂しさを感じながら通り過ぎる。
いつかまた娘と行きたいなぁって思うのだけれど
もうあの頃みたいな静けさは
(いい感じにBGMはかかってたんだけど)
味わえないんだろうなと思うと
なんとなくあの頃の記憶が上書きされるのもいやなんだな。
頭に残ってるイメージはしっとりした深い深い翠と濃い茶色の空間。
革張りのソファ席に埋もれるように座ったり。
爽やかだけど明るすぎないトイレ。
目に眩しいそば畑。
店内とは雰囲気の違う明るいテラス席での
紅茶の注がれた白いカップ。
あの頃と同じ雰囲気を味わいたいけど
そうするには貸切にしないと無理だろな。
そうして、それはそれで特別感が出てしまって、
やっぱり当時とはまた違うんだろう。
あの頃に戻りたいかって言われたら
よくわからないな。
あの頃に戻ったら、何かできるだろうかと思ったりもするけど
未だに正解なんてわからないし、
人と人との巡り合わせが変えられないなら
また同じことになりそうだ。
今も平日に娘は横にいる。
フルタイムでは働けないけど、バイトに行き
サクランボ農園もやっている。
時にはままならない体調で人と同じことができないことに
焦ったりひどく落ち込んだりもするけれど
毎日まあまあ笑顔で過ごせてる。
今が幸せかどうかは
本人にしか判断できない。
周りから見たら不幸かもしれないけど
どうなのかな。
まあ、自分としては『世はこともなし』ってことで。
でもいつかいい人見つかるといいね〜とは思う。
本業が忙しくて月曜までの締め切りのを大小合わせて
5つ抱えてるんですが、
どうにも気が乗らなくて、パソコンに向かってはいるものの
関係ないサイトとかばかり見てしまう。
まずい。まずいわ。と思いながらも
気がのらないと全然進まないし、
まあ、切羽詰まれば集中できるでしょう。と
イラスト素材をダウンロードしたりしながら
会津のカフェ情報を巡ったり。
なんか、猪苗代のカフェ情報を見るとどこのサイトでも
TARO CAFEさんがトップで出てくるのねぇ。
画像見るとなんだか懐かしい。
あの席で、私たちも…って。
胸に迫るものがあります。
むか〜し、娘が不登校だった頃、
校舎に入れなくて車の中で丸まって泣いてる娘を
家に連れ帰れなくて(ばあちゃんが不機嫌になるからね)、
毎日のようにドライブして回ってた。
いろんなところまであてもなくドライブする日々。
ちょっと気持ちが落ち着いてきた娘と
無言だったりぽつぽつ話をしたり。
そんな中で時たまTARO CAFEさんにも寄ってたんだぁ。
美味しいケーキと飲み物いただいたり
お昼時だとホットサンド頼んだり。
学校のジャージ着たまま、平日の昼下がりに立ち寄る
変な親子連れ。
わりと若い男性のスタッフさんが、
いい感じにほったらかしておいてくれて
居心地が実によかった。
美味しいもの食べて飲んで、娘もいつの間にか笑顔になってたよ。
娘の不登校で毎日が戸惑いと悲しみと怒りと焦りと・・・
そんなものでいっぱいだったのに
無理して笑ってた自分にも癒しだった気がする。
あの頃はねぇ、TARO CAFEさん、本当にお客さんがいなくて
貸切状態だったので入りやすかったんだよねぇ。
嘘みたいだねぇ。
なんとなく
『立派になったねぇ』と妙に成長した子供を見守るような気持ちで
あの道を通るたびに、ついつい目をやってしまう。
そして、『ああ、今日も混んでるねぇ。繁盛するようになってよかったねぇ』と、
一抹の寂しさを感じながら通り過ぎる。
いつかまた娘と行きたいなぁって思うのだけれど
もうあの頃みたいな静けさは
(いい感じにBGMはかかってたんだけど)
味わえないんだろうなと思うと
なんとなくあの頃の記憶が上書きされるのもいやなんだな。
頭に残ってるイメージはしっとりした深い深い翠と濃い茶色の空間。
革張りのソファ席に埋もれるように座ったり。
爽やかだけど明るすぎないトイレ。
目に眩しいそば畑。
店内とは雰囲気の違う明るいテラス席での
紅茶の注がれた白いカップ。
あの頃と同じ雰囲気を味わいたいけど
そうするには貸切にしないと無理だろな。
そうして、それはそれで特別感が出てしまって、
やっぱり当時とはまた違うんだろう。
あの頃に戻りたいかって言われたら
よくわからないな。
あの頃に戻ったら、何かできるだろうかと思ったりもするけど
未だに正解なんてわからないし、
人と人との巡り合わせが変えられないなら
また同じことになりそうだ。
今も平日に娘は横にいる。
フルタイムでは働けないけど、バイトに行き
サクランボ農園もやっている。
時にはままならない体調で人と同じことができないことに
焦ったりひどく落ち込んだりもするけれど
毎日まあまあ笑顔で過ごせてる。
今が幸せかどうかは
本人にしか判断できない。
周りから見たら不幸かもしれないけど
どうなのかな。
まあ、自分としては『世はこともなし』ってことで。
でもいつかいい人見つかるといいね〜とは思う。