桜燕館 -さくらつばめの気まぐれブログ-

日々の雑感と、たま~の旅日記。

センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 5

2018-05-02 08:00:00 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

高松港に到着。



車が乗り込むスペースの両側、黄色い部分が歩行者用の通路です。
この時間、宇野から高松へ向かう客より、高松から宇野へ向かう客の方が多い気がしました。



雨の高松港。
小豆島国際フェリーが、小豆島へ向けて出発してゆきました。
左側にあるのはフェリーのりば(きっぷうりば)。

高松港一帯は、1999年よりサンポート高松として再開発が進められた地域で、貨物駅跡などを利用した広大な敷地に、シンボルタワーや商業施設、高松港旅客ターミナルビル(フェリーのりばとは別の建物)などが建設されました。

高松駅までは屋根つきのペデストリアンデッキで結ばれ、雨の日でも傘を差さずに駅と港を行き来することができます。
宇野行きのフェリーに乗り込むときに、ちょっと濡れるくらいですね。

予定時刻よりは大幅に早かったのですが、とりあえず荷物を置きたいので先にホテルに向かいチェックインを済ませ、それから夕食を摂るためにサンポート高松をうろうろ。

‥‥よし、ここに決めた。
ということで入ったのは、カフェレストラン・BAYCAFE アゼリア。



あまり観たことが無い、瓶のようなグラスに入った、アイスのカフェラテ。
写真には写り込んでいませんが、ストローの飲み口の側がクランク状に曲がっているのも、あまり見たことがないので、お洒落っぽく感じました。



昼に続き、夜もパスタ。

ただ、このパスタ、普通のスパゲティに比べて、幅がリボンみたいに太い。
リボン状のパスタには"パッパルデッレ"、"タリアテッレ"、"フェットゥチーネ"があるようですが、メニューを控えていなかったため、どれか分かりません。

中央に卵がでーんと鎮座しているのを見て、しまった!と思った私。
実は、半熟卵、あまり好きではないのです。白身は固まっているのに黄身はどろどろの液状になっている状態のヤツが、特に嫌い。

このときは、意外と白身の部分が固まっておらず、生卵にほど近い状態だったため、どうにか食べることができました。
せっかく注文したんだし、全部食べないともったいないのでね。

食事を済ませた時点で、日没までにはまだ少し時間があったので、シンボルタワーの屋上広場へ。



サンポート高松・タワー棟の屋上広場より北方向。
高松港の玉藻防波堤、赤灯台方面を臨む。

手前に見えるのが女木島、奥に男木島、さらにその奥にあるのが豊島。
右側にちょこっと写り込んでいるのは、小豆島かな。

なお、女木島には、桃太郎伝説に出てくる"鬼ヶ島"であるという言い伝えがあります。



こちらは北西方向。
右側の島は女木島ですが、奥に広がる陸地は、もしや児島半島?

‥‥こう見ると、意外と近いものです。
実際には10km以上ありますが。

なお、左側に見える三角形の島は、大槌島という無人島。
島のほぼ中央を県境が通っていて、北側は岡山県玉野市、南側は香川県高松市となっています。



サンポート高松のランドマーク、高松シンボルタワー。
高さは約151mで、四国一の高さを誇っています。

なお、屋上広場はタワー棟・ホール棟のそれぞれ8階にあります。
シンボルタワーの最上階である30階と、その一つ下の29階はマリタイムプラザ高松の天空レストランとなっていて、レストランの営業時間外には無料の展望スペースとして解放されている、とのこと。



高松港と、女木島や男木島を結ぶ、雌雄島海運の
フェリー。
四国急行フェリーに比べれば小ぶりな船体ですが、両島住民の通勤、通学や買い物などの足として重要な役割を担っています。



雨の高松駅。



高松駅の駅舎内に、アンパンマンの記念写真スペースがありました。
作者のやなせたかしさんの出身が四国(高知)だから、ということでしょうか。

‥‥以上、一日目のレポートでした。
次回からは、二日目の模様をレポートしていきます。

コメント (4)
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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 4

2018-05-01 08:00:00 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

茶屋町 1411 -【宇野みなと線】- 1434 宇野

茶屋町を出た電車は、しばらく瀬戸大橋線とともに高架上を進みますが、やがて進行方向に向かって右側(西側)に分かれて地上に下り、さらに瀬戸大橋線の高架下を通過して東へと向きを変えます。
進行方向左側は児島湾の干拓地が広がっていますが、海はほとんど見えません。

そんなこんなで、宇野駅に到着。



例によって、駅名標を撮影。

宇野の一つ手前は、備前田井駅。
九州人としては、つい"ここが備前田井たい!"と言いたくなります。

‥‥いや、ならんか。

いらんことばっか言わんで、先に進みます。



2番のりばに、ここまで乗ってきた電車が停車中。
電車は折り返し、茶屋町行きとなります。

かつては四国との連絡口として発展し、広い構内を誇っていた宇野駅も、瀬戸大橋の開通(瀬戸大橋線の開業)によってその使命を終えました。
現在の駅舎やホームは、1994年に移転新築されたもの。ご覧のとおり、1面2線のみの簡素な造りとなっています。



宇野駅の駅舎。

宇野駅に限らず、宇野みなと線には、独特のデザインが施された駅舎があります。
2016年に開催された"瀬戸内国際芸術祭"に合わせ、このようなデザインになったそうです。



高松行きのフェリーののりば。
すぐ隣には直島行きのフェリーのりばもあります。

宇野駅からは、徒歩5分程度で行くことができます。




時間はまだまだたっぷりあるので、ついでに船を撮ってみた。
雨模様だったのが、なんとも残念です。



港の近くにあった看板。



手前から、豊島経由小豆島行き、直島行き、高松行きの揃い踏み。
それぞれ、"小豆島豊島フェリー"、"四国汽船"、"四国急行フェリー"という別の会社ですが、"小豆島豊島フェリー"と"四国急行フェリー"についてはともに"四国フェリー"の系列会社です。



穏やかな瀬戸の海。

右端にある建物は、宇高国道フェリーのターミナル。
なお、宇高国道フェリーは、2012年より運航が休止され、ターミナルも閉鎖されています。

海を挟んで左側の島は、葛島。
香川県直島町にある無人島です。

香川県、近っ。



宇野港の大型客船バースに停泊中の、クルーズ船。
フランス船籍の"ロストラル"だそうです。

クルーズ(船旅)も、一度くらいは行ってみるのも悪くないかな。
‥‥財布、一気にぶっ飛びそうですが。



宇高連絡船の、記念碑。



宇高連絡船があった当時の遺構がありました。
移転前の宇野駅周辺は駅前広場や道路などに生まれ変わりましたが、ここだけは昔の佇まいを残していました。



直島行きの旅客船のりば。
のりばの陰に隠れてしまっていますが、高速船が停泊しているのがわかります。



宇野港の一角に、銅像が立っていました。



檜垣直右像、だって。
第8代の岡山県知事で、宇野港築港の立役者だそうです。

三池港でいう團琢磨さんみたいなものですね。
もっとも、團琢磨像は三池港ではなく、なぜか新大牟田駅の前にありますが。



乗船券を購入。

なお、船体やのりばなどには"四国フェリー"と表記されていますが、高松・宇野間の航路は2013年に子会社の四国急行フェリーに移管され、現在は四国急行フェリーが運航を担当しています。



乗船口。
車両が乗り込む通路の左側に、細い歩道スペースがあり、徒歩や自転車などの乗客はここから船内に乗り込みます。

ぶっちゃけ、大型車が通行するすぐ隣を歩くのは、ちょっぴり怖い。
これまでに何度も乗ったことがある有明フェリー(多比良・長洲航路)の場合、一般旅客の通路は車両が乗り込むところとは完全に分かれていますし、船体の規模自体は高松・宇野航路もそう変わらんから、ああいうのをイメージしていたのですが。

とにもかくにも、無事に乗船。

宇野港 1545 -【四国急行フェリー高松・宇野航路】- 1650 高松港



船旅の定番、プリッツ。
自販機で牛乳を買い、いざ、出航。

雨が降っているし、靄がかかっているので、何も見えん。
遠くの方に瀬戸大橋っぽいのが見えたけど、あれ、本当に瀬戸大橋だったのか?

出航してからしばらくすると、進行方向右手に島が見えてきた。
なんだ、この島?

‥‥って、まさかの、四国じゃん。

あとで地図を確認してみたところ、宇野からみて高松は南東方向にあり、しかも高松の西側に、五色台という瀬戸内海に張り出した部分があるのを発見。
宇野から高松に向けて半分ほど行ったところに現れた陸地って、これだったのね。

船旅では必ず甲板に出て潮風を感じることにしている私ですが、何度も繰り返すとおり、この日は小雨がぱらつく生憎の空模様であったため、船室からはほとんど出ませんでした。

例のプリッツと牛乳を船内の売店や自販機で購入中、私の荷物に触れようとする輩を発見、危険を察知して、ほとんど席を離れなかった、というのもありますが。
混雑していたら座席に荷物を置いて場所を取るのはマナー違反だと思うし、そういうときにはどかされても仕方がないと思うけど、400人以上の定員に対して、乗客は50人いるかいないかの超ガラガラだったのに、他人の荷物に触れる必然性、ある?みたいな。

お笑い芸人のバカリズムさんに似た、ネクタイを締めたリーマン風の、私よりちょい下くらいの年代の人でしたけど。
何やったんやろ?あいつ。

せっかくの久しぶりの船旅なのに、なんとなく気分を害されてしまった。
本当は、フェリーの中でうどんでも食べようかと思っていたところだったのですが、結局、プリッツと牛乳以外、何も飲み食いしませんでした。


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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 3

2018-04-30 08:00:00 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

岡山 1245 -【瀬戸大橋線】- 1306 茶屋町



岡山から乗ってきた児島行きの電車は、4番のりばに到着。
4番のりばはおもに瀬戸大橋線の電車が発着するため、駅名標にも瀬戸大橋線のラインカラーである青が採用されています。

また、ジョイフルトレイン"La Malle de Bois(マルド・ボァ)"(フランス語で「木製の旅行鞄」という意味)
を運行している関係か、のりば案内には英語表記のほかフランス語表記もあります。



一方、こちらは4番のりばの反対側、3番のりばの駅名標。
こちらは宇野みなと線ののりばとなっているため、宇野みなと線のラインカラーである水色が採用されています。

宇野方面へ向かう宇野みなと線と、児島・四国方面へ向かう瀬戸大橋線は、茶屋町駅から分かれていきます。
つまり、茶屋町駅は、路線の正式名称でいえば、宇野線の中間(ちゅうかん)駅であるとともに、本四備讃線の起点駅でもあります。

ただし、岡山・茶屋町間では日中、基本的に児島方面へ向かう瀬戸大橋線の電車がメインで運行されていて、宇野方面へ向かうには茶屋町駅で乗り換える必要があります。
一方、本四備讃線の起点駅ではあるもののの、茶屋町を起終点とする児島・四国方面の電車はなく、すべてが瀬戸大橋線として岡山まで乗り入れています。
なので、線路の正式名称上では、岡山から茶屋町を経て宇野までの区間が宇野線で、茶屋町から分岐した本四備讃線が児島を経て宇多津までを結んでいますが、運転系統上は、岡山から茶屋町を経て児島・四国方面に結ぶ瀬戸大橋線がメインで、宇野線(宇野みなと線)の茶屋町・宇野間が支線、という感じです。

以上、前回に引き続き、どうでもいい薀蓄、でした。

さて、本来、茶屋町では別の電車にすぐ乗り換える予定だったのですが、この時点で入線していた電車、そこそこ乗客が多そうだったので、その次の電車を待つことに。
そのときの状況によって変更を利かせられるように、旅の計画を立てる段階で、あらかじめ時間に余裕を持たせるようにしています。

そんな訳で、茶屋町駅で二度めの途中下車。



茶屋町駅西口。

茶屋町駅は1988(昭和63)年、瀬戸大橋開通(本四備讃線開業)に合わせて高架化されました。
茶屋町の中心部へは、こちらから。



東口。
こちらは駅舎を出たらすぐに道路を挟んで住宅街、という感じでした。

茶屋町駅は倉敷市にありますが、倉敷駅に電車で向かうときは、いったん岡山駅まで出て、そこで乗り換えることになります。
ただし、茶屋町駅から倉敷駅までの直線距離は意外と近く、美観地区はさらにその手前にあるので、例えば宇野方面から美観地区へ向かうときは、茶屋町駅で降りて
バスやタクシーなどを使った方が断然早いです。



干拓三百年の記念碑。
茶屋町一帯はもともと海で、江戸時代に行われた干拓事業によって陸地となりました。



茶屋町の鬼。



駅西口にある、児島湾干拓についての案内地図。

児島半島はもともと"児島(吉備児島)"というひとつの島で、吉備の穴海と呼ばれる浅海で隔てられていましたが、奈良時代に始まったとされる干拓事業が進められる中で、江戸時代に陸続きとなり、児島半島や児島湾が形成されました。
その後、干拓事業はさらに進み、1959年には締切堤防が完成、児島湾の奥部が人造湖・児島湖となりました。

なお、本四備讃線の開通に伴い快速電車が停車するようになり、岡山駅と快速で20分足らずで結ばれるようになったことから、駅周辺ではは急速に宅地化が進んでいます。



ようこそ茶屋町駅へ。



右上に描かれているのは、JR西日本・岡山支社のゆるキャラ、"くまなく・たびにゃん"。



茶屋町駅の改札口。



4番のりばに、高松行きのマリンライナー35号が入線してきました。
しかし、ここでは、これには乗りません。

岡山駅では"どうせ帰りに撮るから"なんて言いながら、結局ここで電車の写真だけ撮るという。



3番のりばに入線してきた、国鉄213系電車
こちらに乗り、先へ進みます。


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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 2

2018-04-29 08:00:00 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

そんなこんなで、岡山に到着。



山陽新幹線・岡山駅の駅名標。

岡山で途中下車します。



岡山駅東口(後楽園口)。
岡山市の中心部へ向かうときや、路面電車(岡山電気軌道)へ乗り換えるときは、こちらから。

一方、西口(運動公園口)では、JR西日本の職員さん達が通路に並んで立ち、代表の方が通行人に向かって演説していて、とてもそういう雰囲気ではなかったので、写真撮影は断念。
東口同様、昨秋の旅でもレポートしているので、こちらをご覧ください。

何年も訪れていない、というのであればともかく、さすがに半年ほどで、その辺の雰囲気ががらりと変わっている、なんてことはない。

岡山駅の地下街・岡山一番街にあるパスタ屋さん・Pelcolaで、ランチ。





パスタ、めちゃくちゃ久しぶりに食べた気がする。

さて、お店を出てしばらくしたところで、別のあるお店を発見。
ここって、噂の、あのお店ではないか。

よし、最終日の夕食は、ここにしよう。
‥‥最終日の夕食の模様につきましては、また後日レポートしたいと思います。

さて、ここからの選択肢は、2つ。

早めに岡山駅から電車に乗り、途中で乗り換えて、余裕を持って次の目的地へ向かう。
または、岡山駅界隈を一時間ほどぶらぶらしてから、次の目的地へ向かう。

結論。今回の旅の目的地は岡山ではないし、小雨がぱらつく生憎の天気でもあるので、早めに次の目的地へ向かう。

そんな訳で、再び改札を通り‥‥。



瀬戸大橋線・宇野みなと線のりばへ。
5・6・8番のりば、と書いてありますが、7番のりばへもこちらから行くことができます。

ちなみに、瀬戸大橋線と宇野みなと線、いずれも鉄道路線の愛称です。
瀬戸大橋線は、宇野線の一部(岡山・茶屋町間)と本四備讃線の全線(茶屋町・宇多津間)、予讃線の一部(宇多津・高松間)から成っています。
一方、宇野みなと線は宇野線の全線(岡山・宇野間)の愛称です。

なので、岡山から茶屋町までの区間は、正式名称は宇野線、愛称では瀬戸大橋線と宇野みなと線の重複区間、ということになります。

以上、どうでもいい薀蓄でした。



瀬戸大橋線・宇野みなと線の駅名標。

JR西日本の岡山支社管内では、路線にラインカラーが導入されていて、駅名標の下部もそれぞれのラインカラーで色分けされています。
宇野みなと線も乗り入れていますが、瀬戸大橋線がメインということで、このホームでは瀬戸大橋線のラインカラーである青が採用されています。



8番のりばに停車中のJR四国8600系電車
今回の旅では、これには乗りません。

高松行きのマリンライナー31号に乗る、という手もありましたが、この時点でかなりの乗客がいたので、そちらも見送りました。
また、マリンライナーについては、どうせ最終日に乗るので、ここでは写真撮影も見送り。



7番のりばに停車中の、国鉄115系電車

今回は、これに乗ります。

ちなみに、岡山駅の5・6・7・8番のりばは、1本のプラットホームで、東側に5番、東側の切欠け部分に6番、西側の切欠部分に7番、西側に8番のそれぞれののりばがあります。
東側の切欠け部分は西側の切り欠け部分よりも長く、5・7番のりばに比べると6・8番のりばの方がホームの有効長が長いのが特徴です。

1本のプラットホームに4箇所ののりばがある、という変則的なホームも、多くの路線が乗り入れるターミナル駅ならでは、という感じです。


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センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~ vol. 1

2018-04-28 08:00:00 | センチメンタル・ジャーニー ~高松・琴平~

先月末で前職の任用期間が満了となり、"フリー"の身となった私。
有給休暇をたっぷり残したままとなってしまったけれど、特に後悔はしていない。

その代わり、"フリー"になったら、鉄道の旅に出たい。
在職中から、ぼんやりと考えていた。

そんな訳で‥‥行ってきました。

人生初の、四国上陸。
そして、中国地方の鉄道線、全線制覇。

計画の段階では当然、テンションは上がりまくっていました。
しかし、その日が近づくにつれて、少し憂鬱な気持ちに。なぜなら‥‥。

週間天気予報によると、出発の日に合わせて、天気が崩れる見込みだったから。

そんな訳で、今回の旅のタイトルは、"センチメンタル・ジャーニー"に決定。
‥‥天気のことばかりではなく、なんとなく、そういうタイトルをつけたい気分でした。

そんなこんなで、結局天気予報は当たってしまい、出発日である24日の朝の大牟田は、雨。
旅の始まり恒例となっている駅界隈での撮影は断念し、そのまま待合室へ。

なお、今回の旅の出発点である新大牟田駅については、昨秋の旅でもレポートしておりますので、こちらをご覧ください。

基本的にはこのときと変わっていないのですが、一つだけ、変わったところが。



新大牟田駅のキヨスク、先月28日で閉店、とな。

徒歩圏内にコンビニ(ローソン)があるから、めちゃくちゃ困る、というほどでもない。
それでも、この日みたく雨が降っているときなんかは、不便になったように思う。

ところで、今回、駅の写真を撮るのを断念した理由が、もうひとつあります。
私が駅に着いた少し後、中学生の集団を乗せた貸切バスが、駅構内に入ってきた。

貸切バスのフロントガラスの表示を見ると、佐賀の中学校だった。
近隣の学校なら分かるけど、なんでわざわざ佐賀から貸切バスで新大牟田駅?

しかも、彼らが向かったのは、私と同じ上り線ではなく、下り線のホーム。
その時間、下り方面の列車は熊本止まりだし、佐賀から大牟田まで来たなら、もう直接熊本まで行った方が早いような気がしないでもないんですが。

そんな訳で、新幹線の列車の写真を撮ろうにも、反対側のホームにいる中学生たちがどうしても写り込んでしまうため、撮れませんでした。
いままでにもさんざん列車の写真は撮ってきたから、別にいいけど。

新大牟田 917 -【九州/山陽新幹線・さくら544号】- 1134 岡山



ホットコーヒーとアイスクリームを、車内販売でゲット。

私は基本的に指定席は窓側の席しかとらないし、通路側にほかの人が座っているときは車内販売でモノを買うことはないんですが、この日は小倉を出た時点でも隣に客が座ってこなかったので、久しぶりに車内販売でコーヒーを飲むことができました。
車内販売で買うコーヒーって、冷静に考えれば、大型商業施設などにあるドリップ式のコーヒーとそんなに変わらんと思うんだけど、なぜか美味しく感じるのです。

その後、広島駅では隣に外国人の乗客が乗り込んできました。
岡山駅で私が先に降りたのですが、前を横切るときに小声で"すみません"と言ってしまいました。

あそこはやっぱり、"Excuse me."と言うべきだったのか、否か。
相手が避ける仕草をしているのに"Excuse me."と言うのは逆に失礼にあたる、という話をどこかで聞いたこともあるので
、結局"すみません"になってしまいました。

英語、勉強し直さないといけないな。


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