桜燕館 -さくらつばめの気まぐれブログ-

日々の雑感と、たま~の旅日記。

センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 10

2018-05-07 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

志度 1332 -【高徳本線】- 1340 造田

そんな訳で、志度から2つ徳島寄りの、造田で下車。
しかし、私にとっての"JR四国"の初乗車区間が、まさか志度・造田間になるとは。



造田駅の駅名標。
駅はぞう"だ"と、"田"を濁って読みますが、地名はぞう"た"と濁らないそうです。



無人駅で、駅舎も待合室と近距離券売機があるだけの小ぢんまりとしたものとなっています。
ここから、しばらく南西方向へ歩きます。

‥‥この辺りは観光地でもなんでもなく、住宅と田園が混在したごくありふれた地方の町で、デジカメを持ち歩いてうろちょろしていると不審者扱いされそうなので、写真は一切撮っていませんが。
しかも私、未だにガラケーだったりするので、地図検索も一苦労なのですが、おおまかな位置さえ分かれば、あとは何とかなるものです。

歩くこと、約30分。
Wikipediaには約1時間とありましたが、実際にはそんなにかからないと思います。



長尾駅に到着しました。
ことでんのもうひとつの路線、長尾線の終着駅。

四国八十八箇所霊場の第八十七番札所・長尾寺の最寄駅です。
今回の旅でお遍路さんの姿を見たのは、ここだけでした。



長尾駅の駅名標。
長尾線のラインカラーは、グリーン。



長尾駅のホームより、瓦町方面を望む。

長尾駅は終着駅ですが、もともとここから先へも延伸する計画があったらしく、駅舎は行き止まり線の先ではなく右側にありますし、この東側にある長尾寺の境内を避けるためか、ホームは若干左へカーブしています。



長尾駅に入線してきた、高松琴平電気鉄道1300形電車
もとの京浜急行1000形で、この車両は1974年に製造され、2011年にことでんが譲り受けました。

琴電志度駅同様、長尾駅でも、到着した電車がそのまま折り返して出発します。
ただ、琴電志度駅と異なり、長尾駅では、折り返して出発するまでに少し時間があるので、こうして電車の写真を撮ることができました。

長尾 1428 -【高松琴平電気鉄道長尾線】- 1500 瓦町

この車両も、志度線で乗った600形電車同様、運転室のすぐ後ろに座席がなく、ドアを挟みます。
幸い、運転席と反対側の最前方の座席を確保できたので、"かぶりつき"ではないものの、前方の景色を楽しみながら移動することができました。



再びの、瓦町駅。この時点で、ことでん、完乗達成です。
なお、長尾線は瓦町・長尾間が正式な区間ですが、ほぼ全列車が瓦町から高松築港まで乗り入れているので、駅番号は高松築港から付番されています。

15時になった、ということで、そろそろ、おやつが欲しくなりました。
‥‥って、子どもか。

そんな訳で、瓦町駅でいったん駅を出ることに。



瓦町駅・東口。



高校野球の古豪、高松商業へは、こちらから。



瓦町駅・西口。



高松市の中心部へは、こちらから。

瓦町駅は、"瓦町FLAG"という商業施設を併設した駅ビルとなっています。
もともとは"コトデンそごう"として開業し、その後"高松天満屋"を経て、現在の商業ビルの形態となりました。

エスカレーターで、10階まで上がり‥‥。
10階まで上がるんだったらエレベーターの方が普通に早くない?と思いつつ。

カフェ・ド・エルという、カフェレストランに入ってみた。



ウィンナーコーヒーと‥‥。



チョコバナナパフェを堪能。

‥‥パフェ、一番上の部分がほんのちょこっと見切れちゃってます。
それなりの値段はしましたが、その分ボリュームがあったので、私的には大満足でした。



瓦町FLAGの10階から見た、高松市街地。

左側に見えるのっぽの建物は、香川県庁舎です。
高松シンボルタワーが完成するまで、こちらが四国一の高さを誇っていました。

瓦町駅に戻り‥‥。



謎の顔はめパネル、発見。
どういうシチュエーションで、ここで記念写真を撮るのでしょうか。

ことでんのマスコットキャラクター、"ことちゃん"と"ことみちゃん"は、イルカを模したもの。
ことでんのマスコットキャラクターにイルカが採用された理由は、香川県さぬき市に"日本ドルフィンセンター"というイルカと触れ合える施設があるから、ではなく、ことでん(高松琴平電気鉄道)がかつて民事再生法適用となったときに、"ことでんはいるか、いらないか"という話し合ったことに由来する、とのこと。
キャラクター採用後に導入されたことでんのICカードも、"IruCa(いるか)"になりました。



瓦町駅、1番のりば。

瓦町 1553 -【高松琴平電気鉄道琴平線】- 1558 高松築港



高松築港駅で、瓦町駅から乗ってきた電車を撮影。
朝に琴電琴平まで乗ったのと同じ高松琴平電気鉄道1080形電車ですが、こちらは京急のラッピング電車で、車両全体が赤色となっています。

そんなこんなで、予定より大幅に早く高松築港まで戻ってきてしまいました。
しかも、16時ということで、これから名所を見物するにも、非常に中途半端な時間。

‥‥そういえば、朝からサンドイッチとパフェしか食べてない。
という訳で、再びサンポート高松へ。



サンポート高松にある、うどん匠・郷屋敷で、肉ぶっかけうどん。
少し、というか、だいぶ遅い昼食となりました。

本当は温かい方が美味しいんだろうけど、猫舌なもので、冷たい方にしました。
もう4月だし、まあいいでしょう‥‥意味不明ですが。



いったんホテルに戻ったものの、特に何もすることがないので、メモだのなんだのを整理して、再び高松サンポートへ。

夕食は、フレッシュネスバーガーで、クラシックアボカドバーガーに、アイスカフェラテ。
マスタードとケチャップを、お好みでかけることができます。

写真を撮った後、マスタードをかけて食べました。
‥‥バンズに比べて具が多いので、食べるのに少し苦労したけども。

そんなこんなで、二日目のレポート、おしまい。
次回からは最終日の模様をお伝えします。


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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 9

2018-05-06 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

琴電琴平 1143 -【高松琴平電気鉄道琴平線】- 1238 瓦町

高松から琴平まではことでんに乗りましたが、琴平からの帰りはJRを利用するのも悪くない。
‥‥が、せっかくことでんの一日フリーきっぷを買ったし、琴平駅から出る次のJRの電車は多度津行きで、乗り換えないと高松まで戻れないし、ここはおとなしく、ことでんで引き返すことに。

そんな訳で、終点・高松築港の2つ手前、瓦町駅で下車。



瓦町の駅名標、琴平線のりばバージョン。

ことでんには琴平線のほか、志度線、長尾線があります。
その3路線が、この瓦町駅から放射線状に延びています。

この3路線はもともと、琴平線は琴平電鉄、志度線が東讃電気軌道(のちに四国水力電気を経て讃岐電鉄に経営引き継ぎ)、長尾線が高松電気軌道という、それぞれ別の会社でしたが、1943年に3つの会社が合併し、高松琴平電気鉄道が発足しました。
戦時中には、こうした私鉄会社の合併が、全国各地で行われています。

また、かつては琴平線と長尾線のホームに挟まれるように志度線のホームがありましたが、1994年に瓦町駅の駅ビル建設工事が始まると同時に、志度線のホームが移設され、線路も分断されました。
現在は琴平線・長尾線のホームが並び、志度線についてはやや離れた場所にあります。



そんな訳で、動く歩道、登場。
この先、右に曲がったところに、動く歩道がもう1本あります。

志度線とほか2線とを結ぶ連絡通路は2階にあり、下は道路が通っています。



長尾線は右。
志度線は動く歩道に乗って、まっすぐ。

連絡通路を経て、志度線のりばに到着。
間に道路を挟んでいるためか、志度線のりば側にも改札口が設けられています。

乗車口は離れていても改札外乗り換えではないため、琴平線・長尾線と志度線との乗り換えでも改札を通る必要はなく、志度線のりばの改札口から琴平線・長尾線のりばへ向かうこともできます。



瓦町の駅名標、志度線のりばバージョン。
志度線のラインカラーは、ローズピンク。



志度線のホームに停車中の、高松琴平電気鉄道600形電車
こちらは、もともと名古屋市営地下鉄名城線で走っていた1800形電車(1974年製造)を、1999年に譲り受けたもの、とのこと。

なお、ことでんは琴平線こそ終点の琴電琴平まで日中は30分に1本(途中の一宮までは15分に1本)ですが、志度線や長尾線は終点の琴電志度や長尾まで日中でも20分に1本運行されています。
高松自体がそれなりに大きな都市だし、琴平線を除けば路線の総延長が15kmに満たないなどコンパクトだから、それなりのフリークエンシーサービスを実現できているのかも。

瓦町 1246 -【高松琴平電気鉄道志度線】- 1320 琴電志度

高松と志度の間には、ことでんのほか、JR高徳線も走っています。
本数はことでんの方が多い一方、所要時間や運賃の面ではJRに軍配が上がります。

ことでんの車両は、すべてロングシート(窓を背にして座るタイプの座席)。
また、琴平線で乗った1080形電車と異なり、この600形電車は運転室のすぐ後ろに座席がなく、ドアを挟むため、座ったままで"かぶりつき"をすることもできません。

なので、最初は適当に見つけた座席に腰掛けていたのですが、
折角なので‥‥ということで、数駅進んだところで立ち上がり、運転室のすぐ後ろのスペースから、前方の景色を眺めていました。
‥‥席から立ち上がったのは他にも理由がありますが、長文になりそうなので割愛します。

ことでんの3路線のうち、琴平線は高松から南西方向、長尾線は南東方向と、それぞれ内陸部へと向かっていきますが、志度線は高松から東、瀬戸内海沿岸に延びています。
もっとも、実際には屋島や庵治半島の付け根の部分を通るので、瀬戸内海はほとんど見えませんが。



それでも、塩屋駅を過ぎたところで、海が見えてきます。
写真は、房前(ふさざき)駅を出たあたり。



海をすぐ傍を、電車は走ります。



正面に見えるのは、小豆島‥‥か?
もちろん、手前の濃い方じゃなくて、向こう側の薄い方ですが。



手前側に見えるのは、さぬき市の小串岬。
この辺りは志度湾といい、瀬戸内海から海岸線が内陸部へ大きく入り込んでいます。



さて、琴電志度駅に到着。

琴電志度駅の駅舎。

琴電志度駅では、到着する電車と同時刻に出発する電車があります。
それは、事前に時刻表で調べていたので、把握済み。

なので、電車が到着するのを待って、反対方向に別の電車が出発するのだとばかり思っていました。
まさか、到着したばかりの電車が、そのまま引き返してゆくとは‥‥ことでん、恐るべし。

この様子だと、琴電志度駅で停車中の電車を撮る余裕は無い。
駅に戻ってくるのは、次の電車の到着間際で大丈夫。

‥‥ということで。



琴電志度駅からほど近い場所にある、JR高徳線の志度駅へ。

時刻表を見ると‥‥あれ?
‥‥次の列車、意外とすぐに来るじゃん。

ということで、琴電志度からことでんで引き返す予定を、急遽変更。
志度駅の自動券売機で、きっぷを買い‥‥。



志度駅の駅名標をしっかり撮影。

ことでん同様、JR四国でも駅番号(駅ナンバリング)が導入済み。
ちなみに、九州では西日本鉄道が駅ナンバリングを導入済みですが、JR九州は未導入です。



志度町は平賀源内生誕の地。
江戸時代中期、多方面で活躍した人物で、土用の丑の日にウナギを食べる風習が広まったのも彼が発祥である、ともいわれています。

歴史の教科書に出てきたのは覚えているけれど、具体的に何をした人物かまでは覚えてない。
解体新書を清書した杉田玄白と親交があった、というのだけは、なぜか覚えているけども。



志度駅3番のりばに停車中の、JR四国1500形気動車
私がホームに着いたときには既に入線していましたが、特急の追い抜き待ちのため発車までには少し時間があり、列車の写真を撮ることができました。

ところでこの列車、行先は"徳島"です。
ことでんで瓦町まで引き返す予定を変更したというのに、ことでんと並行する高松方面ではなく、逆方向の徳島方面の列車に乗り込む。

‥‥乗り間違いではありませんので、念のため。


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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 8

2018-05-05 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

さて、お参りも済んだし、あとは帰るだけ。
でも、なんかおかしい。

‥‥そうだ。
私、朝から、ポテチ以外、まだ何も食べてない。

そこで。

金刀比羅宮の参道の中ほどにある資生堂パーラー・神椿に立ち寄ることに。
時間が早かったのでレストランはまだ開店しておらず、カフェに入りました。



オリーブ豚のポークカツのサンドイッチに、アイスのカフェラテを付けてみた。

とりあえずお腹が満たされたところで、さらに下りてゆきます。



上るときになんとなく無視して通ってしまったので、下りに書院に立ち寄ってみた。
前回のレポートでいうところの、桜馬場西詰銅鳥居から40段ほど上ったところの右手にあります。

さて、桜馬場西詰銅鳥居まで下りてきた。
ここからの選択肢は、2つ。

上ってきた参道を、そのまま帰るか。
それとも、
左手に分かれてゆく、裏道を帰るか。

もともと、同じ道を往復するのはできるだけ避けたい主義。
迷わず、裏道に回ります。



11時を過ぎ、ぼちぼち参拝客も多くなってくるであろう表参道とは異なり、裏道は人の通りも少なく、思わずひゃっほうとダッシュしてしまいたくなるほど。
‥‥いい大人が走るなよ、と思わなくもないですが、そこは"旅の恥はかき捨て"ということで。



金刀比羅宮の図書館。
月に3回、4時間ほどしか開館せず、また、入館は予約制、とのこと。

‥‥なんで誰もいないのに写真を斜めに撮ってしまうんだ、私は。



図書館の東側にある建物には、裏側には"學藝館"の文字が。
こちらも常時開館という訳ではなさそうです。



そんなこんなで、琴平の街に下りてきてしまいました。

表参道でお土産を買うなどの予定のない方は、こちら側に下りてくるのも、悪くないかも。
ただし、うどん屋さんなんかもこちらには無いので、注意が必要です。

私はサンドイッチとカフェラテを堪能したばかりだったので、今回はうどん屋もパスしたけど。



大宮橋より、金倉川の上流方を望む。

金倉川の上流には満濃池という、日本最大の灌漑用のため池があります。
瀬戸内海沿岸は雨の少ない地域なので、灌漑用のため池が各地にあり、ことでんの車窓からも、いくつかのため池を見ることができます。



大宮橋より、金倉川の下流方を望む。

川のすぐ横に、琴電琴平駅のホームがあります。
というか、停車中の電車、よく見ると、高松築港からここまで乗ってきた電車だ。



ついでなので、JRの琴平駅にも立ち寄ってみました。



琴平駅の一角に展示されている蒸気機関車の動輪は、"四国鉄道発祥之地"のモニュメント。

国鉄の前身、讃岐鉄道が丸亀・琴平間を開通させたのが1889年のこと。
現在のJR四国の路線としては、ここが初めて開通した区間ということになります。

ただし、その前年に伊予鉄道が松山(現在の松山市)・三津間で開業しているので、"四国で最初に開業した鉄道"は伊予鉄道、ということになります。



琴平駅の入口。

"駅"の旧字体である"驛"が用いられているところに、歴史を感じます。
ただし、これは復刻版っぽいですが。



琴平駅のホーム。
上屋にも、ちょっぴりレトロ感があります。

琴平駅界隈には現在のJRとことでんのほか、琴平参宮電鉄や琴平急行電鉄といった路線が延びていましたが、いずれも廃止後50年以上が経過しています。

そんなこんなで、琴電琴平駅に戻ります。
琴電琴平駅では発車10分前より改札が始まるため、それまでは駅舎内の待合室で待つことになります。



高松電気鉄道1080形電車
高松築港からここまで乗ってきた電車と、同じ形です。



1080形電車の前方。

同じ1080形電車ですが、この車番1081・1082の編成は1959年の製造で、ほかの車番の製造年よりも一年早くなっています。
なので、来年にはこの編成も"還暦"を迎えることになります。


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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 7

2018-05-04 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

琴電琴平駅を降り立ち、金刀比羅宮へと向かいます。



琴電琴平駅を出てすぐのところにある、大鳥居。
袂に架かる橋は、大宮橋です。

この道を真っ直ぐ歩いて、突き当たりを左に曲がります。
200mほど進み、点滅信号のある交差点の角を右に曲がると、金刀比羅宮の参道へ。

朝一番に行ったにも拘らず、既に参拝客の姿が多く見られました。
しかも、途中で修学旅行だか野外活動だかの中学生と思しき集団と出くわしたので‥‥。



一之坂鳥居。
思いっきり見切れちゃってますが、中学生集団がぞろぞろ歩いている中での撮影は難しく、これが精一杯でした。

ちなみに、金刀比羅宮の石段は全部で785段あるそうですが、ここはまだ100段ちょっとの地点。
件の中学生と思しき集団の中には、"もう無理"なんて言っている子もいましたが‥‥。

こちとら、きみらの親世代の40過ぎのおっさんやが、まだ全然へっちゃらやで。
‥‥日頃から"一万歩ウォーキング"を続けている成果でしょうか。この先も、すいすい上っていくことができました。



365段上ったところにある、大門。

人が写り込んでしまっていますが、これくらいの大きさだったら大丈夫でしょう。
解像度があまり高くないデジカメって、こういうとき、逆に便利だったりします。

中学生の集団はこの手前の広場でいったん集合となったらしく、この時点ではいませんでした。
その代わり、今度は外国人の集団が大きな声で喋っていて、結構煩かったです。

どこの国の人、というのは、敢えて言いませんが‥‥。



笑顔でしあわせ。こんぴらさん!!



この辺り、桜馬場といって、数十株の桜が並び、桜の季節には爛漫に咲いた桜が左右から枝を交え、すばらしい桜の道となる、とのこと。
もちろん、この時期はすっかり葉桜となってしまっていますが、新緑の季節に訪れるのも、それはそれで、悪くない。



正面から撮影すると、こんな感じ。



桜馬場西詰銅鳥居。
この鳥居の手前で、石段を
431段上ってきたことになります。



祓戸社(はらえどのやしろ)。



そして、石段はまだまだ続く。

この石段を上りきったところに旭社がありますが、正しい参拝ルートは、旭社の手前で右に折れ、廻廊に沿って進みます。



青銅鳥居。



ブレまくり、しかも逆光で、完全な"失敗作"ですが、折角なので載せておきます。



賢木門。
賢木は"さかき"と読みます。

この先にある手水舎で、心身を清めます。
手水の作法は、事前に金刀比羅宮のサイトでチェックし、シミュレーションも行ったので、たぶん間違わなかった、と思う。



真須賀神社。
ここを左に曲がると、いよいよ最後の直線です。



ゴールが、見えてきました。
そして、ついに‥‥。



着いた~!!

天気がイマイチなのが残念ですが、それでも、785段、上ってきた甲斐がありました。
写真ではまったく分かりませんが、肉眼では瀬戸大橋も微かに見えました。



この先、奥社へは、ご覧のとおりお参りが不可能となっていました。
今年の10月には復旧工事が完了する見込み、とのことですが、奥社まで行くと石段をさらに600段近く上ることになるので、体力的にも時間的にも余裕があるときに参拝した方がよさそうです。



御本宮の右側にある、神饌殿。



御本宮。

拝礼作法についても、事前にチェックして行ったので、間違えてはいない、はず。

この一角で、"開運こんぴら狗みくじ"なるものを引いてみました。
賽銭箱の中に100円を入れ、ワンコの背中に入っているおみくじを、蓋を取ってひとつ引きます。

結果は"小吉"でした。
‥‥ここ数年、"大吉"が全然出ない。

高校生の頃には2年連続で"凶"を引いたこともあるので、それに比べればマシですが。



御本宮から、南渡殿という長い廊下があります。
この下を潜って反対側に出ると、睦魂神社や神庫・神輿庫があります。



南渡殿の先にあるのが、三穂津姫社

御本宮に祀られている大物主神の后にあたる、三穂津姫神が祭られています。
南渡殿は、いわば"夫婦の絆"なんですね‥‥なんて、しみじみ。

‥‥独り身の私には関係のないことでございますが。



三穂津姫社の南側にある絵馬殿。
金刀比羅宮は航海安全祈願の信仰を集めていることから、
船の模型が展示されていたり、船の絵馬や写真が多く掲げられていたりしています。



三穂津姫社の正面より延びる下向道の階段を下りて、帰路に就きます。
雨上がりで滑りやすくなっていることもあり、上りより下りの方が却って怖かった。

実は、この時点で、琴電琴平駅を出て、まだ1時間ほどしか経っていませんでした。
途中、中学生の集団やら外国人のグループやらを追い抜き、彼等がやってこないうちに参拝を済ませようと思ったら、あっという間に御本宮まで来てしまった。
今となっては、少々もったいないことをしてしまったかな、とも思います。

まあそれも、独り旅の醍醐味、ということで。


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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 6

2018-05-03 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

さて、二日目です。

今回泊まったホテル、朝食なしのプランでした。
前日に近くのコンビニで購入しておいたポテチがあったため、それを朝食代わりに。



二日目の始まりは、高松琴平電気鉄道・高松築港駅。

平日は、朝ラッシュ時の終わりがけに、中心部から郊外に動くに限ります。
人の動きとは逆になるので乗る電車自体の乗客は多くなく、かつラッシュ時には車両が増結されていることが多いため、その分一両あたりの乗車率はさらに低くなる、というワケ。

なお、上の駅舎の写真を撮ったのはことでん乗車当日ではなく、最終日の日中だったりします。
ラッシュ時は人の動きが活発過ぎて、駅舎の写真を撮りづらかったので。



高松築港駅で、ことでん一日フリーきっぷをゲット。
高松琴平電気鉄道(ことでん)全線を一日乗り放題で、1,230円。

ちなみに、ことでん琴平線の高松築港から琴平までは、片道620円。
つまり、片道ずつきっぷを購入するより、一日フリーきっぷを購入した方が、10円安い。

それに、一日フリーきっぷを買えば、ほかに志度線や長尾線にも乗れます。
また、回収されずに手元に残るために旅の記念になる、というところも、フリーきっぷのいいところ。

高松築港駅では、ホームに駅名標が見当たらなかったため、駅名標の写真はありません。



高松築港駅・1番のりばに入線してきた、高松電気鉄道1070系電車

もともとは京浜急行電鉄(京急)で走っていた2代目600形電車(初代700形電車)を、1980年代にことでんが譲り受けたもの。
製造から60年が経過しているため、車体には多少"レトロ感"がありますが、まだまだ現役で頑張っています。



ラッシュ時ということで、琴平行きの電車は4両編成で運行されていました。

琴平方の2両は、高松琴平電鉄1080形電車
こちらももともとは京急で走っていた電車(初代京急1000形電車)で、1988年から1991年にかけて、ことでんが譲り受けたものです。

いったん1番のりばから乗り込んだ後、この車体を撮影しようとしたときに、誤って降車専用の2番のりばへと降りてしまった私。
車体を撮影して電車に戻ろうとしたところ、2番のりば側の扉が全部閉まってしまいました。

慌てて1番のりばに戻り、何とか事なきを得ましたが。

高松築港 830 -【高松琴平電気鉄道琴平線】- 932 琴電琴平

発車間際のとんだハプニングはあったものの、電車の最前部、運転台の反対側の先頭部分という、絶好の場所を確保することができました。
終点まで、前方をしっかり"かぶりつき"してしまったのは、言うまでもありません。

各駅停車でコトコト揺られること、約一時間。



終点・琴電琴平に到着。

ことでんは各線にイメージカラーや路線記号、駅番号が導入されています。
琴平線のイメージカラーは黄色、路線記号はK。

琴電琴平の駅番号はK21。
起点駅である高松築港の駅番号がK00なので、高松築港駅を出て21番めの駅(高松築港駅を含めると22駅)ということになります。



琴電琴平駅の2番のりばに停まっていた、"バーバパパ号"。

ことでんとバーバパパに何の関係が?と思ったのですが、高松市に本店を置く地方銀行・百十四銀行が今年で創業140周年を迎えるのを記念して、期間限定で走っているそうです。
バーバパパの作者が高松や琴平と特に深い関わりをもっている、ということではなさそう。



こちらは電照式の駅名標。
少々年季の入った感じが、いい味を出しています。



琴電琴平駅の駅舎。

駅のすぐ横を金倉川が流れています。
駅前の道路を向かって左(駅を出て右)に進むと金刀比羅宮、逆方向はJR琴平駅です。


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