志度寺に伝わる「縁起絵」の背景を探っています。
志度寺には縁起文7巻と縁起絵6幅が伝わっています。
そのうち、
「讃州志度道場縁起絵」⑴⑵では、
志度浦に来た藤原不比等と地元の海女が結ばれて、不比等の二男、「房前」が生まれたことになっています。
藤原不比等で調べてみると
- 父:藤原鎌足(ただし、前述の通り一書に天智天皇の皇子と記される)。
- 母:車持与志古娘(車持国子の女。ただし、不比等の母は鏡王女とする説が有力)。
- 妻:蘇我娼子または媼子 - 蘇我連子の女
- 長男:藤原武智麻呂 (680-737) - 南家祖
- 次男:藤原房前 (681-737) - 北家祖
- 三男:藤原宇合 (694-737) - 式家祖
- 妻:五百重娘 - 不比等の異母妹。もと天武天皇夫人
- 四男:藤原麻呂 (695-737) - 京家祖
- 妻:賀茂比売 - 賀茂小黒麻呂の女[11]
- 長女:藤原宮子 (683?-754) - 文武天皇夫人、聖武天皇母
- 妻:県犬養三千代(橘三千代) - 県犬養東人の女。もと美努王妻で文武天皇と聖武天皇の乳人
- 三女:藤原光明子(安宿媛、藤三娘)(701-760) - 聖武天皇皇后(光明皇后)、孝謙(称徳)天皇母
- 生母不明
- 二女:藤原長娥子 - 長屋王室
- 四女:藤原多比能(吉日) - 橘諸兄室
- 五女?:藤原殿刀自 - 大伴古慈斐室[12]
『麻績氏系譜』では「中臣不比登」は「妻麻貫玉取ノ子ヲ養嗣」とし、それが房前公であったとしている。 (ウィキペディア)
房前は、歴史上では、蘇我娼子の子供となっています。
それが「志度道場縁起」では、志度の海女が生んだ子となっています。
どうして、そんな話ができたのか、もしかして、本当にそんなことがあったのかな、と思わせてくれるのが、古代史の面白いところなのですが、
今日、不比等の長女で、文武天皇夫人、聖武天皇母の藤原宮子に、
「海女だった説」があることを初めて知り、驚愕しました。
紀州の海女説
梅原猛は、『海人と天皇』新潮文庫(9503)で、宮子は不比等の養女であり、紀州の海女であったとする説を考証している。
「文武天皇が紀州御坊へ療養の旅をしていたとき、美しい海女を見初めたが、いくら美女でも海女の娘では后にはなれないので、権力者・不比等が一旦養女とし、藤原の貴種として嫁入りすることとなった」というのである。
(ウィキペディア)
もうこれ、絶対、不比等と海人族との間に深いつながりがあるとしか思えません。
ここで面白いブログを見つけました。
それから気になるのが
宮子の母とされる賀茂比売 。
志度寺の近くに、房前の母である海女が息絶えた真珠島いうのがあるのですが、その島のある土地は、「鴨庄」「鴨部」という名の地なのです。
この地に昔、加茂族がいたという証ではないのか、と以前からうっすらと思っていました。
房前の母親も加茂族だったのかな~?
縁起絵では「凡直」だったと言われています。
「凡直」も海人だったらしいです。
これも気になりますね。↓
『麻績(おみ)氏系譜』では「中臣不比登」は「妻麻貫玉取ノ子ヲ養嗣」とし、それが房前公であったとしている。
玉取で奇妙な一致ですね。