野叟解嘲(やそうかいとう)ー町医者の言い訳ー

老医師が、自ら患者となった体験から様々な症状を記録。その他、日頃、感じていることや考えていることを語ります。

トリアージ

2024年05月13日 | 日記

前回投稿の最後にトリアージについて触れました。それについて、付け足しです。

東日本大震災の後、1年ほどしてから、仙台市に住む先輩を訪ねる機会がありました。「震災の時は大変でしたでしょう」と言葉をかけたのですが、幸い先輩のところは停電が少し長引いて、MRIのクェンチングが心配されただけで、大したことはなかったとのこと。しかし、その後の話に考えさせられました。

年を取ったとは言え、医師の端くれとして、何か災害現場の役に立ちたいとDMAT(JMAT?)にお手伝いを申し出たそうですが「開業医の先生方は、死体検案でもしてください」と言われたそうで、いたくプライドを傷つけられたと憤慨しておられました。検案も大事なことではありますし、ロートル医師は救急現場では役に立たないのかもしれませんが、もう少し年寄りの利用の仕方を考えてもらいたいと思いました。ただし、あの震災の際には、ほとんど津波による死者がほとんどで、DMATなどの活躍場面は少なかったと聞いておりますので、止むを得なかったと思われますが、一言何か付け加えていただいていたら、先輩も憤慨せずに済んだだろうと考えています。

さて、大災害などの場面でトリアージが行われるわけですが、バリバリの現役救急医師にはトリアージ後、助かる命に全力を注入していただきたいと思います。一方で、処置なしとされた方達にも、最後まで寄り添う医療関係者が必要だと思います。そのようなところに年寄りを利用していただきたいと思うのです。中田力先生は、その著書「穆如清風」の中で「医師は犬にならなければならない」とおっしゃっています。死に行く人の傍らで、犬のように黙って寄り添うということです。医療は万能ではなく、患者の死を見送ることは少なくありません。そういう場面では年寄りが役に立てると思うのですが、如何でしょうか?


自然についての考察 ー 続き ー

2024年04月29日 | 日記

投稿が、ながらく途切れてしまいました。使用中のPCが突然使用不能になってしまい、修復を試みたのですが、できませんでした。

改めて、「自然」ということについて考え続けます。

高校生の頃、哲学好きの友人から質問されました。「目の前に、怪我人が二人いる。一人は重傷でどんなに頑張っても助かりそうにない。もう一人は軽傷だがすぐに処置をしなければ、やはり命が危いと思われる。君はどちらから治療するか?」ほとんど迷うことなく、軽傷の方から治療すると答えました。恐らく皆さんも同様に答えるのではないかと想像します。実際、現在の救急医療の現場では「トアージ」が行われ、救命の可能性が高い患者を優先するように指示されています。さて、友人は私の答えに対して「君の考え方は、アメリカンナイズされている。命を数で測っている。東洋の考え方では、より重い方から治療に取り掛かる。」というのです。「君は、重傷な方から治療すると、軽傷な方まで一度に二人の命を失うことになるだろうが、軽傷者から治療すれば一人の命は助かると考えた。二人よりは一人が良いと、命を数としてとらえている。東洋の考え方は、今にも死にそうな人間に手を差し伸べるのが「自然」だ。」というのです。

どうでしょう?

昔テレビで見た映画で、海棠尊氏原作の「ジェネラル・ルージュの凱旋」の最終盤、大きな工場で事故が発生し、多数のけが人が病院に搬送されて、「トリアージ」されるシーンがあります。そこで重症な患者を診た医師が「措置の施しようがない」として、縋る家族と患者を残して立ち去ります。それに対して、家族が何もしてもらえないのかと叫ぶのです。映画の本筋とは関係ないシーンでサラリと過ぎた印象を受けましたが、私は此処に原作者の気持が現れているのではないかと感じました(原作は読んでいませんが)。

現実問題として、「トリアージ」は致し方ないと思うのですが、かつての友人が追加した「見捨てられる重傷患者の気持ちを考えたら、何もしないということは考えられないじゃないか」という言葉を思い出しました。救急の現場で働く中堅から若手の医師たちにはピンと来ないかもしれませんが、年老いて死が身近に迫りつつあるものとして、「どうしようもない」として見捨てられる重傷者の気持がわかる気がするのです。

これは永遠の課題でしょう。さらにこのことについて次回以降に書いてみます。


自然とは?

2024年01月28日 | 日記

前回の投稿で、「変わっていくこと」を含めて「自然」と考えるべきではないかと言いました。この「自然」の解釈が人により違っていることは、普段、意識することは無いと思います。学生の頃ですから、随分と昔の話ですが、生物学の授業がつまらなくて(ほとんどの科目がつまらないと思っていましたが)、教科書をひたすら読んでいました。授業では取り上げなかった「生態学」の項が特に興味を引きました。そこから山登りも囓っていたので、「登山者のための生態学」という単行本も購入して読みふけりました。そこから又断片的な話になり恐縮ですが、少し意見を述べます。

「自然」の風景といったとき、皆さんはどんな風景を思い起こすでしょうか。私などは里山の景色が思い起こされます。都会の人の中には、田園風景を見ても自然だと思うかも知れません。しかし、見方によっては、田畑は人間が作り出したものなので自然とは呼べないと考える人も少なくないでしょう。またある人は山間を走る道路を囲む白樺林を連想するかも知れません。しかし、白樺は基本的に日当たりの良いところでないと生育しませんので、その美しい白樺林を維持するには人の手で下草を刈り、他の樹木が伸びてこないように手を入れないと維持出来ません。どこまで人が関わった物を「自然」と呼んだらいいのでしょう?

数年前、NHKテレビの知床の世界自然遺産についてのドキュメンタリー番組で、世界自然遺産を認定する委員達が、地元の漁師達が漁のために作った番屋と、そこにいくための道路(特に橋)を、世界自然遺産として好ましくない。撤去するべきだと主張していることが紹介されていました。この意見に対して、漁師達は自分たちも含めて自然なのだと言っていたのが非常に印象的でした。

結局、人の手が加わっても、人が関わらないように放置しておいても、すべての物は変化していく物であり、やはり変化も叉「自然」なのだと考えるべきだと思うのですがどうでしょう?


生物多様性

2024年01月03日 | 日記

この数年でしょうか、生物多様性云々という話を目にしたり、耳にしたりします。かつて、私は非常に長い目で見ると、生物多様性は失われるに決まっていると考えていました。というのは、浅はかにもエントロピー増大の法則に従えば、すべての物はいずれ均一になると考えていたからです。たとえば、人類で言えば、もしも人類が永続できればですが、最終的には中国系の人間ばかりになるのではないかなどと思ったのです(僅かばかりの海外生活で、どこへ行っても中国系の人達がいるという経験から先入観を持ってしまいました)。或いは、マーケッティングの神様のような人が、「行き過ぎた競争の結果、商品はどれも似たような物になってしまう」と言った言葉が自然科学の世界でも通じるのではないかと思ったりしたのです。

しかし、そもそも地球上の環境は一様ではなく、自然の多様性は変わりようがなさそうに思えてきました。あらゆる生物は、様々な方法で種の繁栄を図るべく移動します。必ずしも自らの意志によるとは限りませんが。移動した先の在来種との交雑や捕食などにより、元々の在来種が排除されてしまうかも知れませんが、多様であり続けることは容易に想像できます。たとえば、気温に関しては極地と赤道周辺地域とでは同じにはなり得ません。先日、ヒューマニエンスというNHKのテレビ番組で「土」についての特集がありました。地球上には僅かしか「土」が無いのですが、いろいろな理由で土の成分、性質は場所により異なっていて、それらが均一になることも考えられません。したがって、その上(あるいは中)に住んでいる生き物も均一にはならない訳です。

一方、生物多様性の重要性を強調するあまり、外来種の駆除、在来種の保護に力を入れるのは如何なものかとは考えます。動植物は、種の繁栄を目指して、互いの力を借りて(利用して)生息域を広げようとします。この動きは止めようが無いでしょう。その結果、移動先で捕食や交雑により、在来種が絶滅することもあり得る(どちらかといえば可能性が高い)のではないでしょうか。従って、人間の力で人間の望むような多様性の維持は出来ないと考えるべきだと思いますが如何でしょうか。人の力で現在の状況を持続させようと思うならば、人や物の移動は制限する必要があります。飛行機、船舶によるグローバルな移動に伴って、小さな動植物も移動します。人間が意図的に動かす場合ばかりでなく、意図しないで運んでしまうことがあります。コンテナに付着したり、紛れ込んだり、船ならば船底にへばり付いて移動することもあるようです。このような動きまでは止めようが無いでしょう。大きな影響は無いと考える人も多いかも知れませんが、いずれにしろ、現状を意図的に維持することは出来ません。変化していくことも含めて「自然」と捉えるべきでは無いでしょうか。


寿命、その続き ー定年について

2023年12月02日 | 日記

手元に、「平静の心」(医学書院)という本があります。医学関係の方なら、ご存知のウィリアム・オスラー博士の講演集です。この中で1905年に博士がジョンズ・ホプキンズ大学を退職する時の講演があります。55歳の時のものですが、この中で持論として、六十歳以上の人間の無用論ということを言っておられます。かなり過激な話で、アメリカ医学会に大変な反響を引き起こし、後日、別の論文を書いたそうですが、少し紹介させていただきます。

講演の中で、17世紀、John Donne による自殺についての小冊子から、「ある国の法律では、60歳の人たちは橋から突き落とされ、また古代ローマでは、六十歳代の人達には選挙権が与えられず、議会へは門を通っていくことから、彼らは入門を拒否されし者と呼ばれた」ということを紹介しています。橋から突き落とすところは、日本なら、「姥捨て山」、「楢山節考」を思い起こします。さらに「定年の時期」という小説では、六十歳で退職した教授は一年の思索の後、薬で静かにこの世を去るということも紹介しています。博士によれば、まもなくその年齢に近づかんとし、さらに七十、八十の高齢者が見舞われる悲惨さを研究してきた者には、このような構想が計り知れない程の利益をもたらすことは明らかであるといいます。さらに手厳しく、七十代、八十代の人達が無意識に、かつ何の罰を受けることなく流し続ける実害の数々を考えるといっそう明らかであるとまで言います。更にさらに、世界の歴史を見ると、大部分の弊害は六十歳代の人達に着せられると言ってよいと。オスラー博士の時代、すでに「老害」の考えがあったことに驚きます。

さて、実際に六十歳代半ばに入った小生ですが、オスラー博士の「ほとんどの(中略)下手な説教や講演など、大部分はこの人達の手によるものだ。」と言い切る言葉に、思わずキーボードを叩く手を止めたくなるのですが、あえて書きます。

現代でも定年の年齢を過ぎた自分は、日々、「確かに、定年退職には意味がある」と、しみじみ感じさせられています。何かというと、体力の衰え、体のアチコチに現れる病の兆候、仕事こなす能力の低下等々、実感しているからです。60歳を過ぎたら、もう仕事はしなくてもよい筈なのです。ただ、困るのは、多くの男性は、仕事を離れた途端に、やることが無くなり、粗大ゴミのようになってしまうことが多いことです。このようなことを言うと男女差別云々と批判されますが、実状を述べるだけで、何かを主張する者ではないことを言い訳しておきます。一方、女性は高齢になっても家庭内でいろいろな役割が果たせており、オスラー博士も女性は例外として「別の提案」をしたいと述べています。60歳を超えた女性の同性に及ぼす影響はきわめて大きいと言います。それでも、患者さん達の声を聞いていると、高齢の女性達も家庭内でいろいろな仕事を行うことが難しくなり、日々、悩みを抱えて生活していることが分かります。そんな人達には「昔のように出来なくなってもいいのです。本来、貴方は、そういう仕事から解放されるべき年齢なのだから」と言います。

長生きを熱望する人達は、長生きするとは、衰えながら生きることであることを理解していない、「死なない人間」を知る前のガリバーでしょう。そうは言っても、死にたくはないのですが、やはり誰でも死ななければいけないのだと思います。

最後に、誰の言葉か知りませんが   「子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」