TVで桂由美の軌跡が紹介されていました。日本では結婚式といえば和装しかなかった時代に、パリ留学中にウェディングドレスをみてこれを日本の女性たちのために日本に持ち込もうと思い立ち、市場を創ってきた人です。母親も一代で服飾専門学校を立ち上げた方で、ここでもやはり親の生き方が影響を及ぼしているようでした。
日本に戻って百貨店に売り込みに行ったものの和装とカニバルからという理由で取り上げてもらえず、昭和39年に日本初のブライダル専門店を赤坂に開設、日本初のブライダルファッションショーも開催。その頃は月3着ほどの売上で学校講師で食いつないでいたそうです。
思いは強く、母の支援もあって、4つの打ち手を打ったとのこと。
①日本人に合ったデザインに(ウエストラインを上に)
②オートクチュール(既製品)を用意:OLが1か月分のお給料で買えるように
③和装と洋装両方のブライダルへと啓蒙=市場の創造
④総工費4億円の乃木坂のサロンを広告塔に
ダイアナ妃の結婚式も後押しして、ドレスで結婚式・披露宴をあげる人たちが徐々に増え、ブランドを確立していったとのこと。
昭和39年といえば、両親が結婚した年。和装に加えてウェディングドレスの写真もみたような記憶があります。何の気なしに昔は見ていたけど、当時はかなり時代の先端をいっていたのでしょうか。
桂由美さんはドレスのイメージとはうってかわって貫禄のある方ですが、女性起業家の走りだったんだなあ、なんて思いながら、TVをみていました。
日本に戻って百貨店に売り込みに行ったものの和装とカニバルからという理由で取り上げてもらえず、昭和39年に日本初のブライダル専門店を赤坂に開設、日本初のブライダルファッションショーも開催。その頃は月3着ほどの売上で学校講師で食いつないでいたそうです。
思いは強く、母の支援もあって、4つの打ち手を打ったとのこと。
①日本人に合ったデザインに(ウエストラインを上に)
②オートクチュール(既製品)を用意:OLが1か月分のお給料で買えるように
③和装と洋装両方のブライダルへと啓蒙=市場の創造
④総工費4億円の乃木坂のサロンを広告塔に
ダイアナ妃の結婚式も後押しして、ドレスで結婚式・披露宴をあげる人たちが徐々に増え、ブランドを確立していったとのこと。
昭和39年といえば、両親が結婚した年。和装に加えてウェディングドレスの写真もみたような記憶があります。何の気なしに昔は見ていたけど、当時はかなり時代の先端をいっていたのでしょうか。
桂由美さんはドレスのイメージとはうってかわって貫禄のある方ですが、女性起業家の走りだったんだなあ、なんて思いながら、TVをみていました。