日暮しトンボは日々MUSOUする

楽しい漫画が嫌いになる時



判らない事、知りたい事があると時間を割いて勉強する。 それに関する本を買ってきたり、図書館で調べたり、最近ではパソコンで検索したり、一日中知識を詰め込み、情報を整理し、理解する事に熱中する。 子供の頃でさえこんなに勉強することなんて無かった。 学校は好きだったが、勉強や宿題は大嫌いだった学生時代。 世間知らずだった青臭いガキが勉強の無意味さを主張してばかりだったから、大人になってそのツケが回ってくる。 楽しいことばかりに目を向け、苦労することをあざ笑ってきた報いだ。 簡単な英語も漢字も、ヒーヒーいいながら辞書片手に書く。 本来なら学校で教わってきた筈なのだがすっかり忘れている。 いや、忘れたんじゃなくて聞いていなかったのかもしれない。 せっかく親が金を出して学校に行かせて貰ってたのに、何ひとつ学んでいない。 金がもったいないと言うのもあるが、それよりも半日学校で過ごした時間がもったいない。 あのダラダラとした苦痛の50分間をサボっていたから、大人になった今、貴重な時間を割いて同じような所を勉強する羽目になっている。 二度手間である。 あの時勉強しておけばよかった…と、現実に向き合った時に痛感する。 学校の勉強は、面白い話、あるいは漫画を描く上で、もっとも重要な過程である。 その重要な話を作るという作業を、学校という場所で12年もたっぷり学べるのだから、それを利用する手は無い。 子供は何故 勉強が嫌いなのだろう・・・よく子供に、絵がうまく描けるようになるにはどうしたらいいか…と言う質問をされるが、だったら苦手なものを練習しなさい、と答えるしかない。 スポーツ選手もミュージシャンも芸術家も楽して得る方法なんて無いのだ。 苦手な絵を練習すると言うことは、子供にとってそれはやはり勉強であって苦痛で退屈なものにほかならない。 いくら漫画の為とは言え、こと漫画の勉強や練習となると子供はサボリたがる。 それは好きな絵しか描きたくないからだ。 要するに遊んでいたいんだな。 遊び盛りの子供には、将来の為に、勉強が絶対必要だということが判らない。 だから勉強を無理矢理義務付けている。 自分の為の義務教育でもあるのだ。… と言ってもやはり子供にはわからない。
15年位前の話だが、私の友だちの子供が中学三年で、将来漫画家を志望しているらしく、漫画家でもない私に何か良いアドバイスをしてやって欲しいと頼んできた。 私はいつものように進学して勉強しなさい、と言ったのだが、友達はそんなことではなく、現実的なアドバイスをと、言ってきた。 はて? 今のがものすごく現実的なアドバイスのはずだが…? 友達はたぶん、漫画を教える学校か、それに類似した進路を私の口から出ることを期待していたのだろう。 昔と違って、最近ではそのような漫画を教える進路も学校の進路指導に含まれているようだが漫画家ごっこをして遊びたいなら、そう答えてやってもいい。 しかし、それでは絵だけうまくなったとしても面白い話が作れない。 もし、漫画専門学校なるもので学びたいなら、その前に学校の勉強をしっかりやっておいた方が良いと友達に伝えた。
マンガは絵だけ上手くても面白いものは作れない。 ストーリーを組み立てるには義務教育に含まれる基礎学力が必要なのだ。 面白い漫画は絵を抜きにしても面白い。 脚本(プロット)の段階で、面白くなりそうな漫画は分かるのだ。 絵で魅了するという目(客)の引き方もあるが、それは所詮誤魔化しで、真に傑作かどうかは読んでみればすぐに判る。 漫画における絵の役割と言うものは、実はストーリーをサポートする役割でしかない場合が多い。 絵は下手だけど話が抜群に面白い傑作漫画は数多く存在するけども、話はつまらないが、絵だけは上手い、という傑作漫画はほとんど無いに等しい。 練習すべきは絵の方でなく、話の作り方だということを、漫画家志望の若い子たちにはその理屈がわからないのである。 もちろんこれからは漫画(イラスト)の多様性は実に様々な形で世の中の広報(商業的)に大いに役に立っているので、絵だけ上手くても十分食っていける。 しかしそれはほんの一握りでしかない。 成功していない人の方がはるかに多いのだ。 大体において子供は、夢が叶わなかった時のことまで考えていない。 絵を描いて遊んでいたいという欲求だけが先行する。 それに漫画家志望という目標を掲げることによって、無限に広がる夢の道が目前に開ける。 自分はいかに真剣かと言うことを熱弁する事しかり。 そういう子には、漫画絵抜きの小説を書かせれば良い。 文字だけで面白いものを書いて、それをクラスの友達にでもいい、多くの人に読んでもらって「早く続きが読みたい」と言わせる事ができるかどうかである。 絵ではごまかされない、面白い話作りの難しさを知る事ができるだろう。 
こんな私が偉そうなことを言えたもんじゃ無いが、結果を何も出せなかった人生負け組の人間だからこそ、己の無学さに後悔の念が説得力として滲み出ていると思う。 
私の過ごした昭和の漫画黄金期(バブル)では、漫画バカでもあきらめない根性があればなんとかなった。 今の時代のやり方と合わないかもしれないが、これからの時代は足早に変わっていくメディアに対応していくフットワークは必要だと思う。
時代が変化してもこれだけは言える。多くの人を魅了する漫画はバカでは描けない。  生き残るために必要なのは臨機応変さと吸収率の優れた頭脳だろう。 


90'から、漫画原作アニメがもてはやされ始めた時代。 少年チャン〇〇ンの担当Hさんは、野球とプロレスしか興味がなかったので、いくら私がアニメ化になりそうな企画を持ち込んでも理解してもらえなかった。 担当との相性って大事なんだよね。。。。

バブル絶頂期にマハラジャとジュリアナ東京の2大ディスコブームがあった。 それに肖って、未来のインド・マハラジャ宮殿からランプ型のタイムマシンに乗って現代にやってきたナージャ王子のドタバタコメディ。 タルルートくんみたいなのを描けって言われたから、必死で考えたのに、そもそもタイムマシンて何?って言われたら、もう説明する気にもならなかった。 漫画の編集やってそんなこと聞く人見たことない。ドラえもんからやり直せって言いたかったっス。 もう漫画描くの嫌になった時期でもあった。 やっぱ担当者の出会いって大事よね。



上のカットは仕事場近くの国分寺商店街の背景。

何処にでもある風景。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「シッポのとれない神様たち」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事