筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群と生きて

十歳で小児筋痛性脳脊髄炎/小児慢性疲労症候群を発症。病と共に生きて来た記録。

受診②

2021-12-26 23:37:13 | 闘病記
物心がついてからはいつも楽しい日だったクリスマスイブ。
10歳のその日は生まれて初めて大きな病院で診察を受けると言う、楽しさとは程遠い日になりました。

その日もとにかく体が辛く、待合室で座って待っているのが地獄のような時間でした。
そんな体調であったこともあり、その日のことははっきりした記憶は残っていませんが、採血や機械を使ったような検査は受けなかったと思います。

おそらく問診の結果私にかけられたのは、自律神経失調症の一種である、起立性低血圧の疑いでした。
そのまま検査を受けましたが、その検査というのがベッドのような所に横になって血圧を測り、その後10分間起立した後また血圧を測るというもので、この立っている10分間が待合室以上に地獄でした。
間違いなく10年間生きてきて一番辛い時間だったと思います。

診断の結果は起立性低血圧でした。
この病気は筋痛性脳脊髄炎 /慢性疲労症候群(ME/CFS)と併発しやすい病気と言われていて、特に小児患者は併発する確率が高いようです。
ME/CFSは自律神経に影響が出る病気のため起立性低血圧を併発し易く、特に子供に起こり易いということなのではと思います。

起立性低血圧が私の不調の原因の全てではありませんでしたが、残念ながらその時点では起立性低血圧のみしか診断が受けられませんでした。

受診

2021-11-05 16:04:32 | 闘病記
私の家には、風邪を引いても病院に行くという習慣がありませんでした。
両親が薬剤師だったせいもあるかも知れませんが、薬を飲んで寝ていれば良いという方針だった為、この風邪の時も病院にはかかりませんでした。

ですが長引く不調に、さすがに両親は近くの小児科の開業医さんに私を連れて行くことにしました。
恐らく風邪が治ってから一週間か十日位経ってからのことだったのではと思います。

その小児科の医院では何の検査もなく診察を受けたのみでしたが、診断は「自律神経失調症」でした。
十歳の私にとっては「自律神経」自体が初めて聞く単語です。
「自立神経?主張症??」 と思ったのを覚えています。

その医院では自律神経調整のお薬が出されました。
それを飲んだら良くなるのだと思ったのですが、残念ながら効果はなく、体調はますます悪化していきました。
毎日ひどい倦怠感、疲労感、脱力感に加え、絶え間なく激しい頭痛に襲われ、鎮痛剤も全く効きませんでした。
頭が割れるように痛いとはこのことなのか、と思ったのを覚えています。

その体調でも私は学校に行き、塾にも通っていました。
普通に友達と話をしながら、「私はこんなにしんどいのに、なぜ普通に話しているのだろう?」 と心の中で思いながら過ごすような日々でした。

明らかに体調が悪そうで頭痛を訴える私を心配した学校の担任の先生が、大きな病院に連れて行くようにと両親に言って下さいました。
そしてその年のクリスマスイブの日、私は学校の二学期の終業式は欠席して、日赤病院の小児科を受診することになります。

発病②

2021-10-23 23:11:14 | 闘病記
私の風邪は特別に重症なものでもなかったので、 いつものように二、三日で治るものだと思っていました。
読みたかった雑誌を親に本屋さんで買ってきてもらって、お布団の中でそれを読みながら「早く学校に行きたいなあ。塾にも行きたいなあ」と思っていました。

そして予想通り、数日で私の風邪は良くなりました。
普通ならばこれで元の生活に戻って行けるところです。
ですが熱が下がり咳も治まったその頃から、私の体はそれ以上の異変に襲われ出しました。
これまでに経験したことのない異様な倦怠感、疲労感、脱力感、動悸、耳鳴り、目眩、そして激しい頭痛。

それでも風邪はもう治ったのだからと、私は学校に通いました。
「病み上がりだからしんどいんだ」という親の言葉を信じて。
ですが、体調は一向に良くならないどころか、悪化の一途を辿ります。
徒歩数分の距離にある学校まで歩いて行くことも、席に座って授業を受けることも、それまで普通にして来た生活の全てが、私にとっては苦痛に満ちたものになってしまいました。

ある日の下校時、辛い体を引きずりながら学校の廊下を歩いていると、突然目の前の景色が緑色になり視界が歪みました。
しばらくするとその症状は治まり、元の視界に戻りましたが、一向に良くなる気配のない体の不調に、何か自分の身にとてつもないことが起きているような気がして、不安に襲われました。
それでも、まさかこの先何十年も普通の生活を奪われる人生が私を待ち受けているなんてことまでは、到底その時の私には想像することさえ出来ないことでした。

発病①

2021-10-08 14:16:30 | 闘病記
よく運命は足音もなく忍び寄ると言いますが、本当にその通り、十歳の私に恐ろしい病魔は足音もなく忍び寄ってきました。

毎朝ラジオ体操に行ったり、浴衣を着て地域のお祭りを楽しんだり、友達とプールで遊んだり、学校の部活に励んだり、塾の夏休みの宿題の多さに四苦八苦した十歳の夏。
まさかそんな風に過ごせる最後の夏だなんて、私は夢にも思っていませんでした。
また来年も同じような夏が来て、その翌年の春には中学生になって、やがて高校生になって大学生になって、二十歳になったら成人式を迎えてそして社会に出る。
そんな当たり前の未来が当たり前に自分にあることを、信じて疑いもしませんでした。

健康な人にとっては、難病なんて小説やドラマの中のお話で、現実に自分が罹るものだなんて思っていない人がほとんどではないと思います。
私もその一人でした。

当時の私は両親と妹と暮らす小学五年生でした。
その春始めた新体操に夢中で、念願だったピアノのレッスンにも精を出し、一方で中学受験の準備で進学塾にも通い、子供ながらに充実した日々を過ごしていました。

そんな11月のある日、私は風邪を引きました。
それまでにも一年に一度や二度、風邪を引いて学校を休むことはありました。
ですからそれが私の人生を大きく変えてしまう恐ろしい病との闘いの始まりだなんてことは、私も両親も他の誰も想像もできないことでした。


コロナ後遺症とME/CFS

2021-09-17 15:57:09 | 闘病記
初めましてのご挨拶と、病名についての説明をしただけで長らく放置してしまっていました。

ブログを書く、というだけのことすらこの病気の身では重労働で、簡単には出来ない病気なのだということをご理解いただけると有難く思います。

世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大し、早一年半以上もの時が過ぎました。
最近はコロナ後遺症の話題で、この病名がニュースになることも増えています。

19世紀頃よりヨーロッパでは、感染症の流行の後に、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群の症状が現れる人たちがいたそうです。
コロナウイルスの感染拡大で、この病気を発症する人が増えるのではと危惧していたのですが、実際コロナ感染後にこの病気と診断された方たちがおられます。
診断されないままの方たちはもっと多いのではと思います。
子供たちへの感染拡大も始まり、かつての私のように、後遺症に苦しむ子供さんも増えて来ています。

この状況の中で私に出来ることは何かと考えた時、やはり自分の経験をお伝えすることだと思いました。
少しでもこの病気の認知と正しい理解が進むことを願って、ゆっくりペースではありますが、自分の経験を綴っていきたいと思います。

初めの発症の辺りのお話は、初めましてのご挨拶と重複する部分も出てくると思いますが、ご了承ください。

それではどうかよろしくお願いいたします。