最澄上人は比叡山での修行の前に5つの願文を立てられた。その第1が「自分の眼、耳、鼻、舌、身、意の六根が仏陀の如く清浄にならないうちは、世間に出て活躍しない」というものであった。最澄上人は実際に世間に出て活躍されている。最澄上人が世間に出て活躍されていなければ、わが願興寺も存在しなかったことになる。
では、最澄上人は「ご自身で仏陀の如く清浄になった」とお考えになったのであろうか。という疑問も沸いてくるし、そこを私たちはどう解決したらいいのだろうか。上人がこの疑問をどう解決しているのかは、知るすべもないところだが、これは上人のお心が、変わったのだという判断が適当であろう。
願興寺でも布施屋を建立し、自刻の薬師如来を奉納安置されて、民衆の安寧を祈願されている。上人のことであるから、ご自分の立てられた願文をお忘れになったということは考えられない。民衆の困苦を見るに見かねたとき、上人は自分ができるようになったことをなった分だけ、人に伝え教えることによって、救えるものは救わなくてはならないと方針転換されたのではなかろうか。それが「伝教大師」という贈り名になったんではないだろうか。
これが意味するところは、上人の願文は云わば願いである。願いには執着してはならない。と考えになったんではないか。この願文に執着しすぎると、自らが清浄化することが目的化してしまうことを恐れられたと考えられる。それに執着することにより、自分だけの利益で終わってしまうことを恐れられたと考えるのが妥当ではないだろうか。
願興寺公式サイト
では、最澄上人は「ご自身で仏陀の如く清浄になった」とお考えになったのであろうか。という疑問も沸いてくるし、そこを私たちはどう解決したらいいのだろうか。上人がこの疑問をどう解決しているのかは、知るすべもないところだが、これは上人のお心が、変わったのだという判断が適当であろう。
願興寺でも布施屋を建立し、自刻の薬師如来を奉納安置されて、民衆の安寧を祈願されている。上人のことであるから、ご自分の立てられた願文をお忘れになったということは考えられない。民衆の困苦を見るに見かねたとき、上人は自分ができるようになったことをなった分だけ、人に伝え教えることによって、救えるものは救わなくてはならないと方針転換されたのではなかろうか。それが「伝教大師」という贈り名になったんではないだろうか。
これが意味するところは、上人の願文は云わば願いである。願いには執着してはならない。と考えになったんではないか。この願文に執着しすぎると、自らが清浄化することが目的化してしまうことを恐れられたと考えられる。それに執着することにより、自分だけの利益で終わってしまうことを恐れられたと考えるのが妥当ではないだろうか。
願興寺公式サイト