武井 俊輔センセーの文章を推敲してみるニダ
武井 俊輔
12月15日 23:35 ·
【なぜこの時期に訪韓したのか】
日韓議連の全日程が終わりました。参加すれば当然厳しい意見はあろうかと思っておりました。帰ってくるな!裏金をもらっているのか!売国!ガン!落としてやる!...なかなかなものです。
一つひとつに何か申し上げる気はありませんが、改めて私個人という意味においては、合理性という観点でみるならば、確かに極めて非合理的だったかもしれません。しかしそれでも行って良かったとも思っています。なかなか不思議な感覚です

先ずね、挑発的な書き方はよろしくありませんよ
少なくともあなたは、国民の税金で贅沢な暮らしが
できているのですから。
思い上がりもいい加減にしないと
日韓議連にも属していない私ですから
当然の批判は覚悟で全日程に参加しました。
私個人として、先輩センセー方から聞いていた
〇〇に期待した部分もあったからです
そもそも今回の訪韓は党からも議連からも経費も出ません。全て自弁です。従って行く義務もまったくありません。しかも行き先は温暖なリゾート地でもなんでもない氷点下10度にもなる厳寒のソウルです。
しかし私には私なりの思いがあって訪韓しました。私はいま国政の一席をお預かりしていますが、それまでに私は2度と会社を辞め、それなりに安定した生活を捨てて政治の道を歩んでいます。もちろん様々な葛藤は日々ありますが、その中でも自らの信念として歩むべきことは歩まなければ、政治家になった意味も価値もありません。
私の事務所には小村寿太郎侯のポスターを貼っています。わがふるさと宮崎県の生んだ大政治家です。
小村がポーツマス条約を締結し帰国したとき、日比谷焼き討ち事件が起こりました。日露戦争で勝利したにも関わらず10年前の日清戦争と異なり賠償金が取れなかったことについて、国民の怒りとそれを煽動した者によって起こされた新聞社などへの放火を伴う暴動です。
しかし時の桂太郎内閣も、小村自身も当時の日本の戦力、ロシアの戦力を考えれば講和しかないと確信していました。(このあたりに興味のある方は吉村昭の『ポーツマスの旗』をぜひお読み下さい)
小村は当時の人、特に政治家には珍しく日記をつけませんでした。歴史は後世が評価するという思いからだといわれていますが、小村の交渉術、成果はいまなお歴史においても、外務省においても高く評価されています。
話が逸れましたが、いまの訪韓がいま厳しい評価を受けることはやむを得ないと思います。しかし今回の対応、文大統領の発言、対応などについては一定の成果があったと思います。
大統領が公式に面会をするという一事は極めて重いことですし、それを額賀会長が直接伝えたことは意味があります。総理からのメッセージが出なかったのは事実です。しかしそれも含めての額賀会長の発言であり、外交の極めて微妙な駆け引きとはそういうものです。

現在の日韓関係の中、訪韓し、
文大統領に直接、額賀会長が
「個人請求権がまだ消滅していないということについては
日本政府も認めている」と伝えたことは
相手に何度でも「おかわり
」ができると思わせる
極めて微妙な駆け引きであり、
握手をしながら 空いている片手には、
これ以上ふざけると刺すぞ
という鋭いナイフを
持つ意味があります。
外交とはそういうものなのです。
そのことは、相手も承知している筈です。
大統領はじめ、相手国の議連の方々と
お会いできたことは、意義あるものだったと
ご理解いただけたら幸いです。
その上で、いまの訪韓は国益に反する、との意見について申し上げます。
そもそも私達は勝手に政府与党の反対を押し切っていったのではなければ、隠密裏に行ったのでもありません。
そもそも、いつ、誰が行くかは公知の内容であり、私自身も岸田会長にも報告して参加しています。そもそも自民党で最も多く参加していたのは幹事長派閥の二階派です。
もし我々の行動が本当に国益に反すると政府与党に判断があれば、表裏問わず”勧告”があったはずです。超党派ですから、極端な話、わが党が全員出なくても成立するのです。
しかしそのような動きは全くありませんでしたし、また当日の開会式には長嶺駐韓大使も出席頂きました。この議連の活動に問題があれば、現場のロジ(足回りのお世話)はともかく大使が出席することにはなりません。
批判される方はこのようにご説明しても批判されるとは思いますが、かくの如きをみても、政府与党としてもこの議連に一定の意義と期待を持ってのことであろうことは、元外務政務官としての経験からも確信を持っていえます。
冒頭に合理性と述べましたが、合理性だけを問えば東京に残って部会で厳しい発言をすることが費用対効果的にも最も合理的です。それだけで産経新聞は評価してくれますし、こんな発言をしました!といえば一定の賞賛は得られるでしょう。
しかし逆に訪韓すれば冒頭のごとく叩かれますし、わが党の議員でもツイッターで煽るような意見を述べる方もいました。(それはそれで構いませんが、同じ党の議員なのですからネットに書き込む前にぜひ直接聞いて頂ければとは思いますが)
しかし、このような厳しいときこそ足を運ぶというのは私の政治的信念です。
私は日中次世代交流委員会という超党派の議員団で毎年訪中しています。公明の遠山清彦代議士を団長に私は副団長を務めていますが、今年で6回を数えます。
6年前、初めて訪中したときは政権交代直後ではありましたが、野田前政権での尖閣国有化の余韻が冷めやらず、極めて厳しい対応、いわゆる”塩対応”でした。第1回は日中国交回復35周年の年で、団として訪問したのは私達だけでしたし、訪中自体に厳しい意見も多く頂きました。
しかし私達はとにかく毎年、誰に会える会わないは問わずに訪問するということで、訪中を続けました。
そしていま、まだまだ課題はあるものの安倍総理の訪中、そして習近平国家主席の訪日も視野に入るまでになりました。いまは政治においても双方多くの交流が続いています。厳しい時期でも訪問を続けたことは間違いはなかったと思っています。
確かに今回の訪韓は超党派ゆえの難しい部分もありました。一部政党幹部の方の文大統領をはじめとする先方に対する発言、分科会での主張などは相手にわが国の主張の一貫性を誤解させる危惧も感じました。
しかしそれは超党派の性格上やむを得ない部分でもあり、それは改めて政府与党が正確に伝えておかなければならないと実感しました。
その上で、ですが、もちろん私達の訪韓で劇的に変わることはないでしょう。課題は引き続くと思いますし、厳しい局面もあると思います。
しかし、日韓は引っ越しできない永遠の隣国です。訪日韓国人は過去最高を記録していますし、ミョンドンを歩いても日本人観光客が回復しつつあるこを実感しています。政治が厳しいときなればこそ、経済や観光で役割を果たして行かなければなりません。
わがふるさと宮崎はアシアナ航空、イースター航空と2社がソウルと結んでいます。この時期は温暖な気候を求めて、特に多くのゴルファーが訪れます。国と国との関係が厳しい時期なればこそ、しっかりおもてなししたいものです。
冒頭にも述べましたが、今回の訪韓は私個人の合理性を考えればまったくメリットはありませんでした。しかし国政の一席を預かる者としての役割は果たすことができたと確信しています。
また、私は安易なアジテーター(扇動者)にはなりたくありません。小村はけしからん!擁護する新聞社もけしからん!と煽れば、それは暴動になるのてす。
政治は常に抑制的でなければなりません。
私がお世話になっていた宮崎交通創業者である岩切章太郎の言葉を集めた『無尽灯』(むじんとう)にこんな言葉があります。
「宮崎交通”が”あってよかった。宮崎交通”で”あってよかった。そんな会社になりたい。』
私も、たけい”が”いてよかった。たけい”で”よかった。
そう思われる政治家であり続けられるよう、精進して参ります。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
如何でしょうかぁ
おばちゃんの赤文字だけにしたら
スッキリしますし、一部のアホな日本国民も
納得します。
武井センセー、
再度申しますが、傲り高ぶりは身を潰しますよ。
発信には細心の気配りをなさいますように。
かといって、
ネットの時代なのに おばちゃん地方のように
誰一人としてブログなどで発信している議員が
居ないことは異常ですがね
何なら
おばちゃんは、知り合いのお子の卒論も
起承転結を
に書き直したことがありますから
センセー、あなたのお粗末な作文も
書き直すことは可能です。
但し、
あなたを支持しませんから
料金は、いただきたく思います。
以上



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武井 俊輔
12月15日 23:35 ·
【なぜこの時期に訪韓したのか】
一つひとつに何か申し上げる気はありませんが、改めて私個人という意味においては、合理性という観点でみるならば、確かに極めて非合理的だったかもしれません。しかしそれでも行って良かったとも思っています。なかなか不思議な感覚です

先ずね、挑発的な書き方はよろしくありませんよ

少なくともあなたは、国民の税金で贅沢な暮らしが
できているのですから。
思い上がりもいい加減にしないと

日韓議連にも属していない私ですから
当然の批判は覚悟で全日程に参加しました。
私個人として、先輩センセー方から聞いていた
〇〇に期待した部分もあったからです

しかし私には私なりの思いがあって訪韓しました。私はいま国政の一席をお預かりしていますが、それまでに私は2度と会社を辞め、それなりに安定した生活を捨てて政治の道を歩んでいます。もちろん様々な葛藤は日々ありますが、その中でも自らの信念として歩むべきことは歩まなければ、政治家になった意味も価値もありません。
私の事務所には小村寿太郎侯のポスターを貼っています。わがふるさと宮崎県の生んだ大政治家です。
小村がポーツマス条約を締結し帰国したとき、日比谷焼き討ち事件が起こりました。日露戦争で勝利したにも関わらず10年前の日清戦争と異なり賠償金が取れなかったことについて、国民の怒りとそれを煽動した者によって起こされた新聞社などへの放火を伴う暴動です。
しかし時の桂太郎内閣も、小村自身も当時の日本の戦力、ロシアの戦力を考えれば講和しかないと確信していました。(このあたりに興味のある方は吉村昭の『ポーツマスの旗』をぜひお読み下さい)
小村は当時の人、特に政治家には珍しく日記をつけませんでした。歴史は後世が評価するという思いからだといわれていますが、小村の交渉術、成果はいまなお歴史においても、外務省においても高く評価されています。
話が逸れましたが、いまの訪韓がいま厳しい評価を受けることはやむを得ないと思います。しかし今回の対応、文大統領の発言、対応などについては一定の成果があったと思います。
大統領が公式に面会をするという一事は極めて重いことですし、それを額賀会長が直接伝えたことは意味があります。総理からのメッセージが出なかったのは事実です。しかしそれも含めての額賀会長の発言であり、外交の極めて微妙な駆け引きとはそういうものです。

現在の日韓関係の中、訪韓し、
文大統領に直接、額賀会長が
「個人請求権がまだ消滅していないということについては
日本政府も認めている」と伝えたことは
相手に何度でも「おかわり

極めて微妙な駆け引きであり、
握手をしながら 空いている片手には、
これ以上ふざけると刺すぞ

持つ意味があります。
外交とはそういうものなのです。
そのことは、相手も承知している筈です。
大統領はじめ、相手国の議連の方々と
お会いできたことは、意義あるものだったと
ご理解いただけたら幸いです。
そもそも私達は勝手に政府与党の反対を押し切っていったのではなければ、隠密裏に行ったのでもありません。
そもそも、いつ、誰が行くかは公知の内容であり、私自身も岸田会長にも報告して参加しています。そもそも自民党で最も多く参加していたのは幹事長派閥の二階派です。
もし我々の行動が本当に国益に反すると政府与党に判断があれば、表裏問わず”勧告”があったはずです。超党派ですから、極端な話、わが党が全員出なくても成立するのです。
しかしそのような動きは全くありませんでしたし、また当日の開会式には長嶺駐韓大使も出席頂きました。この議連の活動に問題があれば、現場のロジ(足回りのお世話)はともかく大使が出席することにはなりません。
批判される方はこのようにご説明しても批判されるとは思いますが、かくの如きをみても、政府与党としてもこの議連に一定の意義と期待を持ってのことであろうことは、元外務政務官としての経験からも確信を持っていえます。
冒頭に合理性と述べましたが、合理性だけを問えば東京に残って部会で厳しい発言をすることが費用対効果的にも最も合理的です。それだけで産経新聞は評価してくれますし、こんな発言をしました!といえば一定の賞賛は得られるでしょう。
しかし逆に訪韓すれば冒頭のごとく叩かれますし、わが党の議員でもツイッターで煽るような意見を述べる方もいました。(それはそれで構いませんが、同じ党の議員なのですからネットに書き込む前にぜひ直接聞いて頂ければとは思いますが)
しかし、このような厳しいときこそ足を運ぶというのは私の政治的信念です。
私は日中次世代交流委員会という超党派の議員団で毎年訪中しています。公明の遠山清彦代議士を団長に私は副団長を務めていますが、今年で6回を数えます。
6年前、初めて訪中したときは政権交代直後ではありましたが、野田前政権での尖閣国有化の余韻が冷めやらず、極めて厳しい対応、いわゆる”塩対応”でした。第1回は日中国交回復35周年の年で、団として訪問したのは私達だけでしたし、訪中自体に厳しい意見も多く頂きました。
しかし私達はとにかく毎年、誰に会える会わないは問わずに訪問するということで、訪中を続けました。
そしていま、まだまだ課題はあるものの安倍総理の訪中、そして習近平国家主席の訪日も視野に入るまでになりました。いまは政治においても双方多くの交流が続いています。厳しい時期でも訪問を続けたことは間違いはなかったと思っています。
確かに今回の訪韓は超党派ゆえの難しい部分もありました。一部政党幹部の方の文大統領をはじめとする先方に対する発言、分科会での主張などは相手にわが国の主張の一貫性を誤解させる危惧も感じました。
しかしそれは超党派の性格上やむを得ない部分でもあり、それは改めて政府与党が正確に伝えておかなければならないと実感しました。
その上で、ですが、もちろん私達の訪韓で劇的に変わることはないでしょう。課題は引き続くと思いますし、厳しい局面もあると思います。
しかし、日韓は引っ越しできない永遠の隣国です。訪日韓国人は過去最高を記録していますし、ミョンドンを歩いても日本人観光客が回復しつつあるこを実感しています。政治が厳しいときなればこそ、経済や観光で役割を果たして行かなければなりません。
わがふるさと宮崎はアシアナ航空、イースター航空と2社がソウルと結んでいます。この時期は温暖な気候を求めて、特に多くのゴルファーが訪れます。国と国との関係が厳しい時期なればこそ、しっかりおもてなししたいものです。
冒頭にも述べましたが、今回の訪韓は私個人の合理性を考えればまったくメリットはありませんでした。しかし国政の一席を預かる者としての役割は果たすことができたと確信しています。
また、私は安易なアジテーター(扇動者)にはなりたくありません。小村はけしからん!擁護する新聞社もけしからん!と煽れば、それは暴動になるのてす。
政治は常に抑制的でなければなりません。
私がお世話になっていた宮崎交通創業者である岩切章太郎の言葉を集めた『無尽灯』(むじんとう)にこんな言葉があります。
「宮崎交通”が”あってよかった。宮崎交通”で”あってよかった。そんな会社になりたい。』
私も、たけい”が”いてよかった。たけい”で”よかった。
そう思われる政治家であり続けられるよう、精進して参ります。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
如何でしょうかぁ

おばちゃんの赤文字だけにしたら
スッキリしますし、一部のアホな日本国民も
納得します。
武井センセー、
再度申しますが、傲り高ぶりは身を潰しますよ。
発信には細心の気配りをなさいますように。
かといって、
ネットの時代なのに おばちゃん地方のように
誰一人としてブログなどで発信している議員が
居ないことは異常ですがね

何なら
おばちゃんは、知り合いのお子の卒論も
起承転結を

センセー、あなたのお粗末な作文も
書き直すことは可能です。
但し、
あなたを支持しませんから
料金は、いただきたく思います。
以上



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