自分たちらしい戦い方
サッカーのアイデンティティ
サッカーのアイデンティティとは何か?
それは、そのチームや国の試行錯誤の中で、
選手、監督、サポーターによって育てられてきた文化である。
とにかく勝つためであれば、
どんな手段も厭わないというのも一つのスタイルだし、
ただ勝つだけではなく、
相手チームのファンでさえも魅了するようなサッカーで勝つ、
というのも一つのスタイルだ。
何とか一点をもぎ取って、後はとにかく守り切るサッカーもあれば、
3点取られても、4点取って勝てばいいというサッカーもある。
もちろん相手がいてのサッカーだから、
相手に合わせてこちらの戦い方もある程度はアレンジする必要がある。
毎年降格争いをするようなチームが
レアルマドリード相手に5点とりに行くサッカーをすれば、
見るも無残な結果になることは容易に想像がつく。
また、世界のサッカーは常に進化しているので、
その時代時代に流行のスタイルや戦い方が存在する。
その意味では、時に自分らしさを殺してでも勝つ(もしくは負けない)
サッカーをしなければならない試合もあるし、
自分たちのサッカーも時代に合わせて常に進化し、
変化させていくかなければならない。
でもそれはすべて、「自分たちのサッカー」があってこその話だ。
そのチームの資金力、選手層、
ナショナルチームであれば国民の身体的、精神的特徴を最大限に活かして、
どういうサッカーをすれば、自分たちは勝つ確率をより高められるのか、
また観ている、応援してくれるサポーターを魅了できるのか。
監督、選手、フロントを含めて、
どのようなサッカーが自分たちらしいのかを真剣に考え、
トライ&エラーを繰り返しながら追求していかなければならない。
またサポーターも、ただ応援するだけでなく、
どういうサッカーを望んでいるのかの意思表示して
選手や監督に伝える必要がある。
例えファールを犯したとしても、
相手の素早いカウンターの芽を摘んだ選手には
「よくやった」と拍手を送るべきだし、
リスクを恐れてバックラインでパスを回しているだけのチームには
「それではダメだと」ブーイングを浴びせる必要がある。
そのような声援があると、
ピッチで戦う選手たちは、これでいいんだとかこれじゃだめだとか、
判断できるようになってくる。
そうやってチームの「らしさ」が固まってくると、
例え選手が入れ替わろうと、監督が変わろうと、
基本の部分では同じ、自分たちらしいサッカーができるようになってくる。
前線からしつこく、相手が嫌がるぐらい激しくプレスをかけ、
ボールを奪ったら細かいパスをつなぎながら手数をかけずにゴールを目指す。
ボールを持たされる展開であっても、勇気をもって縦にボールを入れ、
相手のゴールに近いところでプレーする時間を増やす。
体格や身体能力でどうしても劣ってしまう日本が目指すべきサッカーの片鱗と現実が、
今回のコロンビア戦では見られたと思う。
今後、日本のサッカー、自分たちのサッカーはどうあるべきか。
これを確認するための現在地に石を置けたのは、
今回のワールドカップの最大の収穫だったのかもしれない。
そして日本以外の国の人たちも、
「日本といえばこういうサッカー」とイメージできるくらい日本のスタイルが確立し、
そのスタイルをベースに強豪国にも真剣勝負の場で勝てるようになれば、
いよいよW杯優勝も夢ではなくなってくるのかもしれない。
そしてこれは、何もサッカーに限ったことではない。
日常の生活の中で、自分らしさとか、自分たちの組織らしさとか、
色々な所に適応できる考え方だと思う。
うん、やっぱサッカーのこういうところが好きだ。