子供のころ、汽車で数駅のところに銀映という名の映画館があった。
ある友達がそこで「黄昏」という映画を見て面白かったといっていたことを思い出した。
何が面白かったかは覚えていない。でも映画好きの少年で、「炎のランナー」とか、「ブリキの太鼓」とか
当時の中学生はまったく興味を示さないような映画をいつもみていて、当時彼と友達だったことを少し誇りに
思いながらも、1/100のバトロイドバルキリーも買えず、少し尊敬の念を抱いていたことを思い出す。
どんな映画だったかなどは全く記憶になく、今までキーワードを覚えているということはそれなりにインパクトがあった
ということだろう。その友達は、中学のころから、ベートーベンの第九のレコードを買ったり、
平凡パンチを買うような、今思うと少しませた子供だった。阿部公房の「砂の女」を
買おうとしたときも、受験なのにそんな本読んでいていていいのかと偶然あった本屋で指摘された
ことがついこの間のように思い出されるのが不思議だ。
大人になってから、少しお金に余裕ができてから、「ブリキの太鼓」も「黄昏」も見た。「ブリキの太鼓」は大人なることを何かの契機でやめた子供の成長を描いた映画で、「黄昏」じゃジェーンフォンダとヘンリーフォンダが親子共演をしていて、もともとあった親子の確執が大人になって向き合うことで少しずつ解消されるという心温まる内容だったような気がするが、断言はできない。
しかしそのころから「ドライビングミスデイジー」のような、もともと偏屈な老人が人と触れ合うことによって
考え方を変えるといった優しい映画を好むようになった気がする。
何がいいたいかというとそういうませた友達のすくなからず影響をうけて今の自分がいるということだ。
その友達が今どうなったかは残念ながら知らない。