モクレンは、花をつんと天に向けて咲いている。
みんなが、みんな、つんと天に向けて咲いている。
一つとして横を向いた奴は、いない。
枝が地面の方を向いているのに、天に向けて咲いている。
ちょっと、全体主義(ファシズム)的な、匂いすらするのは、いま、私が第2次世界大戦時のヨーロッパについての、本を読んでいるからだろう。
ドイツ、イギリス、フランス、ソ連と、各国の19世紀をまだ引きずったままの駆け引き。決して面白いとは言ってはいけない、悲しい歴史。
その本には、「戦火で世が乱れているときは理想を見、平和のときは現実を見る」と、書いてあった。
モクレンと、コブシのようだ。
モクレンの花が一律で、全体主義的なら、コブシの花は、あっち向いたり、こっち向いたりで、まとまりのない、個人主義、無政府主義(アナキズム)的だ。
ちなみに、今の日本は、コブシが合いそうだ。
活花にするには、コブシの方が面白い。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「早く出てこいつくしんぼう 出たらおいらが食っちゃうぞ」
それにしても、ずいぶん陽がたかくなった。
来週は、お彼岸だねー。
そういえば、最近、階段が気になっていたのだった・・・・。
今朝、公園の入り口の下り階段を下りる時であった。
その階段は、15段たらずしかなかったので、ちょうど、頭の影が階段の一番下に、ポコットと、映っていた。
私は、背中に陽をいっぱい受けている。
私は、とん、とん、とんと、階段を下りる。
あれ!頭の位置が変わらない。
一段下りても、二段下りても、三段、四段、五段・・・・、
え!ええ!えええ!頭の位置が、変わらない。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコ-ナー]
「今日 偶然と言う必然性に感謝」
それを、人に話したら、東京に鶯はいないよ。目白だよ。
と、言われ、「そうかー」と自分でも納得してしまっていた。
目白と鶯、どう違うかというと、目白は、目の縁が白いところが違うらしい。
私の見た小鳥には、目の縁に白いところは、なかったと思うのだが・・・・・・・。
ところが、一昨日、上野公園で、鶯の鳴いているのを聞いたのだ。
ちょっと情けないような、かすれた鳴き方で、しかも、ほーほけきょ、ほーほけきょ、と、読むように、2回鳴いたのである。
まるで、いがぐり頭の少年が、好きな娘に、告白しているようで、ほほえましいかぎりであった。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「ぎこちなくホーホケキョと読む 都会のうぐいす」
そんなばかなと、思えるが、人間は、相当おろかな生き物なのかも知れない。なんせ、おろかであるか否かの基準を作ったのは、人間なのだから・・・?
いやいや、かしこい人間も沢山いるはずだ。
本当のかしこい人間は、目立たないのかもしれない。
いやいや、本当の・・・・・・・・
いやいや、かしこいも、おろかも、人間社会のこと・・・・・。
話はちがうが、料理家の辰巳芳子さん、なかなかいい。
[啼かせてみよう 本歌鳥のコーナー]
「そんなバナナの たたき売り」
「そんなバカナと たたき合い」
「そんなハバナの 葉巻売り」
「そんなバナナの やけ食い競争」
「そんなバナナの 皮でこけ」
「そんなバニラの くつクリーム」
「そんなバケツの 底のあな」
「そんなバアサンの いうことニャ」