日本武尊は伊吹山の神との戦いに 「草薙剣」 をミヤスヒメ (奥さん) に託して出発。
登り始めてまもなく、神の化身である大きな白猪に遭遇した。
白猪は激しい氷雨(矢が雨のように降る様)を降らせ、日本武尊はこの矢に塗られたトリカブト
の毒により病を得たとされている。
戦いに敗れた日本武尊は 「居寤の清泉」 で正気を取り戻し 「当芸野」 に向かいます。
(居寤の清泉の場所は、様々な説がありはっきりしていません)
関ヶ原鍾乳洞入口にある 「日本武尊居寤清水(玉倉部の清水)」 が最も有力な候補地です。
大清水・泉神社 水を汲みにくる人が最も多い。
伊吹山登山口にあるケカチの湧 (ゆ)
醒井 候補の中で最も有名で、観光客も多い。
養老郡養老町の大菩提寺境内にある 「当芸野」 の石碑
ここから養老山地の東側を南下し海津市南濃町に入ると、杖突坂の石碑があります。
古事記には 当芸野→杖衝坂→尾津 となっていて、これが正しければ杖衝坂は南濃町
となります。しかし本居宣長の古事記伝には、四日市市采女町が正しいと記されています。
桑名市多度町には、東征の際に忘れていった刀が残されていたという草薙神社があります。
(草薙神社は日本武尊の子孫だと伝えられている、草薙姓の人々により管理されています)
桑名市志知の平群神社 日本武尊の足洗池
平群神社 日本武尊 銅像
日本武尊 歌碑 「命の 全けむ人は 畳薦 平郡の山の 熊樫が葉を 髻華に挿せ その子」
四日市に入り
「西坂部町の足洗池で足をすすぎ、菰野町下村の玉葛水で目を洗い鈴鹿に向かった」とある。
四日市市西坂部町の足洗池前の石碑
西坂部町の足洗池
菰野町下村の玉葛水
四日市市采女町の杖衝坂を上ったところに 「血塚社」 があります。
日本武尊の足から出た血を洗い流した場所だと伝えられ、境内にはご神体の日本武尊の血の付いた石が積まれています。
そしてこの先の鈴鹿市・亀山市の「能褒野」で亡くなりました。
現在も鈴鹿市・亀山市の両市に「能褒野」という地名が残されています。
http://blog.ohhagi.com/archive/554 に続く!