お彼岸です。墓参りをしてきました。
願いは 一つ「・・・・・」
hanachoko cafe 写真展のイベント初日です。
突然の開催にも関わらず好評です。
ドーナツ美味しいです。
うまかった
このバームクーヘン美味しね
陸前高田の吉田さんご夫妻""初来店、吉田さんところでのイベント19日(月)花の種まき&餅つき
初めて出会って楽しい会話
18日に大船渡夢商店街でやっぺし祭りのイベント開催ありますょと イケメン芸術家?
理容室ニュー清水店内展示 20日午後3時まで
カメラウーマンの鈴木直子(すずきちょくこ)さん
ボランティアとして同行の花岡さん(相模原)
4月7日・8日 相模原桜まつりもあります・・是非来てください。
このチラシに引き寄せられて来た人
一番先に観に来た人が、画の持ち主でした。
この絵の他にもあったそうですが、津波で流されたそうです。
興味のある方は 当店まで ・・・
昨日3月14日の午後6時過ぎの三陸沖での地震があり、
北海道・青森・岩手太平洋沿岸に
津波注意報発令、沿岸の住民に避難勧告がでた・・
1年前を思い出し 「パニクった」
ちょうど店で、孫、7歳の誕生日会の最中だった。
直ぐに解散高台に避難した。
夜の地震・津波注意報や警報は混乱する。
津波注意報では国道45号は通行止めにならなかった。
もしかして予報通りでない 予想外の津波が来たら?
国道45号を走る自動車は危ないと思う・・・・・・・・。
オールハンズのボランティアとして 支援していただいた「西徹さん特製スロープ」を
昨年、12月19日に、7年ぶりに来店したお客さんが再来店
カット・髭剃り・シャンプーし、スッキリとしたと笑顔で帰った。
お役に立てて良かった・・・・・・
これが仕事(理容)なんだと改めて思う自分であった。
2011年3月11日から、避難場所としてお世話になった家主さんも来店
佐藤さんは津波の時に人命救助もしている。
家主の佐藤さんは、津波で流された前の店舗を造ってくれた工務店の社長で、
流され解体された自宅も造ってくれ、30年来のお付き合い
津波直後の佐藤さんは地震で被害にあった住宅や津波で壊れ補修工事で
てんてこ舞いの忙しさだった。そのような状況だったので、現在の仮設店舗は、別工務店頼むことになった。
市治建設社長の佐藤さんは恩人です。
今日の理容ニュー清水店内外です。
殆んど津波で流されたと思っていた写真の一部がキレイに洗われて手元に戻って来た。
大船渡福祉の里センターに、「お宅の孫さんらしき写真が有りますよ」と、
知り合いから電話が入って貰いに行ってきた母親。
八ヶ月くらいの「ハイハイの時期」で、ペットの「ひなちゃん」と遊んでいるところであった。
真丸として、まるこめ味噌のCMにでてくるみたい・・・・
食卓テーブルの下で追いかけっこ?
震災前の理容室ニユー清水の茶の間で 颯太くんとマルチーズのひなちゃん(現在13歳?)が遊ぶ
あの頃が懐かしい・・・・・・・・・・
今は、仮設の店舗となったので、孫達が、小学校・保育園から帰っても
遊ぶ処も無く職場と一緒で大変なストレスを感じさせていることに・・
親もストレスがあるかも・・・・・・
親の働く姿を目に焼き付けて育ってほしいものです。
楽しい話題も・・・・・気を取り直し
一日も早く、思う存分に遊べる場所(自宅・店・学校・公園等々)が出来る事に期待しましょう
神様 仏様 国家行政様・・・・・・
昨夜も余震が続き不眠、早く目が覚めて近くにあるご先祖様が眠っているお墓がある西光寺へ
1人、ひなを連れて、大船渡の惨状を報告をし、幸いにも家族が無事であったことに感謝しなから
手を合わせ号泣してきたことを思い出す。
停電・断水、情報なし、先ずは、食料を確保しようと、住田町へ走った途中、ガソリンスタンドに立ち寄って
「遠野まで行けるか」と聞いたら、「無理だ、停電でガソリンスタンド作動しない」と言われ戻り
世田米町商店街を通り、洋服屋・食料品店・金物店に立ち寄ったが既に、品不足であった。
金物屋さんの旦那さんの話だと「12日には買い出しに来た人たちが多かった」と言っていた。
靴と衣類と鍋を買つている時に、見ず知らずの住田町の人が「何かの足しにしてくれ」と私ら夫婦に2000円を差し伸べて下さった。
お断りしたが、困っている時はお互い様だからと言って立ち去りました。
金物屋さんから「何という名前の方か」とお聞きしたら、「佐藤さん」とだけだった。
1年過ぎて、未だにあの時のお礼が言えていない自分が恥ずかしい・・・・
忘れたわけではない 必ず お礼をしようと思っている。
自分の気持ちの中でとんでもない出来事に地に足がついていない心境だったと今思う。
停電・断水・電信不通
ロウソクのあかりで過す
翌日に自宅に行こうとしたが、真坂、まさかの出来事でした。店は跡形も無く
街もひどいもんだ 自宅へ行くにも私の足では困難・・・
そんなこんなしている時に息子も娘の夫も無地に帰宅
母も大船渡中学校に避難していると言う情報が入り安堵した。
しかし、耳に入る情報は、末崎地区は全滅とか、陸前高田は壊滅とか
誰それが死んだ、魚屋さんの夫婦も死んだ・・・・
自宅床の間に乗用車が突っ込んでいるとか・・・
とにかく、今夜は、市治建設工務店の事務所裏にある住宅に7人と犬一匹泊めて頂く事になった。
黙祷
2012.3.11 理容室ニュー清水にて
とんでもない大地震が2011年3月11日午後2時46分に起こった。
とっさに、ひな(マルチーズ犬)を抱え茶の間から店(理容)を通り外に出た。
外は、電柱が揺れ、電線が大きく波うちながら倒れている所もあり、近所の工場からは作業服を着た人たちが
外に出てきていた。これは絶対に津波が来ると思った、娘も「お父さん車で逃げよう」と言ったので
娘の車と自分の車で高台へ走ろうとしたが、妻は裸足でヨタヨタと道路にしゃがみ込みそうだった。
抱えて車に乗せ、孫2人が通っている大船渡保育園へと走った。
写真一 水が溜まっている所は道路です、津波後に通れなくなった。
津波襲来まで、約40分くらいの時間が大船渡町台町ではあった。
想像を絶する大津波が襲来するとは・・・・・・・・
驚くしかない・・・・・・・
唖然・茫然
孫たちの保育園も津波の危険を感じ徒歩での避難、母親である娘も一緒に
私とセツ子(妻)とひな(犬)は後から行くことにしたが、
国道45号は大渋滞
セツ子は膝が悪いので歩くのが困難かも・・・そこに偶然に
保育園児の親が来て、園児はどこに避難しましたかと聞かれたので
多分、大船渡北小学校だと思います、
私らも行くんです乗せてくれませんかとお願いし
同乗することが出来た。
大船渡北小学校周辺の高台には、多く避難してきている人々でいっぱいだった。
大きな余震が度々起こって、その度に人々の悲鳴が聞こえる。
子どもたちは泣き叫ぶ・・・・・・・恐怖と寒さで・・・
大船渡北小学校の体育館へ入ろうとしたが、
入り口で一人の女性が、「ここは北小の生徒優先ですから」と言って
園児や一般人が入るのを制していた。がぁ~ンとなった
外は灰色に曇り雪が降り風が吹き余震が続く・・・
私らは、犬を連れ5歳児4歳児と大人三人北小を後に民家を探しにさ迷った。
最初に身を寄せたのは、民宿鳥井荘さんでした。
鳥井荘のおかみさんが「いいから、いいから、狭いけど入って」と受け入れてくれた。
しかし、停電で真っ暗で更に余震が度々起こり子供たちも不安が募り
狼狽えなだめるのに大変だった。
鳥井荘さんには申し訳ないが、更なる避難先を求めで外に出た。
近い所に、市治建設さん(娘夫婦が新築依頼している工務店)の家があることに気づいた。
歩いて5分とかからない場所でした。
市治建設さんの息子さん(修司君)は娘と同級生。
暖かく快く、私たち家族を向かい入れて下さった事には感謝の気持ちでいっぱいです。
その晩は、1人で居た母親と、仕事で別々にいる娘の旦那と息子たちの安否と
余震のために一睡も出来なかった状態で一夜を明かした。
つづく
こんな事をブログで発信している自分が不思議・・・・・
現実を認めているつもりでもどこか変・・・・病の気か?
自分だけじゃない 皆疲れも溜まっていると思う。
明日、震災一年を迎えることで明日、大船渡市のリアスホールで
合同慰霊祭が行われるので、奥さんを無くした馴染みのお客さんが親子でカットに来てくれた。
親族を亡くした方には申し訳ないが、私らは幸いに家族を失わなかったことに感謝する。
地震が起こったら先ず高台へ逃げろ 「てんでんこ(個別に)で逃げろ」の教訓がある気仙地方
でも、その判断も難しかったので 多くの犠牲者を出してしまった。
誰も責められないし、責めることもできない。
「心まで流されないようにしよう」。
2012年3月10日の大船渡 瓦礫が片づけられています。
何処かのボランティア活動の方達か 大船渡駅舎跡地に見えます。
震災猫のたま男君寝ています・・
津波に人も住宅も流されないように高台移転とか、道路の嵩上げとか、
防波堤・防潮堤を高くしたり公共工事が先行しているようだ。
住民の生活基盤はどうなっていくのだろうか・・・・・
浸水地区の土地の買い取りもどうなるか??
住人が落ち着かないと街の復興はあり得ないなぁ~と思ってきた。
三月にもなると花芽が出てきて、改めて、自然の力強さを感じる。
梅の木は津波を被った鉢物だけど助かって一冬過し花芽が付いてる
皐月はお客さんから震災後に頂いたものです。
この軽石は、震災前に寝たきりになったお客さんの娘さんから頂戴した石
流されないで残っていたので、昨年、イワシバを植えたのが春の空気を感じてきたらしいく
緑の葉色を見せてきた。
2012年3月9日金曜日午前8時30分頃の景色
東京も心配です・・・・
今朝の空気も日差しも春だ・・・・
寒さで固まった身体が徐々に解れて動きが良くなるだろう・・・
久々の大船渡町台町から写した街(無いけど)
店から見る光景は・・何とも淋しい限りですが・・・
しかし、そんな中でも、頑張っている「大船渡プラザホテル」
大船渡プラザホテルに宿泊したお客さん(ふんばろう東日本の岩手支部長)が
カツトに来て、ホテルの食事が良かったですと喜んでいました。
大震災から一年を迎える、何処に住宅が建つか? 未だ?
お金持ちは順調に事が進んでいることは事実なようです・・・・・・
今日の日捲りカレンダーに
「本気な人はいい顔している」又「退路を断つと前進しかない」 と書いてある。
この顔は・・・本気に見えますか・・・・・・・
平地の雪も昨夜の雨で流された。
虫もそろそろと出て来る頃の時期になった。
昨年までは、山に行って盆栽苗木を取りに行っていたが・・・
今年は、未だ、そんな気分にまだなっていない・・・
殺風景な街を見ているのも疲れるね・・・・・・