そんなこんなで、本通に戻ってきた。
地下にある本通駅から地上に出て、 本通商店街のアーケードを西に進み、平和公園へ。
原爆ドーム。
原爆症で亡くなった佐々木禎子さんがモデルとなった、原爆の子の像。
原爆の子の像の近くに寄せられた、折り鶴。
放火されたことがあるためか、"防犯カメラ作動中"の文字が。
悲しいことです。
原爆死没者慰霊碑。
正面に立つと、原爆ドームが一直線上に見えます。
"安らかにお眠り下さい 過ちは 繰返しませんから"。
このメッセージ、私達一人ひとりが、肝に銘じなければならないと思います。
いろんな意味でね。
戦争は二度と起こさない。
核兵器は二度と使わないし、使わせない。
そのためにはどうしたらいいか。
核保有国の思惑もあり、難しい問題であるとは思いますが、考えていかねばなりません。
広島平和記念資料館と、"嵐の中の母子"像。
平和公園界隈では、多くの外国人の姿を見かけました。
最初はただの観光目的でいいと思います。
来てもらった上で、核兵器の非情さや、戦争の悲惨さ、平和の尊さなど、感じてもらえれば、と。
そういえば、平和公園界隈を歩いていたとき、
二人連れの外国人の方が、カメラを持って"Excuse me, sir."って呼んでました。
もしかして、私に声をかけたのだろうか。
すぐに反応できなかったので、二人連れはそのままどこかに行ってしまいました。
私に声をかけたのなら、なんか、申し訳なかったです。
さて、平和公園を後にして、再び本通商店街へ。
この日は、カープが優勝を決めた翌日。
本通商店街のアーケードにも、"優勝おめでとう"の文字が。
本通交差点を渡り、東側へ。
しかし、さすがにカープ優勝を決めた翌日、人通りが半端ない。
しかも、日曜日とも重なって、イベントか何か行われている模様。
人の流れが完全に止まってしまったので、途中で逆戻りし、脇道へ逸れました。
八丁堀界隈、金座街商店街の、対照的な垂れ幕。
この先は電車通り(相生通り)に出て、また広島駅まで歩きました。
途中、くす玉やら何やら、カープの優勝を記念したものをあれこれ写真に撮ったのですが、
どれも他の人の顔がはっきり写っているものばかりだったので、すべてボツに。
他人の顔写真、しかもはっきりと分かるヤツを無断でネット上に載せるのはまずいし、
かといってすべてモザイクかけたり目線を入れたりするのも、なんかアレだし。
途中、某所で見つけた、横断歩道坊や。
こういった都会でも、黄色い旗、ちゃんと残ってますね。
私が中学生だった頃、通学路の交差点に横断旗が置かれたときなんか、
恐らく10本ほどは置かれたであろう旗が、一日のうちに全部なくなってましたけど。
広島駅に程近いコンビニにあった、"優勝おめでとう"の文字。
この程度の貼り紙なら、私でも作れそう。
そんなこんなで、広島駅へ。
荷物を預けていたコインロッカーが、一瞬どこにあるか分からなくなってしまいましたが、
どうにかこうにか自力で見つけて、無事に手元へ。
しかし、分かりづらいわ、アレ。
広島駅の新幹線ホームに入線してきた、N700系。
今回の旅では、当日まで帰りのきっぷを購入していなかったので、自由席へ。
なんせ、何時の便に乗るか、どころか、どの駅から新幹線に乗るかさえ、
当日の朝まで決めていませんでしたから。
たまには、こういう旅もいいもんだ。
でも、バタバタし過ぎて、広島駅では、駅舎どころか駅名標の写真すら撮ってないけど。
広島 1409 -【山陽新幹線・のぞみ23号】- 1511 博多
新幹線・博多駅の駅名標。
ここから九州新幹線に乗り換えます。
博多 1546 -【九州新幹線・つばめ331号】- 1617 新大牟田
以上で、今回の旅の記録は、おしまい。
旅から四ヶ月ほど経っているので、当時の記憶を呼び起こしながらの記録となりました。
次は、どこに行こうかな。
岩国 835 -【山陽本線・快速シティライナー】- 917 広島
広島駅に到着。
岩国駅、錦町駅に続いて、広島駅でもこれまた工事中でした。
ホント、今回の旅では、工事中の駅にやたらと遭遇します。
まずは、コインロッカーに荷物を預ける。
路面電車には前日のうちに全線乗っておいた、この日は徒歩中心。
前夜にカープが優勝を決めたので、路面電車もいつも以上に混雑するだろうな、と思って。
前日にバタバタと路面電車の全線完乗を果たしたのには、こういった理由もありました。
広島駅から駅前通りを直進し、稲荷町から右に折れて、電車通りを西進。
猿猴川。
稲荷橋から、上流方を望む。
広島市のある広島平野は、太田川の下流域に形成された沖積平野です。
川の流れによって運ばれた土砂が河口付近に堆積することにより形成される、三角州の典型。
広島市には、この猿猴川をはじめ、太田川から分かれた支流が何本も流れ、広島湾に注いでいます。
広島市が"水の都"と呼ばれる所以ですね。
稲荷橋を渡り、電車通り(相生通り)を、さらに歩いて西進。
銀山(かなやま)町・胡町と通過し、八丁堀へ。
広島市の百貨店、福屋。
"カープ優勝おめでとうセール"の垂れ幕が、掲げられていました。
金座街商店街の、アーケード。
電車通りをさらに西進します。
立町を通過し、紙屋町へ。
ここで、地下街・紙屋町シャレオへ。
喫茶店など一部の店舗では営業を開始していましたが、大半の店舗はまだ開店前でした。
紙屋町シャレオの中を左へ折れ、南進。
目的地に到着。
広島高速交通広島新交通1号線、通称・アストラムラインの、本通駅。
結局、鉄道のりつぶしです。
広島高速交通の1日乗車券(930円)を購入。
今回の旅では、起点の本通駅から、終点の広域公園前駅までの間を往復します。
本通駅から広域公園前駅までの片道運賃は、480円。
行きと帰りでそれぞれきっぷを買うより、このきっぷを買った方が安上がりなのです。
ちなみに、アストラムラインでは、全駅でホームドアが採用されています。
ホームからの転落事故を予防するという意味では、このホームドアが一番有効です。
アストラムラインで採用されているのは、フルスクリーンタイプと呼ばれるホームドア。
そのため、ホームから撮るのはほぼ不可能なので、今回、車両の写真はありません。
本通 1005 -【広島高速交通広島新交通1号線・普通】- 1052 広域公園前
アストラムラインは本通駅から新白島駅まで地下、その先は高架上を走ります。
地下区間のうち、本通駅と県庁前駅の間、300mほどが鉄道事業法に基づく鉄道区間。
この区間が、いわゆる広島市の"地下鉄"と呼ばれる区間です。
県庁前駅から広域公園前駅までの区間は、軌道法に基づく軌道区間。
このうち、県庁前駅から新白島駅までは地下区間ですが、ここは"地下鉄"とはいわない、らしい。
長野市内の長野電鉄長野線や、金沢市内の北陸鉄道浅野川線と同じ扱いですね。
でも、長野線や浅野川線だって、鉄道事業法に基づく鉄道区間のはず。
一方、大阪市営地下鉄のように、大半が軌道法に基づく軌道区間となってる"地下鉄"もある。
この辺の違いが、よう分からん。
余談はさておき。
終点・広域公園前駅に到着。副駅名は"修道大学前"となっています。
写真では手前の方にも高架橋が繋がっているように見えますが、こちらは引き込み線。
写真奥が、本通駅(起点)方面です。
なお、広域公園前駅は広島市の安佐南区にありますが、
引き込み線の一部は、隣の佐伯区にかかっています。
現在、佐伯区を経由し、西区の西広島駅までを結ぶ延伸計画がある、とのこと。
余談はさておき。
駅名となっている広島広域公園は、この交差点を左折、北西側へ進みます。
サンフレッチェ広島のホームグラウンド・エディオンスタジアム広島などがあります。
また、副駅名となっている広島修道大学へは、この交差点を右折、南東側へ進みます。
アンガールズの山根さんの母校ですね。
駅近くにチェーン店のパスタ屋さんを見つけたので、入ろうとしたら、まだ開店時間前だった。
5分ほどの間でしたが、近くの公園で時間を潰し、パスタ屋さんで、ランチ。
ランチには少し早い時間帯だったんですが、ここでランチして正解でした。
この後、また本通駅まで戻ったのですが、本通駅から広島駅までの間、カープ優勝に関連した
セールやらイベントやらで人がごった返していて、ランチどころじゃなさそうでしたから。
この界隈は、"25年ぶりのカープ優勝"の喧騒とは、ほぼ無縁な感じがしました。
そういえば、今回の旅、三日ともランチはパスタだったな。
どうでもいい話ですが。
広域公園前 1140 -【広島高速交通広島新交通1号線・普通】- 1217 本通
車両の写真は撮れませんでしたが、代わりに、車両最後尾から、後方を撮影してみました。
アストラムラインはワンマン運転となっているので、こういった写真は比較的撮りやすいのです。
三日目。
今回の旅の、最終日。
旅の計画では三日目に予定していた"広島電鉄のりつぶしの旅"、二日目に敢行してしまいました。
かといって、このまま岩国から直接帰ってしまうのも、なんとなくもったいない気が。
そこで、この日はアストラムラインに乗ることに。
そんな訳で、再び広島に向かいます。
日曜日の朝の、岩国駅。
完全に逆光ですが。
岩国駅の駅名標。
ちなみに、一つ隣(広島方)の"わき"駅は、漢字では"和木"と書きます。
岩国駅、ホームにて。
ホームに入ってきた、JR西日本227系電車。
国鉄型車両が大活躍し、長いこと"国鉄広島支社"なんて呼ばれてきた、広島界隈のJR。
車体の老朽化が進んだことなどから、平成27年より、新車であるこの227系が投入されました。
ホテルに戻ったのは、15時過ぎ。
今回の旅は、行程に余裕をもってスケジュールを組んでいました。
しかし、15時過ぎからホテルに籠りっきりになるのは、些かもったいない。
そこで。
なぜか、岩国駅から、山陽本線の電車に乗った。
来た電車に飛び乗った感じなので、電車の写真は撮っていません。
ボタンの感じから、恐らく国鉄115系電車ではないかと。
そして、なぜか、宮島口駅で、下車。
宮島口駅の駅舎。
宮島口桟橋。
しかし、今回の旅では、宮島へは渡らず。
小学生の頃に行ったきりなので、もう一度くらいは、行ってみたいけど。
広電宮島口駅。
こちらは正面ではなく、通用口のようなところ。
駅の売店で、一日乗車券を購入。
そうです。
突然思い立ち、広島電鉄全線完乗に挑戦することになったのであります。
普段は慎重に慎重を重ねる性分ですが、たまに、こうして衝動性が強く出ます。
無鉄砲にもほどがあるけど。
広島電鉄5000形電車。
グリーンムーバーという愛称があります。
まずは、宮島口駅から広島電鉄2系統(以下"2系統"、他系統も準ずる)に乗車。
2系統は、宮島口駅と広島駅電停を結ぶ系統です。
途中の広電西広島駅までは鉄道線、そこから広島駅電停までが軌道線となっています。
今回は広島駅電停まで行かず、広電西広島駅の少し先、土橋電停で6系統に乗り換え。
終点の江波電停に着くと、今度は8系統の電車に乗車。
横川駅電停へ向かう8系統、広島電鉄1900形電車の、運転台。
広島電鉄1900形電車は、廃線となった旧京都市電の車両を譲り受けたものです。
横川駅で、広島電鉄1900形電車を撮影。
ついでに、横川駅の駅舎も。
できるだけ人が映り込まないようにするため、構図が微妙ですが、しゃあない。
この後、7系統で広電本社前電停まで行って、3系統に乗り換えて広島港へ。
広島港から5系統に乗り換えて広島駅電停まで乗り、そこから2系統で八丁堀電停で下車。
八丁堀電停からは9系統の白島電停までの区間を往復。
白島電停までの往復は、旧大阪市電の広島電鉄900系電車。
この時点ではとっくに日が暮れていたので、車体の写真は撮れず、撮ったのはこれだけ。
再び八丁堀電停に戻り、今度は1系統に乗って、本通電停へ。
この時点で、広島電鉄は一応、全線完乗。
全線完乗にかかった時間は、4時間半くらいかな。
横川駅で若干うろうろした分、若干のタイムロスはありましたが。
本通電停から紙屋町東電停までは歩いて移動し、再び2系統に乗って、広電西広島駅へ。
そこからJRの西広島駅まで歩いて移動。
西広島駅の駅舎。
夜の駅舎の雰囲気、なんか、好き。
駅に着いた途端、ダイヤが乱れているとの構内放送が流れているのを聞いたときは、焦りました。
だって、この後、岩国まで帰らなきゃいけないし。
しかも、まだ晩御飯食べてなかったし。
この日、どうにかこうにか、岩国駅まで帰ってきたのが、22時過ぎ。
岩国駅の駅名標。
駅前の居酒屋でなんとか食事にありつけて、ほっとしました。
その後、ホテルに戻り、正真正銘、二日目の行程を終了しました。
ちなみに、この夜は、広島東洋カープが、25年ぶりのリーグ優勝を決めた夜でした。
あ、そうそう。
文章だけだと行程がなんのこっちゃか訳わからんと思いますので。
広島電鉄の路線図、リンクを貼っておきます。
川西駅で下車。
川西駅の駅名標。
岩徳線と錦川清流線の分岐駅です。
錦川清流線の列車は、川西駅から岩徳線に乗り入れます。
終点の岩国駅は、2駅先。
川西は、宇野千代のふるさと。
川西駅は、ホーム一本に上屋があるだけの、簡素な造りの無人駅。
盛り土の上にあるので、ホームへは階段で行き来します。
川西駅近くにあるイタリアンレストランで、遅いランチ。
川西駅近くにある、宇野千代の生家。
横断歩道の黄色い旗。
なんか、懐かしい。
この後、錦帯橋まで歩いて、お土産を購入。
錦帯橋のバスセンターにあった、錦川清流線のポスター。
錦町駅、工事中だったら、こんな感じだったのかな。
この後、バスセンターからバスでホテルに戻りました。
しかし、この日は、これで終わりませんでした。