志度寺の仁王門は法隆寺の東大門、東大寺の転害門と同じ形式の
三棟造りです。
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仁王門は、寛文10年(1670)高松藩初代藩主松平頼重の寄進により
再興されたと伝わっていますが、この三棟造の建築様式は
奈良時代特有の建築様式らしいです。
仁王門自体は、奈良時代からあったということでしょうか。
奈良時代(710~784)
「今昔物語」の前の記事では、志度寺の縁起に関係するような
お話を探しましたが、こちらでは藤原氏に関係する、
気になるお話を拾ってみようと思います。
実は以前に書いた
この記事の中で紹介している菅原道真の漫画「応天の門」
がちょうどこの時代なんですよ。
この漫画のおかげで、基経や高子様の顔が浮かんできます。(漫画ですが)
「今昔物語」って、古文の時間に読んだきりで、時代も内容もよく覚えていなかったのですが、今、「文学の歴史」を自習していて、
とても面白いものだと改めて知りました。
私が今、歴史の勉強をし直しているのは、志度寺に伝わる「縁起絵巻」が
きっかけですが、様々なお寺に似たような「縁起話」があって、
それらは、この「今昔物語」にインスパイア(笑)されたものであるようなのです。
なので、しばらく、「今昔物語」を読んでいこうと思います。
ネットって、便利ですね。
今、「日本文学の歴史 5」角川書店 を読んでいます。
平安時代、貴族の時代、宮廷女房が文学の担い手であったのが、
源平争乱の頃から、文学の担い手は「隠者」へと変わっていきます。
歴史上の出来事と文芸が、これほど関連の強いものだとは今まで
気づきもしませんでした。