姫路市にある・・・
夢前川をはさんで東の下手野と西の青山の
この両地域は若き官兵衛が二度にわたる赤松氏と
熾烈な戦いののちに勝利を収めて一躍・・・
播磨に勇名をはせた土地であります。
姫路市の作成しているゆかりの地めぐりということで
所要時間90分で徒歩でめぐることができる。
JR姫路駅より神姫バスに乗車して下手野バス停下車・・・
そこから、90分の所要時間でまわるルートが掲載されている。
①「土器山陣地跡」
麓から山道を10分ほど歩くと陣地跡の頂上へとつきます、
ここが青山の合戦にて官兵衛が陣をかまえたところです。
②「下手野の道標」
法然上人の生誕地の岡山県美作にある誕生寺への道標です。
「右第一番みまさか誕生寺道左たつの道」と記されています。
かつてはこの場所は川西の青山と同様に街道の分岐点でした。
③「常夜燈」
夢前川東岸の下手野には川会所とよばれる
藩の役所があり、渡し場のあった堤防におかれたものです。
④「青山の道標」
夢前川の西岸の青山は山陽道(西国街道)と因幡街道の分岐点で
この道標は山陰の国々と山陽から九州を指し示しています、
また姫路から遠く江戸の名までも記されています。
⑤「稲岡神社」
稲岡山は遠く・・・播磨風土記に稲牟礼の丘と記述があり神域である、
青山の地名の起こりになった場所。
⑥「宗全寺跡」
室町時代の応仁の乱で有名な山名宗全は嘉吉の乱後、播磨を領有して
青山に住んだと言われている。街道の民家裏にある薬師堂あたりが
寺跡であったといわれています。
⑦「青山製紙組合の碑」
明治時代中期から大正にかけてこの地で和紙の製造が盛んであった頃に
功労者を顕彰して建てられたものです。
⑧「青山古戦場跡」
官兵衛が初めて指揮、龍野城の赤松氏の軍勢を撃退した古戦場です。
敵兵が3000に対して300の兵で奇襲をかけて勝利したといいます。
道路のはたにある藤棚のかたわらの石碑が歴史を伝えています。
青山・土器山の合戦のおはなし。
「軍師官兵衛」の大河ドラマでも描かれていました・・・
黒田家の家督を継いで間もない頃、官兵衛の仕える小寺氏と対立する
赤松氏が3000の兵力で姫路に攻撃をかけてきます。
このときの官兵衛の兵力が300と先手を撃って奇襲を仕掛けて撃退する。
同じ年の六月に再度、赤松氏が攻めはいって不覚にも夜襲を先手にうたれて
大きな被害を被った。
そのときに味方の家来なども古参の優秀な家来がなどとドラマでも描かれていて
涙なみだでテレビの前で泣いてしまいました。
相手が勝利の美酒をと宴のときに油断しているのに乗じて
夜に逆襲を仕掛けて敵を敗走させて姫路を守った。
この二度の官兵衛の采配が大きく名前をとどろかせるようになった。
夢前川をはさんで東の下手野と西の青山の
この両地域は若き官兵衛が二度にわたる赤松氏と
熾烈な戦いののちに勝利を収めて一躍・・・
播磨に勇名をはせた土地であります。
姫路市の作成しているゆかりの地めぐりということで
所要時間90分で徒歩でめぐることができる。
JR姫路駅より神姫バスに乗車して下手野バス停下車・・・
そこから、90分の所要時間でまわるルートが掲載されている。
①「土器山陣地跡」
麓から山道を10分ほど歩くと陣地跡の頂上へとつきます、
ここが青山の合戦にて官兵衛が陣をかまえたところです。
②「下手野の道標」
法然上人の生誕地の岡山県美作にある誕生寺への道標です。
「右第一番みまさか誕生寺道左たつの道」と記されています。
かつてはこの場所は川西の青山と同様に街道の分岐点でした。
③「常夜燈」
夢前川東岸の下手野には川会所とよばれる
藩の役所があり、渡し場のあった堤防におかれたものです。
④「青山の道標」
夢前川の西岸の青山は山陽道(西国街道)と因幡街道の分岐点で
この道標は山陰の国々と山陽から九州を指し示しています、
また姫路から遠く江戸の名までも記されています。
⑤「稲岡神社」
稲岡山は遠く・・・播磨風土記に稲牟礼の丘と記述があり神域である、
青山の地名の起こりになった場所。
⑥「宗全寺跡」
室町時代の応仁の乱で有名な山名宗全は嘉吉の乱後、播磨を領有して
青山に住んだと言われている。街道の民家裏にある薬師堂あたりが
寺跡であったといわれています。
⑦「青山製紙組合の碑」
明治時代中期から大正にかけてこの地で和紙の製造が盛んであった頃に
功労者を顕彰して建てられたものです。
⑧「青山古戦場跡」
官兵衛が初めて指揮、龍野城の赤松氏の軍勢を撃退した古戦場です。
敵兵が3000に対して300の兵で奇襲をかけて勝利したといいます。
道路のはたにある藤棚のかたわらの石碑が歴史を伝えています。
青山・土器山の合戦のおはなし。
「軍師官兵衛」の大河ドラマでも描かれていました・・・
黒田家の家督を継いで間もない頃、官兵衛の仕える小寺氏と対立する
赤松氏が3000の兵力で姫路に攻撃をかけてきます。
このときの官兵衛の兵力が300と先手を撃って奇襲を仕掛けて撃退する。
同じ年の六月に再度、赤松氏が攻めはいって不覚にも夜襲を先手にうたれて
大きな被害を被った。
そのときに味方の家来なども古参の優秀な家来がなどとドラマでも描かれていて
涙なみだでテレビの前で泣いてしまいました。
相手が勝利の美酒をと宴のときに油断しているのに乗じて
夜に逆襲を仕掛けて敵を敗走させて姫路を守った。
この二度の官兵衛の采配が大きく名前をとどろかせるようになった。
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