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天智と天武

2019-07-24 22:20:53 | 活動報告
goo blog のお題で、マンガについて書きます。


「天智と天武」
青年漫画です。😅 
この漫画の存在を知ったのは、インターネットでしたが、驚きましたね。まさか、古代の天皇の物語が漫画になっているなんて。
そして、新説ーー 
大化の改新の中臣鎌足は、百済の皇子、豊璋だった。
天武天皇(大海人皇子)は、皇極天皇と蘇我入鹿の子供だった。
蘇我入鹿は聖人で、中大兄皇子と鎌足こそ極悪人だった。

という、トンデモ(?)、いや、アリ? な設定で、既に知られている歴史の物語を紡いでいるので、歴史好きにはたまらない。

古代のことを書いている本って、言葉が小難しくて、何度読んでもなかなか頭に入ってこないのですが、漫画だと、わかりやすいし、文章だけでは伝わらない、服装や建物や景色の様子が詳細に描かれていて、そして、新説を成り立たせるために考えられた筋書きの見事なこと!
こりゃあもう、漫画というより、学術書? と感動している私です。

ところで、私の住む町、志度町には、この中臣鎌足の息子、藤原不比等が、龍に奪われた宝珠を取り返しにやってきて、土地の海女と結ばれて、その海女が命を賭けて珠を取り返し、絶命し、不比等と海女の間に生まれたのが、藤原房前だという伝説があります。
 不比等と言えば、古代日本史のスーパースターで、房前と言えば、藤原北家の始祖で、こんな伝説、ありえない! って、思っていたけれど、いろいろ歴史を調べてみたら、なくもない、と思えてしまうのが、古代史の面白いところですねえ。私たちの住む志度沖の海を、白村江の戦いの時、本当に天智天皇が船で通ったみたいだし、香川県から、大海人皇子に従って、白村江に行ったり、壬申の乱に参加した人もいたみたいなんですよ。
 それから、瀬戸内海の国々には「凡値(おおしのあたい)」という国造たちがいたんですが、「凡値」を「凡海値」と呼ぶこともあって、彼らは瀬戸内の国造として、大和政権の海運を担っていたみたいなんですが、大海人皇子って、「おおしあまのおうじ」と読まれることもあって、乳母が海人族だったから、「大海人皇子」と呼ばれたらしいということもわかっていて、大海人皇子って、海人族だったのかな、とか、古代からずっと天皇家の側で栄華を極めてきた藤原家が実は、百済人だったのかも? なんて想像するのは……楽しいですねえ。





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