okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

5月26日

2012-05-26 23:19:43 | 日記
  5月26日
  曇り、晴れ。午前6時の屋外気温は18℃であった。今日はTo子さんが団地内の複数の住人と一緒に沼田市の山に植樹に行くというSi区の植林ツアーに参加することになっていて、To子さんは午前6時半頃に団地内の指定された場所に出掛けて行ったが、そこからSi区役所近くのバス乗り場まで歩いて行くことになっているのだそうである。

 私は寝転んでTVニュースショウ番組をみたりしながら午前中を過ごした後に、午後はやはり寝転んで相棒というTV番組をみて過ごした。夕方、高田馬場駅近くまで歩いて行き、記録済みコンパクトディスクを借りて来た。2時間後に記録済みコンパクトディスクを返しに出掛けたが途中でCDケース内に入っていた説明書を入れ忘れていたことを思い出したので家に戻ったら、To子さんが帰宅していた。

 私はCDケース内に入っていた説明書を探し出して急いでバス停に行く。都合良くバスが来たので それに乗って高田馬場までいき、記録済みCDを返してからバスに乗って戻ってきた。To子さんは沼田への植林ツアーの様子を話してくれた。今日の植林ツアーではミズナラ 栗の苗木を2500本ほど植えてきたとのことだった。

 何でもゴルフ場だった芝生に穴を掘ってミズナラ 栗 の苗木を飢える作業をしてきたのだそうだが、芝生の根がはっていたので大変だったとのことだった。その話を聞きながら私は68年前の14歳のときに、学徒動員で山形県の神町にあった林檎畑を海軍の飛行場に作り替える土木作業に従事したときのことを思い浮かべていた。

 大東亜戦争当時の日本の土木工事は つるはし と シャベル モッコ マングワ ぐらいの道具で行なわれていたので工事は遅々として進まなかった。その頃の敵国の米国では大型の土木機械を駆使して飛行場の建設などは朝飯前だったことを敗戦後に聞き及んで、日本が米国に負けたのは当然だったと納得したことも思い出した。

 夜、日本とロシアとのバレーボールの試合が行なわれたが日本は3-0で負けてしまった。 

  3対0 ストレート負けの 対ロシア オリンピックへ 出場険し   徘(徊)人 okinatchi