明けで模型を走らせながら旅行の準備をすすめる。基本軽装なので大した荷物はないが
19時ぐらいに東京駅地下街散策し八重洲口のエクスプレスカレーで夕食。キーマカレーを注文、食べ始めは優しい味だが後でスパイスの香味が効いてくる。付け合わせのらっきょうなどもあっさりしつつ酸味がきいてくる。
ツンデレとはこのことか。
駅構内の本屋で立ち読みしつつエクセルシオールカフェで時間をつぶす。
21時50分ぐらいにバス乗り場へ向かう、関東近郊へのバス利用客と夜行バスの利用客で賑わいを見せている。かつて夜行列車の乗り場が賑わいを見せていたように・・・。
夜行列車が衰退したのも高コストな構造と硬直した運賃体系が大きく影響しているように見える。人件費の塊と言うのだろうか機動力ではバスに劣るうえ乗車券以外にも特急券、寝台券でコストがかかる。
バスは様々な停留所に止まることができるものの鉄道ではなかなか難しい、夜行バスの「萩エクスプレス号」でも東京と萩の定点輸送ではなく山口県内の岩国や徳山・山口宮野などで客を拾っており萩で降りる客は少ない。
鉄道の夜行列車も「点と点」ではなく線で結ぶ輸送体系ではあるが、経路の柔軟性ではバスに勝てないのだろう。
今回乗車したドリーム号は「プレミアムドリーム」の名を冠しており、通常の夜行バスとはグレードも違う。前回乗車のドリームなごや号と同じ三菱エアロキングだが座席幅は広く各座席ごとにコンセントを装備、夜行バスの名門に恥じぬ装備を有する。
乗客たちは一列に並び係員の検札を待つ。終了後乗り込み各々の席へと向かい旅仕度を行う。
定刻の22時20分になったが一向に動かない、どうやらチケット絡みのトラブルがあったようだ。指定された座席と券面の席番が一致しないとのこと、何はともあれ5分遅れの出発となった。私の前に座った2人組はひたすら空調がきかないことを気にかけていた、挙句の果てに降車ボタンまで押すとはw
バスは夜更けの始まる八重洲・日比谷界隈を走り霞が関インターより高速道路に入る。首都高速での渋滞がひどくなかなか進まない。バスは歓楽街と知られる六本木や渋谷の上を通過し東名高速方面へと向かう。
要塞のような外観の大橋JCTを過ぎた用賀あたりから流れるようになってきた。
勤務明けなのでしばし眠くなる。
目が覚めたらバスは止まっていた。足柄SAでの休憩、渋滞の影響で定刻より10分遅れの到着となるが発車は0時30分、その後の調整で遅れを取り戻す算段だろうか。
再度起きたのは海の上、携帯GPS機能で探ったところ桑名になるようだ。ということは金城埠頭の上を通過したのだろうか。なお再度目が覚めたのは第二名神の途中だった。
第二名神は2008年に現在の区間が開通したこともあり、全般的に新しい道路となる。従来の関ヶ原経由ではなく亀山・鈴鹿峠を経由する直線ルート、それ故に距離や所用時間の短縮、冬季の関ヶ原降雪の影響を受けずに済む。
信楽付近は遺跡の出土が数多く見られたとのこと。
瀬田東から先は従来の名神高速を通る。少しずつ夜は明けるが今日の天気は曇りなのだろう。
桂川PAでは多数のトラックがとまっている、大阪の手前で休憩というところか。
吹田付近で高速道路を下りる、左手に大阪モノレールの橋脚が確認できた。
千里ニュータウン停留所で降車扱いを行う、扉が開くと同時にクマゼミの合唱が車内にも響き渡る。関東では聞く機会が少ないせいか、これを聞くと西日本に来たことを実感させてくれる。
北大阪急行の桃山台駅入口が見え、バスは新御堂筋を快走する。進行方向右手に御堂筋線の電車が走るのだが夜行バスの性格上、カーテン締め切りのため見ることはできなかった。なお御堂筋線にはすでに新型電車30000系が緑木に搬入されているとのこと。
川幅が広く開放的な淀川を渡ると大阪駅も近い。雲の合間から朝日を拝むことができた。
梅田のバスターミナルに到着、場所は先日オープンした「大阪ステーションシティ」の商業施設「ルクア」直下にあたるところ。
「ルクア」は女性客が主なターゲットになっているようで、メンズ商品も扱うフロアに大きな女性専用トイレがあるそうだ。JR西日本の通勤型毎日終日女性専用車もほぼ同時期の実施だったな確か。
おなかへったので事前に調べておいた新阪急ホテル別館の1階で朝食バイキングを食べることに。メニューは白飯、味噌汁、デニッシュやサラダ、ウィンナーなどオーソドックスなものだがウィンナーはボイル、スクランブルエッグはしっかり味が付いていた。
ちなみに私が作ると100%炒り卵になってしまうのだが・・・。
途中に見えるヨドバシカメラ、建物の構造は秋葉原と似ているせいか既視感を覚える。関西の人間は逆に思うことだろう。
腹ごしらえをすませ阪神電車の乗り場へと向かう、大阪駅南側の歩道橋は街頭インタビューおなじみのところ。今ではすっかり少数派になった環状線103系が通過、体質改善車とユニット窓車の混成で少し前に作った韓国1000系もそんな感じである。
阪神電車の梅田駅は相も変わらず私がかつて住んでた頃の雰囲気に近い。阪神百貨店の地下フードコートは改装され小奇麗になってしまい残念だが色々食べられるのは変わらないのだろう。
阪神電車といえば甲子園の野球輸送や尼崎の競艇輸送だろう、彼ら向けの往復券売機も独自に用意されている。
止まっているのは山陽電車の直通特急姫路行き、5000系電車だった。梅田近辺の地下を抜けたら後は高架を快走する。
尼崎で近鉄電車の姿が見えた。阪神にとっては悲願の難波直通でもあり輸送形態を大きく変えた。なお前後の車庫や留置線では運用離脱した2000系の姿も見える。
武庫川駅は川をまたぐ珍しい構造の駅となっている。武庫川線の電車は基本7890系だが今日は7861形が止まっていた。今でこそ洗練された統一感のある電車が走る阪神だが、90年代初頭までは様々な屋根高さ・片開き両開きが混ざった野暮ったい電車であった。
武庫川線の電車はその時代を知る生き証人でもありその血を引き継いでいる。戦前辺りまで軍事関連の工廠が須崎にあったとのことで線路は国鉄線まで伸びていた。いまでは細長い土地が廃線跡として残っている。
鳴尾付近では西宮市で唯一となった地上区間を走り甲子園へと到着。つたの無くなった甲子園球場は初めて見る。
六甲山系が近くに感じられ、石屋あたりで地下に潜る。阪神電車に乗る機会は少なかったせいか結構早い段階で地下に入ることを忘れていた。
改良工事中の三宮に到着、隣のホームには近鉄LCカーが待機していた。山陽電車と近鉄電車、こうやって同じ空間に並ぶとは昔思わなかったが改めて考えると凄いことである。
今の阪神電車を担う新型車両
せんとくんの御尊顔を拝んだ後、地上へと登ってきた。
シティループの循環バスに乗る。今日は土曜日なのでガイドのおじいさんが色々案内していた。その後ろを阪急電車などが通過する。
初めに見て回る北野の異人館街は三宮よりやや北側、六甲山の山麓に位置する。神戸という街は海と山が近いため、平地の面積が少ない。かつての居留地は今の元町付近だったが市街地の発展に伴い現在の北野へと移ってきたようだ。
以下続く・・・。
19時ぐらいに東京駅地下街散策し八重洲口のエクスプレスカレーで夕食。キーマカレーを注文、食べ始めは優しい味だが後でスパイスの香味が効いてくる。付け合わせのらっきょうなどもあっさりしつつ酸味がきいてくる。
ツンデレとはこのことか。
駅構内の本屋で立ち読みしつつエクセルシオールカフェで時間をつぶす。
21時50分ぐらいにバス乗り場へ向かう、関東近郊へのバス利用客と夜行バスの利用客で賑わいを見せている。かつて夜行列車の乗り場が賑わいを見せていたように・・・。
夜行列車が衰退したのも高コストな構造と硬直した運賃体系が大きく影響しているように見える。人件費の塊と言うのだろうか機動力ではバスに劣るうえ乗車券以外にも特急券、寝台券でコストがかかる。
バスは様々な停留所に止まることができるものの鉄道ではなかなか難しい、夜行バスの「萩エクスプレス号」でも東京と萩の定点輸送ではなく山口県内の岩国や徳山・山口宮野などで客を拾っており萩で降りる客は少ない。
鉄道の夜行列車も「点と点」ではなく線で結ぶ輸送体系ではあるが、経路の柔軟性ではバスに勝てないのだろう。
今回乗車したドリーム号は「プレミアムドリーム」の名を冠しており、通常の夜行バスとはグレードも違う。前回乗車のドリームなごや号と同じ三菱エアロキングだが座席幅は広く各座席ごとにコンセントを装備、夜行バスの名門に恥じぬ装備を有する。
乗客たちは一列に並び係員の検札を待つ。終了後乗り込み各々の席へと向かい旅仕度を行う。
定刻の22時20分になったが一向に動かない、どうやらチケット絡みのトラブルがあったようだ。指定された座席と券面の席番が一致しないとのこと、何はともあれ5分遅れの出発となった。私の前に座った2人組はひたすら空調がきかないことを気にかけていた、挙句の果てに降車ボタンまで押すとはw
バスは夜更けの始まる八重洲・日比谷界隈を走り霞が関インターより高速道路に入る。首都高速での渋滞がひどくなかなか進まない。バスは歓楽街と知られる六本木や渋谷の上を通過し東名高速方面へと向かう。
要塞のような外観の大橋JCTを過ぎた用賀あたりから流れるようになってきた。
勤務明けなのでしばし眠くなる。
目が覚めたらバスは止まっていた。足柄SAでの休憩、渋滞の影響で定刻より10分遅れの到着となるが発車は0時30分、その後の調整で遅れを取り戻す算段だろうか。
再度起きたのは海の上、携帯GPS機能で探ったところ桑名になるようだ。ということは金城埠頭の上を通過したのだろうか。なお再度目が覚めたのは第二名神の途中だった。
第二名神は2008年に現在の区間が開通したこともあり、全般的に新しい道路となる。従来の関ヶ原経由ではなく亀山・鈴鹿峠を経由する直線ルート、それ故に距離や所用時間の短縮、冬季の関ヶ原降雪の影響を受けずに済む。
信楽付近は遺跡の出土が数多く見られたとのこと。
瀬田東から先は従来の名神高速を通る。少しずつ夜は明けるが今日の天気は曇りなのだろう。
桂川PAでは多数のトラックがとまっている、大阪の手前で休憩というところか。
吹田付近で高速道路を下りる、左手に大阪モノレールの橋脚が確認できた。
千里ニュータウン停留所で降車扱いを行う、扉が開くと同時にクマゼミの合唱が車内にも響き渡る。関東では聞く機会が少ないせいか、これを聞くと西日本に来たことを実感させてくれる。
北大阪急行の桃山台駅入口が見え、バスは新御堂筋を快走する。進行方向右手に御堂筋線の電車が走るのだが夜行バスの性格上、カーテン締め切りのため見ることはできなかった。なお御堂筋線にはすでに新型電車30000系が緑木に搬入されているとのこと。
川幅が広く開放的な淀川を渡ると大阪駅も近い。雲の合間から朝日を拝むことができた。
梅田のバスターミナルに到着、場所は先日オープンした「大阪ステーションシティ」の商業施設「ルクア」直下にあたるところ。
「ルクア」は女性客が主なターゲットになっているようで、メンズ商品も扱うフロアに大きな女性専用トイレがあるそうだ。JR西日本の通勤型毎日終日女性専用車もほぼ同時期の実施だったな確か。
おなかへったので事前に調べておいた新阪急ホテル別館の1階で朝食バイキングを食べることに。メニューは白飯、味噌汁、デニッシュやサラダ、ウィンナーなどオーソドックスなものだがウィンナーはボイル、スクランブルエッグはしっかり味が付いていた。
ちなみに私が作ると100%炒り卵になってしまうのだが・・・。
途中に見えるヨドバシカメラ、建物の構造は秋葉原と似ているせいか既視感を覚える。関西の人間は逆に思うことだろう。
腹ごしらえをすませ阪神電車の乗り場へと向かう、大阪駅南側の歩道橋は街頭インタビューおなじみのところ。今ではすっかり少数派になった環状線103系が通過、体質改善車とユニット窓車の混成で少し前に作った韓国1000系もそんな感じである。
阪神電車の梅田駅は相も変わらず私がかつて住んでた頃の雰囲気に近い。阪神百貨店の地下フードコートは改装され小奇麗になってしまい残念だが色々食べられるのは変わらないのだろう。
阪神電車といえば甲子園の野球輸送や尼崎の競艇輸送だろう、彼ら向けの往復券売機も独自に用意されている。
止まっているのは山陽電車の直通特急姫路行き、5000系電車だった。梅田近辺の地下を抜けたら後は高架を快走する。
尼崎で近鉄電車の姿が見えた。阪神にとっては悲願の難波直通でもあり輸送形態を大きく変えた。なお前後の車庫や留置線では運用離脱した2000系の姿も見える。
武庫川駅は川をまたぐ珍しい構造の駅となっている。武庫川線の電車は基本7890系だが今日は7861形が止まっていた。今でこそ洗練された統一感のある電車が走る阪神だが、90年代初頭までは様々な屋根高さ・片開き両開きが混ざった野暮ったい電車であった。
武庫川線の電車はその時代を知る生き証人でもありその血を引き継いでいる。戦前辺りまで軍事関連の工廠が須崎にあったとのことで線路は国鉄線まで伸びていた。いまでは細長い土地が廃線跡として残っている。
鳴尾付近では西宮市で唯一となった地上区間を走り甲子園へと到着。つたの無くなった甲子園球場は初めて見る。
六甲山系が近くに感じられ、石屋あたりで地下に潜る。阪神電車に乗る機会は少なかったせいか結構早い段階で地下に入ることを忘れていた。
改良工事中の三宮に到着、隣のホームには近鉄LCカーが待機していた。山陽電車と近鉄電車、こうやって同じ空間に並ぶとは昔思わなかったが改めて考えると凄いことである。
今の阪神電車を担う新型車両
せんとくんの御尊顔を拝んだ後、地上へと登ってきた。
シティループの循環バスに乗る。今日は土曜日なのでガイドのおじいさんが色々案内していた。その後ろを阪急電車などが通過する。
初めに見て回る北野の異人館街は三宮よりやや北側、六甲山の山麓に位置する。神戸という街は海と山が近いため、平地の面積が少ない。かつての居留地は今の元町付近だったが市街地の発展に伴い現在の北野へと移ってきたようだ。
以下続く・・・。