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最後のブルトレ「はやぶさ」「富士」

2009年01月24日 | Weblog
遂に九州特急消滅。再来月寝台特急「はやぶさ」「富士」が廃止され東京から九州
に向かうブルートレインが消える。
「はやぶさ」とは隼、鷹の仲間の鳥で、力強く速く飛ぶイメージから昭和35年に
生まれた愛称である。古代日本史に薩摩隼人という朝廷に服さぬと言われた民が
出てくるがさぞかし素早かったのであろう。私が幼い頃、「はやぶさ」は日本最長
距離(1518.2㎞)を走るブルートレインであった。当時は西鹿児島(現:鹿児島中央)
まで走っていたのである。ゆえに20時間半を要し、ゆったりと旅をできるように
ロビーカーが連結されていた。1997年11月ダイヤ改正において熊本打ち切りとなり
最長距離ランナーの地位を失い、その後「さくら」と併結運転を行うこととなり
ロビーカーなどがなくなり編成は短くなった。また'93年まで食堂車が営業しており
食事ができたが営業を止めたのちフリースペースとして連結されていた。
「富士」は昭和4年日本鉄道史に初めて特急が生まれた時につけられた由緒ある
愛称である。「富士」とは日本最高峰富士山であり「上り(列車)では朝日にはえる
富士山をたっぷりみることが」(広田尚敬)できる。また「はやぶさ」の前任の日本
最長距離ランナーでもあった。当時東京~西鹿児島を結んでいたが日豊本線経由の
為、遠回りで、より長距離であったのである。しかし昭和55年10月のダイヤ改正で
宮崎~西鹿児島間が廃止され「はやぶさ」に、その地位を譲った。しかし「富士」
も変わらず花形列車であり食堂車、ロビーカーを大分まで連結していた。また手元
に'92年と'94年の時刻表があるが、この頃南宮崎まで行っているので宮崎~南宮崎
の一駅だけ復活していたらしい。しかし'97年同じく「富士」も大分止まりとなった。
のちに1列車を奪回し孤高の道を歩んだが「さくら」が廃止されるに及んで「はや
ぶさ」と併結することとなった。晩年B寝台4両、A・B個室各々1両の6両ずつ
12両での運転であった。
ブルートレインは寝たまま目的地に運んでくれるのがメリットであった。しかし、
新幹線が速さという武器をフルに活かし高速バスが安さで対抗するとお手上げであった。
抗することのできない時代の流れ、と言ってしまえばそれまでかもしれないが、
それではいかにも寂しい。


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