お地蔵さまの寄り道

小さな幸せ探し中
   

2020年1月23日

2022年05月21日 | あれこれ☆


中学1年生からの同級生が亡くなった
約11年前に私も彼女も仲良く「乳がん」と診断されて
私が先に手術を受けて「乳がんでは無く 硬化腺症(オデキのような物)」となった
彼女は、私より3か月遅く手術を受けた
彼女は寂しがり屋なので
手術の日に来て欲しいと言うので
彼女のお母さんと手術室の前で手術が終わるのを待った
毎日、お見舞いに通った

もう少しで5年ってとこで再発
電話口で号泣する彼女が心配で
「顔が見たくなったから、徳島に来た。取りあえず美味しい物を食べに行こう」
再発の話をし始めるとポロポロと大粒の涙をこぼす
彼女に
「私がガンを笑い飛ばしてやっつけてやる!」
「まだまだ、沢山、私と遊んでくれないと困る」
「旅行に行こう。温泉に行こう。美味し物を食べよう」
こんな事ぐらいしか言えなかった自分が情けなかった
もっと、気の利いた言葉を言いたかったけど
もらい泣きしそな自分を堪えるのが精いっぱいだった
ず~~~~~っと、抗ガン剤を何種類を変えながら受けていた
副作用に悩まされ、髪の毛も抜けては、少し生え、また抜けるの繰り返し
鬱にもなり眠剤や安静剤も飲んでいた
夜中に何度も電話を掛けてきていた
「抗がん剤、止めたい」
「辛い」
私は抗がん剤を受けた事が無いので、辛さがわからない
「辛いんやなぁ。しんどいんよなぁ。止めたいよなぁ。
私だったらよう耐えない!偉いなぁ。ご褒美せんとあかんなぁ
抗がん剤が終わって体調が良くなったらハワイに行こうかっ?
ハワイに行ったら、もっと元気になるよ
ウクレレ、カッコいいの買おうかっ?
フラダンスしてみる?
ハワイの海に足を着けよう
トロピカルジュース飲もう
阿波踊りを久し振りに踊ろう
有馬温泉に行こう
横浜の同級生の所に遊びに行こう
とにかく、彼女に「希望」を持って欲しかったし
楽しい事をしていれば「ガン」は治る事が無いかもしれないが
一緒に笑えると信じていた
実際、彼女と私しか知らない中学時代の同級生や嫌いだった先生の事を話して
夜中に、ええ年したおばはん達がキャッキャッと笑う事も多かった
徳島に年4回は帰って彼女に会っていた

彼女はピアノの先生をしていた
音楽が好きで、徳島の音楽仲間と演奏をしていた
彼女の家に行くたび楽器が増えていた
家にグランドピアノがあるのに
演奏会用のキーボード、ギター、ウクレレ等々
私は音楽がさっぱり分からないし、「クソ」が付く音痴だ
でも、グランドピアノを弾いている彼女が輝いていた事は知っている
演奏会用に服、帽子、アクセサリー
「フルーツが美味しい」と言えばフルーツを
マカロンが食べたいと言えばマカロンを
彼女が喜んでくれそうな物は何だって買って送った
笑顔が見たかったから。。。
そんな私の願いを彼女も受け入れてくれて
ふざけた動画を送ってくれた

約束した事を
ハワイに行く
阿波踊りを踊る
横浜の友達の所に遊びに行く
有馬温泉に行く
全て実現させて
次は、何がしたい?どこに行きたい?
東京オリンピックの花火を見に行きたい
シンガポールのマーライオンを見たい
屋上のプールにビキニで入ろう。犯罪やなぁ~
なんて笑っていた
8月に彼女の家に、同級生が集まってくれて
私のお誕生会をしてくれて阿波踊り見物にも行った

秋になって
「私、もう抗がん剤止める。頑張るん止める」
十分頑張って来た彼女に「もっと頑張れ!」ってよう言わんかった。
抗がん剤を止めると死んでしまう事も知っていた
勿論本人である彼女も知っていて止めると決めた
乳がんから始まり、乳がんの再発、ガン転移で子宮がん、骨、脳、肝臓。。。
「彼女をもう許してやってくだい」
神さま、弘法大使さま、もう誰でもいいから連れて行かないで!
誰も、私の願いを聞いてくれなかった
抗がん剤を止めて3か月で旅立ってしまった
彼女は永遠に56歳のまま

彼女のお葬式に徳島に帰って以来
コロナ禍となり徳島に帰っていない
コロナ禍だから彼女に会えてないだけと思いたい