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私のスピーカー命名法

2023-02-07 15:17:09 | 日記
 今回はちょっとコーヒーブレークです。
おそらく皆さんは見当が付いていると思いますが、私のスピーカーの名付け方を書いてみたいと思います。
読み飛ばしても特に問題はありませんので、興味のある方だけどうぞ。

 当ブログを最初から読んでいる方はわかるでしょうが、魁スピーカーは当初、前半丼の再利用から生まれた謎の高音質スピーカーでした。
望外の大成功を受けて、名無しのままでは駄目だ、何か名前を付けねばと思いました。
例えばラグジュアリースピーカー、8㎝口径で、LS-800などと名付けても没個性的で、何も面白くありません。
多少は目立つ、個性的な名前が欲しいと思いました。
それとスピーカーは洋風の名前が付く事が多いので、和風の名前にしたいと思いました。
大風呂敷ですが、ジャパン・オリジナルと主張できるようになりたいという願いも入っています。
 さてどうしようと考えて目を付けたのが、旧日本海軍の航空機の命名法です。
例えば有名な零戦の正式名称はこうです。
「零式艦上戦闘機21型」
これは真珠湾攻撃から使用された初期の型です。
最初の零式とは皇紀(古事記の記述を元に、神武天皇即位から数えた年式。考古学的には根拠なし。)2600年に制式採用された事を意味しています。
ちなみに陸軍は零式とは言いません。
例えば同年制式採用の機体には「百式重爆撃機 呑龍 1型」と名付けています。
こんなところにも海軍と同じ事はしたくないという、つばぜり合いが見られて面白いですね。
 次の艦上戦闘機はわかるでしょうから、最後の「21型」です。
最初の2は機体の型式を表す数字で、後ろの1はエンジンの型式を表します。
機体が2ということは、その前に1があったことになります。
そのとうりで、最初に採用された零戦は11型です。
実は新開発の機体には初期不良がつきものなので、最初は空母で運用せず、陸上基地のみで運用したのです。
その後品質が安定したので、着艦フック等を装備、晴れて21型として真珠湾に投入されました。
 ちなみに零戦には愛称がありません。
他の海軍機を見ても、俗称はあっても、正式な愛称の付いた機体は(当時は)ありません。
おそらく愛称を付けるという発想自体が無かったのだろうと思います。
 ところが、いざ戦争が始まってみると、陸軍は同時期の戦闘機、1式戦闘機「隼」を大々的に宣伝しました。
加藤隼戦闘隊などと映画まで作られました。
当時の国民は、緒戦の日本の快進撃は「隼」によるものだと思っていたのです。
多くの若者がパイロットになるべく飛行学校入学を希望しました。
でも、陸軍希望者の方が圧倒的に多かったのです。
 現在では日本を代表する戦闘機は零戦になっています。
実はこれは戦後になってからの話です。
実際に対戦した米軍パイロットの評価で逆転したのです。

 話を戻します。
この隼戦闘機の大人気に、苦虫を噛み潰したのが海軍です。
海軍航空機にも、国民にアピールできる愛称を付けるべきだという声が大きくなりました。
かくして「2式大型飛行艇(大艇)」を最後に、以後は愛称を付ける事が決定しました。
そして零戦の次に制式採用された戦闘機の名前がこれです。
「局地戦闘機 雷電 11型」
これを見て、すぐに気がつくと思います。
年式表記を廃止したのです。
陸軍の真似をしたと、よっぽど言われたくなかったのでしょう。
本当にどうでもよい事でいがみ合っていたことが良くわかります。

 ちなみに愛称の付け方にも法則がありました。
主な例です。

甲戦  (艦上も含む)軽戦闘機  風    例:烈風 陣風
乙戦  (陸上、局地)重戦闘機  雷、電  例:紫電 震電
夜間戦闘機            光    例:月光 極光
攻撃機 (雷撃機を含む)     山    例:天山 連山
爆撃機              星    例:彗星 流星
偵察機              雲    例:彩雲 瑞雲

 一方、陸軍の方は終戦まで変更はありません。
この命名法の伝統は、現在の自衛隊にも引き継がれていると思います。
例えば大戦初期の陸軍主力戦車は「97式中戦車 チハ」です。
陸軍は戦車には愛称を付けませんでした。
「チハ」は愛称ではなく、中戦車の「チ」とイロハの「ハ」、つまり3番目に製造した中戦車という意味です。
陸軍には、戦車は主力兵器ではなく、あくまでも歩兵を支援する兵器だという意識があったのでしょう。
陸上自衛隊の戦車も64式戦車に始まって、74式、90式、そして最新鋭の10式へと続きます。
 一方、航空自衛隊の戦闘機の方は、F― 86F「旭光」から始まって F―104J 「栄光」、そこから先は英語の愛称をそのまま使用となって、ファントム、イーグルと続きます。
旧陸軍ではなく、旧海軍航空隊の後継だという意識があるのだと思います。
終戦時、海軍航空隊は全力で米軍と戦い、消耗し尽くしました。
それに対し、陸軍航空隊は本土決戦に備えて相当数を温存していました。
当然ではあるのですが、陸軍は肩身が狭かったようです。
これも影響しているのかもしれません。
なお、航空自衛隊の最新鋭戦闘機、F―35A はなぜか愛称が広がらず、F―35で通用しています。
「ライトニング Ⅱ」が愛称なのですが。

 余談が長くなりました。
なお、以上の話は私の記憶ベースであり、史料的正確性を期したものではありません。
雑談だと思って、記憶違いは笑い飛ばしてください。
 では、本題の魁スピーカーの命名法です。
正式には、2式スピーカー「魁(さきがけ)」1a型 と名付けました。
最初の「2式」はもちろんわかりますね。
令和2年製作です。
そして愛称の「魁」です。
当時、高音質ではあっても皆目見当がつかない状態でしたが、ここから発展して行きたいという願いを込めて命名しました。
そして最後の「1a型」は海軍機とは逆です。
最初の1がユニットを表し、後ろのaがエンクロージャー(箱)の方を意味します。
ユニットにフォステクス M800を使い、箱に前半丼を使用しているのが1a型です。
箱の表示をアルファベットにしたのは、9回改良したら表示できなくなるからです。
 近日製作にかかるであろう(多分)次のスピーカーが完成した暁には、2式魁2d型という名前がつく予定です。
あれ? と思った人は鋭いです。
実は新しいユニットを採用する予定です。
特に金回りが良くなった訳ではありませんので、高級ユニットではありませんが。
まだ手元にありませんので、次回に発表予定です。


  次回  上に書いたとうりです。
      もしかしたら、次のスピーカーネタが入るかも。