今回は「治る」ということについて考ええます。
大抵の人は、「治る」ということは「元通りの体になること」と考えていると思います。しかし、病気にならなかったとしても、体は絶えず変化していますので、「元通り」の状態などありえないのだと思うようになりました。自らも幾つかの病気を経験し、また、医師として多くの患者を診てきて、元通りにはならないことを実感しています。医療者の立場から言えば、病気から生じている患者の苦しみを幾らかでも和らげることが出来れば治療としては成功としていいのではないかと考えるようになっています。患者として考えると、多少の自覚症状や不都合があっても、生活していければ、我慢できる範囲であれば、良しとしようと思っています。色々なご批判はあろうかと思いますが、病気との現実的な付き合い方として、妥当だと考えます。
医師として、自分の実力を顧みて、少しでも患者の悩み苦しみを軽くできればと思うことに批判はないかと思います。問題とされるのは、患者にも病気による症状を受け入れることを要求していることでしょう。しかし、激しい痛みに苦しんでいる場合は兎も角、通院しているレベルの疾患では、症状は様々あるとしても、どうにか生活はできているわけで、あらゆる症状を完全に除去して、「元通りになること」を目指すと、苦しみばかりが強調されると思うのです。次の表現は鎮痛剤メーカーのパンフレットの中で見たものですが、痛みを完全に無くすことを目標とするのではなく、「痛みは少しあるけれども、○○ができる(○○には自分のやりたいことなどを当てはめる)ことを目指すべきというのです。なるほどと思いませんか。少しでも症状が残っていることを不満に思い続けると、逆に希望を失ってしまいそうな気がするのです。病気の苦しみから解放されたいと願うことは尤もで、気持ちとして理解できますが、そこにこだわると先に進めない気がするのです。「治ること」を生きる目的のようにしてしまうのではなく、生きる目的、目標のために、「このくらいなら我慢して、やりたいことが出来る」というところを目標にしたほうが生き易いと思うのですがどうでしょうか。
医者として、「逃げている」と言われれば、その通りかもしれませんが、謙虚に病気と向き合っているつもりです。
ついでに患者さんたちに求めたいことを少しつけ加えさせてください。多くの方が新聞や雑誌、テレビの広告を見て、健康に良いとされているもの、自分の病気の症状を軽くすると言っているものを高いお金をかけて購入したりします。色々なことを試されるのは構いません。しかし「これさえやれば大丈夫」というようなものに飛びついて、何か一つのことやモノで病気が良くなるということはないのだということを強調しておきます。人間誰でも「これさえやれば大丈夫」というものにすがる経験はあると思います。中学生、高校生の頃、受験のために「受験英語、これさえできれば大丈夫」みたいな歌い文句の参考書や問題集を買い込んだ経験があるのではないでしょうか?ダイエットなども、「こんなに簡単な方法で大成功」みたいな言葉に振り回されたこともあるのではないでしょうか。××だけで大丈夫というものはなく、どの方法も有効かもしれませんが、色々な方法を複数行い、継続することで何事もできるようになるものでしょう。わかっていても、やってしまう失敗ですが、病気との付き合いでも、様々な方法を続けていくことで、症状はあっても、自分のやりたいことが出来るようになるのだと思います。