長距離ノート7

大阪市立大学 陸上競技部 長距離パートと申します。

苦悩は一陣の驟雨となりて

2019-12-10 23:20:13 | ハチュウルイ
どうも、期間限定のヤモリです。

期間限定とか地域限定とか、書くのってズルいっすよね〜、そんなん気になって買うてまうやん。
ちなみに僕は旅先で、ご当地のおかず味噌を買って、帰ってきてからご飯のお供にするのが好きです。


そんなことは置いといて、駅伝の振り返りからしていきたいと思います。

ただ僕は、今回の駅伝に関して、僕自身でも完全に理解しきれていない複雑な思いを抱えています。
長距離ノートとは別に、僕個人のブログがあるんですけど、そこに丹後駅伝に関する内容をアップしようとしても、うまく文章が綴れないんです。文章を作っては自分の本当の感情では無いなと消し、そしてまた作っては消しを繰り返して、今に至ります。

なので、頭の中は未だにぐちゃぐちゃなままです。そんな状態で今回の長距離ノートを書いているので、激しく読みにくい箇所があるかもしれません。申し訳ないです。
あと、ところどころ厳しいこと言ったり、不快な思いさせたりするところがあると思います。「あるかもしれません」では無く、「あると思います」です。皆さんがどう感じるかは僕には分かりませんが、腹立つなら何とでも言ってください。



僕自身、心のモヤモヤについて完全には理解しきっていませんが、ずっと頭の中を巡り巡っているテーマというかキーワードがあって、それによって悔しくなったり考えさせられたりしていることはわかっています。

そのキーワードは、「覚悟」です。

僕が丹後駅伝を迎えるにあたり、してきた覚悟はたくさんありました。しかし、覚悟しきれなかった部分もあったわけです。


まず、してきた覚悟。
①シーズンを捨てる
8月25日の西日本五大戦にて、800m1分51秒60のセカンドベストが出ました。このレースは、終始フロントランかつゴールタイマーが設置されていない状態で行われたので、環境が整っていれば完全にPB一直線でした。しかも、夏合宿の疲労感が抜けきらないままで挑んだレースだったので、しっかりと調整すればひょっとしたら1分50秒を切れるのでは、という期待さえ過りました。
ただし、800mの記録に挑もうとすればするほど、長距離走に慣れるのが遅くなります。僕は器用なランナーでは無いので、長距離走をするにあたり、中距離走とは違うフォーム作りをする必要があります。具体的には、足の裏と地面のファーストコンタクトを中距離走をする時よりも3cm爪先寄りにすること。微々たる調整ではありますが、この調整をしなければ地面からの反発を、全身でダイレクトに長時間受け続けなければならなくなり、骨盤やら腰やらが保たなくなります(去年はこれに悩みました)。このフォームを作ってしまった後は、スピードを出すとアキレス腱のバネを過剰に使ってしまう上に、接地時間が長くなるので、800mを走るにはダメージ面でも効率面でも良くはありません。
僕としては、今年の夏の段階では丹後駅伝を走るつもりはありませんでした。僕の本業はあくまでも中距離ランナーですし、5年間燻り続けた800mで勝算があったことも相まって、シーズンオフまで中距離を追究したいと思っていました。が、長距離パートの中では、僕は既に丹後駅伝を走ることになっていたようで、そこに意見の食い違いがあったのは確かです。
正直、本当に悩みました。冗談で長距離を走りたくないって言ってたわけではなく、このシーズンを手放すのが本当に嫌だったんです。過去の栄光をとっとと塗り替えて新しいスタートを切りたいってのは、大学に入ってから常々言ってきたことだし、それがやっと目前にまで迫ってきたわけですから。結局は長距離パートの皆さんの熱意というか、ゴリ押しに負けて長距離練を始める覚悟をしたわけですが、その辺の葛藤があって、真剣に悩んでいたことは知っていて欲しいです。

②距離に耐えられる身体を作る
端的に言うと、結構体重を落としました。本番近くには、中学生の頃と同じくらいの体重になっていました。
中距離から長距離に一気にシフトしたことによって、足にかかる負担はかなり大きかったようで、9月に足底筋膜炎になってしまいました。偉大な大先輩:ユズルさんに足を見てもらいに病院に通いつつ練習していましたが、痛みが出る日と出ない日があったり、しかも痛む日に限って長距離強化記録会本番だったりして、本当に嫌になった日もありました。こればっかりはフォーム改善で何ともならないと思い、身体を軽くすることを覚悟しました。(冬季で何とか重さを戻していきたい)
ただ、食事を減らすとパフォーマンスが下がって悪循環に入ってしまうので、それはしないでおこうと考えていました。その代わり、足底筋膜炎とうまく付き合いながら、とにかく練習量を増やしました。CBTの勉強をしなければならなかったので、主に自主練で距離に慣れるようにしていました。街中を走り回るのは通行人などがたくさんで大変でしたが、速く走れば走るほど勉強時間を確保できるので、10月中旬には自然とキロ3分40秒くらいのスピードで、10km以上ジョグとして走る習慣が身につきました。

③スピードレースに対応する
足底筋膜炎が10月下旬には落ち着いていたこともあり、5000mで15分37秒40のPBが出ました。とりあえず、これで駅伝のメンバーには選ばれたわけですが、まだまだ1区を走るには実力が足りていないと、昨年の経験から感じました。速い人は、僕よりも楽なフォームで、僕よりも大きな一歩を踏み出して行きます。
これに対抗する策として、普段の自主練のジョグのペースを、キロ3分30秒近くにまで上げるようにしました。ジョグとは?って我ながら疑問を持ち続けながらも、これはジョグだと言い聞かせ続けていたら、いつの間にか楽にこのペースを保てるようになっていました。2回目の駅伝の試走では、病み上がりであったこともあり、本当に気楽に行こうと決めて1区の道を走りましたが、余裕を持ってゴールしたのに31分台と、昨年からの大きな成長を感じることができました。
あともう一つ印象に残っているのが、11/6にした2000+1000+1000+400です。序盤からハイペースになっても耐えることができるよう、1本目の2000から飛ばしていくことを宣言してスタートしました。2000のラップとしては、2分49秒+2分56秒=5分45秒。残りの1000+1000+400は、3分00秒→2分58秒→59秒。バテながらも何とか気合いで粘り勝ちした練習でした。


とまあ、ここまで完全な自分語りをしてきましたが、ここで言いたいことがあります。

別に自分のことを棚に上げていうわけではないですが、これだけ駅伝に向けて頭使って考えて、覚悟を決めて歯を食いしばって、走り込み過ぎで足の裏に穴をあけてまで身を削った人が、果たしてあと何人いるのでしょうか。

何も身を削ることが正義とは言いませんし、僕もそんなこと思ってはいませんが、僕の駅伝に向けての気持ちと、他の長距離パートの皆さんの心持ちとのギャップをどうしても感じてしまった部分がありました。

大泉でのセレ、セレが終わってからの練習態度、急遽田中が走れない可能性が出た時の話し合い、グダグダとしたウォーミングアップ。特に名指しをするつもりは無いですが、モチベーションの差を感じて悲しい気持ちになっていたのは確かです。パート全体として、丹後で戦う覚悟、勝ちに行く覚悟が薄かったんじゃないかな?それが今回の結果に出たような気がしています。


しかし、かくいう僕も(ここまで偉そうに何様のつもりやと思いながら書いていますが)、覚悟しきれなかったところがありました。

1つは、私情を練習に持ち込んだこと。

10月はCBTがあるのを始めとして、僕のメンタルが荒みきっていた時期でした。常に辛い辛いと言い続けてネガティブな考えばっかりだったし、周囲に時々強い当たり方をしてしまっていたことを、自分でも自覚しています。どんな時でも自分は自分として線引きし、周囲に自分のネガティブな感情をばら撒いてしまってはいけなかったと思っています。変に気遣いをさせてしまった人には心から謝りたい。そこの線引きをする覚悟が足りていませんでした。ごめんね。


もう1つは、駅伝本番での咄嗟の判断でした。

スタートのピストルの音と同時に飛び出していきました。コンディションも良く、集団の中に入って気持ちよく走っていました。そして迎えた1km地点。腕時計のラップボタンを押し、チラッと確認したところ、文字盤は2分50秒で止まっていました。僕は集団の後方にいましたので、先頭は2分48秒ぐらいで1000mを通過したようです。この時、僕は恐れ慄いてしまいました。「このまま上り坂に突入したら確実に足が止まる」と。僕はここで集団につくことを諦めました。とにかく大きなアップダウンを乗り越えてから、前に見えてくるランナーを食っていくことが最善だと判断しました。
走り終わった瞬間は、この判断が良かったと思っていましたが、今になって考えると、あの時にもう少し集団につくことができていたら、最終的な6秒差なんてひっくり返せたんじゃないかな、とも思っています。というのも、本格的な上り坂に入るのは1.3km地点くらいからで、何も1km地点で離れる必要は無かったと思うからです。攻める覚悟ができず、無難に守りの走りをしてしまったのが悔しい点です。なかなかそこの判断って、たくさんの経験を積まないと難しいですね。


駅伝での敗北は、誰か1人2人の失敗ではなく、チーム全員の少しずつの失敗が重なって起きるものです。僕含め、全員に反省の余地はあると思っています。

なので、自分が思っていたような走りができなかった人は、例えば調整の仕方が悪かったのであれば、そこを今後の課題としてピーキングのコツを掴んでいったり、レースの内容が悪かったのであればそれがフィジカル的に足りていなかったのか、メンタル的に整っていなかったのかを細かく分析して、次に備えればいいと思いますし、逆に思っていたよりも走れた人は、さらに高みを目指すために、どこを改善すべきか、どの不足を補うかを、誰よりも考える必要があると思っています。いい走りだった、100点!で終わっている人は伸びません。100点なら余裕で区間賞とっているはずです。

最後に1つ、今回の駅伝では、あくまでも「助っ人」として参加した中距離勢が、直前のメンバー変更があったこともありますが、1区と6区を走っています。どちらもかなりの重要区間だと思っています。ここを我々に走らせていて良かったのでしょうか?新体制になって間もない長距離パートですが、敢えて厳しいことを言うのであれば、もっとメリハリのある練習をして、来年はこの区間を我々が走らなくてもいいようにして欲しいです。何なら僕らが枠に入れないくらいに全員速くなっていて欲しいとも思っています。

素質なんて関係ない。
勝つのはいつだって根性のある奴です。

来年の丹後駅伝に向けて、目的を持って頭使って、鍛錬に励んでください。これからもたまに長距離パートにお邪魔させてもらいます。

以上。今までで1番自分の感情に近い文章が書けたような気がする。100点ではないけど。
次は期間限定のレアキャラ、こさかくん

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