ねるまえとねおき

ねるまえみたいにいろいろ考える自分と、ねおきみたいになんもかんがえない自分の思ったことを、思いついたときにかきます。

思いやり。

2006-07-04 00:45:23 | Weblog
山のいいとこは山以外の普段ゆっくり考えられへんことも考えられることやと思う。歩きながらとか、道中とか。
今回もいろいろ考えました。

「思いやり」について。
なんかふとしたことから思いやりっていうのが話題になってんけど、思いやりってよく考えたらなんなんやろなぁって思った。

思いやろうと思って思いやるのは思いやりなんかな?とか、色々。

なんかさ、思いやりで他人を助けるのってどんだけ綺麗にゆっても、どっかで自分を満たす部分があると思うねんね。完全に、ほんまにすべてをその人のためにってできる人は、僕の物差しが小さいから知らんだけかもしらんねんけど、ほとんどいないと思う。
例えば相手に感謝されたいとかいいように思ってもらいたいとかさ。
まったく思わんと、思いやれることってできるんかな?って考えた。

で、結局結論は、一部自分を満足させるために思いやることって絶対あると思うってこと。でも、むしろこっちのほうが重要やと思うねんけどな、これはなにもネガティブなとらえ方じゃなくて、そうやって思いやっても結果だけ見れば困ってる人を助けてあげれてるわけやから、全然いいんじゃないかと思うんよ。自分のこと考えながら人を思いやっても。

死んだおばぁちゃんが昔ゆってた。
「人が困ってたらその人助けたげなさい。誰かやらなあかんことがほったらかしになってたらあんたがやってあげなさい。あんたがそうやって困った人助けたり、みんなのために働いたりした分は、神様がしっかり数えててくれはって、いつかあんたに全部返してくれはる。もしかしたら、もうだれかに知らんうちにいっぱい助けられてて、あんた借金してるかもわからへんで。」

みんながこんな風に考えたら、世界はもっと幸せにまわるかもね。

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1 コメント

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月1「思いやり」自習 (すみれ)
2006-07-04 16:06:43
高校時代の恩師は私が北海道に旅立つ時こう言って送り出してくれました。

「まだあなたは視野が狭いところがあります。この4年間の武者修行で親に対する、恋人に対する、友に対する・・・人に対する思いやりの心を学んできてください。」



親以外で、本気で自分を叱ってくれた唯一の人物です。「思いやり」を考える時、いつもこの先生を思い出します。



おこちゃんの言うように、自分を満たしたいっていう思いやりの原動力も確かにあるだろうね。完全に無私なボランティアは存在するのかみたいな議論と似てるね。



うまく言えないけど、確実なのは、自分はたくさんの人の思いやりを貰って、今ここに存在しているということ。借金をしているということ。誰かにそれを返しつつ生きていくということ。



もうすぐ20歳。人を思いやれる大人になれるかの瀬戸際ですな。



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