ほどほどに客の乗ったシティループのバスから「北野異人館前」の停留所で下車。周囲は洋館が並びここはどこだwと錯覚する。
坂の雰囲気などは私が住んでいた横浜とは似ているが、電線無かったりなどすっきりとしていて景観維持は神戸に軍配が上がる、と思えた。神戸の街は父親に連れられ何度も行っているが北野界隈に行った記憶が無い。もっとも当時小学生だった私には洋館よりも電車見ていた方が喜ぶのだろうけど・・・その点は今も変わらないか。
一方でこんな風景も見られる、和洋折衷というところだろうな。
バス停付近の階段を上り神戸市管理の洋館「ラインの館」を見て回る。
しゃれた小道具や外観に目がいきがちだが、建物の基本的な構造、外壁塗装の変遷、震災による建物の影響といったところまで解説があるのは見逃せない。同じ建物でも外壁塗装でその表情を大きく変えるものと改めて実感できた。
狭い路地の階段を上り少し歩くと「風見鶏の館」と「萌黄の館」へと到着する。
この風見鶏が館の象徴でもあろう。
学校の課題だろうか、中学生が写生に必死になっていた。
「風見鶏の館」は1970年代のNHKドラマに使用されたことがきっかけで一躍有名になった、今でも当時住んでいた方が存命だそうで。とはボランティアのガイドさん談。
「萌黄の館」は薄緑が目をひく外観、国鉄の103・113系の内装の様な・・・と考える私は末期。
海が望めるテラスは開放感があり落ち着く、またサッシの文様も興味深い。
敷地内には95年の震災で落下した煙突がそのまま置いてあった。
異人館でもっとも有名な「うろこの館」に向かう、他と比べるとやや高い位置にあるので結構歩く。
路地には親切にも矢印看板が出ていた、それに従って歩いてみたが・・・
何か山深くなってきた、しかも回りに人いないし
「ミサカ盛り」ならぬ「サンタ盛り」・・・?
やばい、道間違えた。クソ暑いのに戻るのか、と思ってふと横を見ると。
これを見るだけでも来た価値があったかもしれない。
引き返してもう1本別の路地に入ると難なく到着、しかしあの矢印は一体何だったんだろうか。と改めて思うのだった。
入場券と一緒に冷やしタオルを貰う、しかも凍っておりこれが暑い日にはたまらない。
一面うろこ文様の装飾が施された建物、かつて阪急の「ラガールカード」で絵柄になっていたが実物を見るのは初めてである。
出入り口の尖塔が目を引く。中に入ると陶器のオウムが出迎えてくれた。
ちなみに隣は併設されている美術館、中身は何とも味気ないのだが外観はなかなか似てる。
赤のカーベットと白の壁の対比が美しい。
徒歩で坂を下り街中散策、異人館は見学可能なモノのほか今でも住居として使われているモノも少なくない。
結婚式の会場としても使われている模様。
異人館だけでなく白が似合うおしゃれな建物、色とりどりのおいしそうなパン屋などが見られた。
このあたりの風景は横浜の山下公園あたりに似ている。
神戸北野ホテル、ここでティータイムができると聞いてやって来たはいいが本日は結婚式開催のため通常営業なしとのこと。
少々残念だがこればかりは仕方がない。2人の幸せな門出になるといいな。
シティループでポートタワーの方まで向かう、道中爆睡してました。
「神戸震災メモリアルパーク」というものができていた。95年の震災で破損した港の一部をそのまま残しているもの。私自身95年は西宮に住んでおりあの地震を体験した。
幸いなことに自宅は崩壊しなかったが近所の一軒家が完全に崩壊していたりなど、当時小学生だった私には驚きを隠せなかった。ニュースで震源に近い神戸市街が地獄絵図になっていることも知った。
今でこそ震災から16年、今年の3月発生の東北地震から5カ月弱、直接的な大被害を受けないと記憶が風化するようだがこれについては忘れてはいけない。
また東北の地震は現在進行形で被害が発生していることからも、関東に住む私にとっては他人ごとではなく常に意識しておくことが大事だと思った。
夏の空は入道雲が目印、港から見えるこの姿は昔とはあまり変わらないように思える。
ポートタワー内のレストランで遅い昼食をとる、しかし神戸は洋食の街ですな。
最上階から神戸市街を望む。
川崎重工
今日3回目の結婚式
大阪方面
いろんな電車が撮れた
キハ189系はまかぜの現物を見れたのは今回が初めてかもしれない、ポートライナーは新型に変わっていた。
かつて中公園あたりに行った時は白の車体に緑帯というイメージが強かったのだが、時代を感じる。
最近見られるのは透明強化ガラスの吹き抜けである。東京タワーなどにもあるのだが、こういった地面がはっきり見える高さの方が逆に怖いところはある。
家族連れやカップルの姿がちょこちょこ見られた。
バスに乗り再度三宮駅へと向かう。今日の宿の夕食に間に合わせるため若干早め。
三宮あら新開地までは阪急7000系の特急、と言っても三宮より先は各駅に止まるのだが・・・。私にとって三宮から先は連れて行ってもらった記憶が無い。行くとしたら遠足で月見山の方へ行ったくらいで、あまり馴染みの無いところでもある。
阪急神戸線が6両編成で須磨浦公園行ったのも今は昔、節電ダイヤで普通電車は6両で走っているようだが。
花隈で阪神電車の遅れがあるとのことで一時停車、近鉄電車との直通開始以降遅れが出やすくなったそうだ。
高速神戸では阪神青胴車と連絡をとり新開地到着。
新開地では神戸電鉄に乗り換える、1100系の4両編成が待機していた。
その横には粟生方面の5000系、出発前には2ドアの1100系も入線。バリエーションは思いのほか多く、非冷房の編成もまだ残っているだろうか?
神戸電鉄にはなじみが無く、乗ったのは今回が初。
急勾配が多いとは聞いていたが本当にひたすら登っている印象を受けた。その急勾配が故に速度向上や新車導入がなかなかうまくいかないほか利用客流出もなかなか歯止めがかからないのであろうか。
しかしその対策が4両編成で平日ほぼ終日女性専用車というのはお粗末すぎるし酷過ぎる。はじめのうちは平日終日導入だったのだが余りにも混雑が偏り過ぎたので早朝の時間は取りやめたそうだ。
この策に関してはJR西と神戸市営・北神が毎日終日実施している。冗談抜きでいい加減にしてもらいたいものだ。
菊水山駅付近で唯一の新型6000系とすれ違い、鈴蘭台で車庫の留置車群を確認。箕谷で下車する。
「緑多くてきれいだろここ、これでも神戸市なんだぜ」というセリフが頭に浮かんできた。西宮にしろ神戸にしろ六甲山系あたりは今でも多くの自然が残っている。
今日の夕食は神戸牛を使ったもの、温泉に入り旅の疲れをいやした。
坂の雰囲気などは私が住んでいた横浜とは似ているが、電線無かったりなどすっきりとしていて景観維持は神戸に軍配が上がる、と思えた。神戸の街は父親に連れられ何度も行っているが北野界隈に行った記憶が無い。もっとも当時小学生だった私には洋館よりも電車見ていた方が喜ぶのだろうけど・・・その点は今も変わらないか。
一方でこんな風景も見られる、和洋折衷というところだろうな。
バス停付近の階段を上り神戸市管理の洋館「ラインの館」を見て回る。
しゃれた小道具や外観に目がいきがちだが、建物の基本的な構造、外壁塗装の変遷、震災による建物の影響といったところまで解説があるのは見逃せない。同じ建物でも外壁塗装でその表情を大きく変えるものと改めて実感できた。
狭い路地の階段を上り少し歩くと「風見鶏の館」と「萌黄の館」へと到着する。
この風見鶏が館の象徴でもあろう。
学校の課題だろうか、中学生が写生に必死になっていた。
「風見鶏の館」は1970年代のNHKドラマに使用されたことがきっかけで一躍有名になった、今でも当時住んでいた方が存命だそうで。とはボランティアのガイドさん談。
「萌黄の館」は薄緑が目をひく外観、国鉄の103・113系の内装の様な・・・と考える私は末期。
海が望めるテラスは開放感があり落ち着く、またサッシの文様も興味深い。
敷地内には95年の震災で落下した煙突がそのまま置いてあった。
異人館でもっとも有名な「うろこの館」に向かう、他と比べるとやや高い位置にあるので結構歩く。
路地には親切にも矢印看板が出ていた、それに従って歩いてみたが・・・
何か山深くなってきた、しかも回りに人いないし
「ミサカ盛り」ならぬ「サンタ盛り」・・・?
やばい、道間違えた。クソ暑いのに戻るのか、と思ってふと横を見ると。
これを見るだけでも来た価値があったかもしれない。
引き返してもう1本別の路地に入ると難なく到着、しかしあの矢印は一体何だったんだろうか。と改めて思うのだった。
入場券と一緒に冷やしタオルを貰う、しかも凍っておりこれが暑い日にはたまらない。
一面うろこ文様の装飾が施された建物、かつて阪急の「ラガールカード」で絵柄になっていたが実物を見るのは初めてである。
出入り口の尖塔が目を引く。中に入ると陶器のオウムが出迎えてくれた。
ちなみに隣は併設されている美術館、中身は何とも味気ないのだが外観はなかなか似てる。
赤のカーベットと白の壁の対比が美しい。
徒歩で坂を下り街中散策、異人館は見学可能なモノのほか今でも住居として使われているモノも少なくない。
結婚式の会場としても使われている模様。
異人館だけでなく白が似合うおしゃれな建物、色とりどりのおいしそうなパン屋などが見られた。
このあたりの風景は横浜の山下公園あたりに似ている。
神戸北野ホテル、ここでティータイムができると聞いてやって来たはいいが本日は結婚式開催のため通常営業なしとのこと。
少々残念だがこればかりは仕方がない。2人の幸せな門出になるといいな。
シティループでポートタワーの方まで向かう、道中爆睡してました。
「神戸震災メモリアルパーク」というものができていた。95年の震災で破損した港の一部をそのまま残しているもの。私自身95年は西宮に住んでおりあの地震を体験した。
幸いなことに自宅は崩壊しなかったが近所の一軒家が完全に崩壊していたりなど、当時小学生だった私には驚きを隠せなかった。ニュースで震源に近い神戸市街が地獄絵図になっていることも知った。
今でこそ震災から16年、今年の3月発生の東北地震から5カ月弱、直接的な大被害を受けないと記憶が風化するようだがこれについては忘れてはいけない。
また東北の地震は現在進行形で被害が発生していることからも、関東に住む私にとっては他人ごとではなく常に意識しておくことが大事だと思った。
夏の空は入道雲が目印、港から見えるこの姿は昔とはあまり変わらないように思える。
ポートタワー内のレストランで遅い昼食をとる、しかし神戸は洋食の街ですな。
最上階から神戸市街を望む。
川崎重工
今日3回目の結婚式
大阪方面
いろんな電車が撮れた
キハ189系はまかぜの現物を見れたのは今回が初めてかもしれない、ポートライナーは新型に変わっていた。
かつて中公園あたりに行った時は白の車体に緑帯というイメージが強かったのだが、時代を感じる。
最近見られるのは透明強化ガラスの吹き抜けである。東京タワーなどにもあるのだが、こういった地面がはっきり見える高さの方が逆に怖いところはある。
家族連れやカップルの姿がちょこちょこ見られた。
バスに乗り再度三宮駅へと向かう。今日の宿の夕食に間に合わせるため若干早め。
三宮あら新開地までは阪急7000系の特急、と言っても三宮より先は各駅に止まるのだが・・・。私にとって三宮から先は連れて行ってもらった記憶が無い。行くとしたら遠足で月見山の方へ行ったくらいで、あまり馴染みの無いところでもある。
阪急神戸線が6両編成で須磨浦公園行ったのも今は昔、節電ダイヤで普通電車は6両で走っているようだが。
花隈で阪神電車の遅れがあるとのことで一時停車、近鉄電車との直通開始以降遅れが出やすくなったそうだ。
高速神戸では阪神青胴車と連絡をとり新開地到着。
新開地では神戸電鉄に乗り換える、1100系の4両編成が待機していた。
その横には粟生方面の5000系、出発前には2ドアの1100系も入線。バリエーションは思いのほか多く、非冷房の編成もまだ残っているだろうか?
神戸電鉄にはなじみが無く、乗ったのは今回が初。
急勾配が多いとは聞いていたが本当にひたすら登っている印象を受けた。その急勾配が故に速度向上や新車導入がなかなかうまくいかないほか利用客流出もなかなか歯止めがかからないのであろうか。
しかしその対策が4両編成で平日ほぼ終日女性専用車というのはお粗末すぎるし酷過ぎる。はじめのうちは平日終日導入だったのだが余りにも混雑が偏り過ぎたので早朝の時間は取りやめたそうだ。
この策に関してはJR西と神戸市営・北神が毎日終日実施している。冗談抜きでいい加減にしてもらいたいものだ。
菊水山駅付近で唯一の新型6000系とすれ違い、鈴蘭台で車庫の留置車群を確認。箕谷で下車する。
「緑多くてきれいだろここ、これでも神戸市なんだぜ」というセリフが頭に浮かんできた。西宮にしろ神戸にしろ六甲山系あたりは今でも多くの自然が残っている。
今日の夕食は神戸牛を使ったもの、温泉に入り旅の疲れをいやした。